2025/06/12
コルト ディフェンダー 3インチバレルのコンパクト1911
Gun Professionals 2015年3月号に掲載
3インチという極短バレルを持つ1911はコルトが開発にチャレンジしたものの、上手く回転させることができなかった。こんなに短くしたら動くはずがないと諦めたとき、シリンダー&スライド社のビル・ラフリッチ氏は事も無げに3インチの1911を動かして見せた。しかし、コルトは…。今では定番化した3インチバレルのディフェンダーには公になっていないストーリーが隠されている。
今月の1挺
記事のネタに詰まった時、自分はよくネットをツラツラと覗き見る。あちこち眺めている内に、アイデア発見がしばしばある。
今月のネタは、T.K.REDモデルガンBlogってところを見た瞬間に閃いた。「B.W.Cからコルト・ディフェンダーが発売されるようです。これは大人気になりそうですね」なんて記述があるではないか。
ええーっ! ディフェンダーなら手元に預かり物がある。まだ一度も自分はネタにしてなかったっけ。
さっそく編集部に連絡を取り、B.W.Cの飯野さんへもメールを送ってお膳立てに着手、今回のリポートと相成った。
ああ、これで一本のネタができた(笑)。
縮みゆく1911
コイツはご覧の通り超コンパクトな1911だ。話はやはり、切り詰め1911の系譜から始めるのが常套手段だろう。
1911が切られ始めたのは、歴史的には1949年のコマンダーが最初か。1911誕生から実に40年近くを経て、初めて切られたことになる。
コレはGun誌時代にも書いたが、自分は日本に居た頃、コマンダーはスライドの先端を切り詰めただけのモデルと思い込んでいた。愚かであった。先端も切ってはいるが、それ以前に途中を縮め、フレームも長さを合わせてカットしてある。銃身は、元の5インチから4.25インチとした。このたった0.75インチの差が、総てに、徹底的に影響を及ぼした。元よりノウハウの蓄積もなく、製品化は至極大変だったと伝え聞く。実際、登場当初は調子もあまり上がらず、1911の神様ジェフ・クーパーも、「コマンダーはあくまでもバックアップと考えるべし」と仰っていたくらいだった。
そのコマンダーからざっと四半世紀後の76年、極短1911の元祖であるデトニクス・コンバットマスターが登場する。
銃身長は限界に近い3.5インチ。内外パーツの殆どを切ったり丸めたり、グリップフレームも思い切りカットして装弾数は5+1発とした。リコイルスプリングは3本立ての凝ったシステムを考案。そうでもしなけりゃ動かなかったのだ。
スライドを短くすると当然スライドの後退距離も減り、フィーディングを含めた前進運動の1サイクルが短縮されて様々な不安定要素が噴出する。また3.5インチともなるとピーク時のスライドの運動速度はフルサイズの倍近くにもなる。製品化には、安全で安定した作動をもたらすベストな値を突き止め、さらにその値に量産のための幅を持たせなきゃならない。コマンダー程度でも大変だったんだから、デトニクスの苦労は想像を絶する。
そんな試練を乗り越え、デトニクスが一応の成功を収めるなか、本家のコルトは長いこと高見の見物だった。やっとこ重い腰を上げたのが、84年のオフィサーズACPだ。
オフィサーズは、デトニクスと同じ3.5インチ銃身。しかし、コーンバレルのくせにブッシングを備え、リコイルスプリング・システムは従来とほぼ同様のままスプリングだけ2本(二重)にして対応。グリップフレームのカットはデトニクスほど深追いはせず、1cm程度に止めた。
このオフィサーズは割りと人気を呼んだが、作動にはムラが有り、ブッシングに不具合(割れたらしい)も起き、精度も出にくいなどの問題を抱えていた。それでも、コルトのネームバリューとアフターマーケット部品の支えで生き延びた。
そしてオフィサーズの登場から13年後の1997年、満を持してコルトが出したのが、今回のディフェンダーだったのだ。
ディフェンダーストーリー
ディフェンダーの登場は衝撃的だった。何しろ銃身長が3インチ…コレには皆驚いたに違いない。
前述のオフィサーズ以後、コンパクト1911の勢いは加速し、例えば95年にはスプリングフィールドアーモリーがウルトラコンパクトを出したが、アレはまだ3.5インチ銃身だった。またパラオーディナンスのV10は頑張って3インチまで詰めていたが、ユーザーの間で“jam-amatic”とアダ名されるほど調子が悪かった。
ところが、ディフェンダーはしっかり動いたのだ。だから衝撃的だった。ディフェンダーの製作には、著名なガンスミスであるシリンダー&スライド社のビル・ラフリッチ氏が関わったことが一般に知られている。ラフリッチ氏は3インチ銃身のカスタム1911であるAdventurer(装弾数5+1発。当時世界最小の1911)の開発に早くから成功していた。
そのAdventurerには、Dual Telescoping Recoil Systemが組み込まれていた。今日、多くのコンパクトオートが採用しているこのシステムは、Larry Seecampが1979年に開発したパテントだ。バネは2本で、メカ音痴の自分には説明が難しいが、誤解を覚悟で書けば、“伸縮する”リコイルスプリングガイドロッドとメインスプリングの絶妙なコンビネーションが冴えるメカ、とでもいった具合か。このシステムをディフェンダーにも投入。スムースで確実な作動を実現したのだった…というのが一般に伝わっている話なのだが、事実は少し違うようだ。この辺の事情を、当事者であるラフリッチ氏にメールで尋ねたら、こんな返事が返ってきた。