2025/07/03
FN M1910 .32ACP
Photo & Report :櫻井朋成
Gun Professionals 2014年9月号に掲載
FNが1910年に発売したM1910は、コンパクトな護身用拳銃の傑作として数多くの国に広まった。ヨーロッパの警察が活用する一方、第一次世界大戦のきっかけとなった暗殺事件でもこの銃が使われたといわれている。戦前の日本にも数多く輸入され、旧日本軍の将校でこの銃を使用した人は少なくない。製品化から104年が経過した現在(2014年時点)、注目を集めることはほとんどなくなったが、そのデザインは現代の銃とはまったく異なる優美さを持ち、機能的にも十分実用に耐えうるものだ。
怪盗アルセーヌ・ルパンの愛銃?
筆者には日本でいう小学校二年生の子供がいる(2014年時点)。その担任の先生に「アルセーヌ・ルパンって知ってるか聞いてごらん?」と言ってみた。帰ってくると「知らないって」そう答えた。私の周りにいるフランス人にアルセーヌ・ルパンの話をしても7割ほどは知らないというので、学校の先生にも聞いてみたくなったのだ。現在のフランスでルパンの知名度はその程度でしかないようだ。
昭和50年代、日本の小学校の図書館には少年探偵団や怪人二十面相などと並んで、アルセーヌ・ルパンの小説を児童向けに書き直した本(いわゆる児童文学)が並んでいた。だから当然私もルパンを知っている。日本ではさらにその孫が大暴れするのだから、逆にアルセーヌ・ルパンを知らない人はいないと言った方が良いだろう。
そういえばフランスのノルマンディーにルパンの家があったのを思い出した。以前フランス人の友人たちとノルマンディーを旅しているときに通りがかったが、誰もルパンを知らず私の“寄ってみたい”という意見は瞬時に却下された。今回はかつてのアルセーヌ・ルパンがどんな銃を持っていたのかを探りたくなって再びそこを訪れることにした。
パリから2時間ほど車を飛ばすと海が見えてくる。代表作『奇巌城』の舞台になったエトレタがルパンの生みの親であるモーリス・ルブランの生家がある町だ。その生家が現在ではルパンの博物館“Le Coin Arsène Lupin”となっているのである。この博物館を運営するのはルパンの愛好家や研究者たちの団体である。それならばルパンのエキスパートと話もできると意気込んだ。最初に電話でアポを取ったが、電話に出たのは実は一冊もルパン作品を読んだ経験のない人だった。それでも撮影などの事務的な手続きだけはきちんと行なってもらって現地に向かった。


右:ルパン博物館“Le Coin Arsène Lupin”の案内板。

2014年はルブラン生誕150周年で様々なイベントが企画されている。
Le Coin Arsène Lupin
15 rue Guy de Maupassant 76790 Étretat
+33(0)2 35 10 59 53

右:アルセーヌ・ルパンがどろぼうの緻密な計画をしていくテーブルにはガジェットが置かれている。

右:エトレタと言えば岸壁。その一つが奇巌城になっている。その模型と盗んだ宝物。


中央:映像化されたルパンの当時のポスター。1962年"ARSÈNE LUPIN contre ARSÈNE LUPIN"
右:こちらも当時のポスター。1959 年Signé Arséne Lupin。
受付で取材の意図を説明するが「ルパンは殺人者ではありませんから銃は持っていません」と返される。しかし、護身用に自分の銃を持っているはずなのだ。そう食い下がっても「そのようなシーンはまだ読んでいません」という回答だった。他の人にも質問を投げかけたが、答えは皆同じだ。結局博物館の中を見て回っても、変装に関してはたっぷり展示スペースがあるものの、銃に関しては全く手がかりなし。研究者の人たちにコンタクトをとるように頼んだが、締切りまで返事はなかった。
それを松尾副編集長に伝えると、モーリス.・ルブランの作品の中でルパンは銃を持って登場しているし、何度も発砲しているという。松尾副編によれば、名作“奇岩城(1909)”で、ルパンはポケットからピストルを抜き、英国の名探偵 ショルメ(これはシャーロック・ホームズの事だ)と銃撃戦をおこなう。ショルメを負傷させた上、その部下2名の胸と顎を撃って倒すシーンがあるというのだ。アルセーヌ・ルパンは血を見ることを嫌い、義賊として物を盗むことはあっても、人を殺すことは断じてしない人物といわれている。でも必要とあらば撃つのだ(殺すことはない)。
その他の作品も含めて、アルセーヌ・ルパン・シリーズは銃が登場してもほとんどの場合、単にピストルという記述のみで銃種を特定することは難しいそうだ。しかし、“特捜班ヴィクトール(1933)”ではブロウニング(翻訳文のまま)と具体的にモデル名が記されているし、“虎の牙(1921)” では、2挺のブロウニングを受け取るシーンがあるという。この2作品の時代であれば、世界的なベストセラーであったM1910をアルセーヌ・ルパンが使っていた可能性が高い。もちろん常にブラウニングを持っていたかどうかは判らない。ルパン・シリーズは1905年に最初の作品が発表されたが、その舞台は1899年だった。その後も19世紀末期を舞台にした作品も書かれたので、その時代であればリボルバーを使っていた可能性も大きいという。なんだ、“Le Coin Arsène Lupin”の係員よりその部分に限っては、松尾副編の方が詳しいではないか。
そんなわけで、ルパンも愛用した可能性のあるM1910を求めて今度はベルギーに向かった。







