2025/06/22
Browning Hi-Power プロフェッショナルの選択
Gun Professionals 2015年6月号に掲載
“最後のブローニング”といわれるハイパワー、その発展型がMkⅢだ。ダブルアクションやらファストアクションを取り入れた迷走ハイパワーはこの際、一切無視しよう。シングルアクションのMkⅢこそが正統派ハイパワーの最終型なのだ。
ハイパワーという選択
ハイパワーを買ってしまった。中古のMKⅢだ。お値段800ドルちょい。コレが人生初の自前ハイパワーである。
レトロ趣味の自分であるから、どうせ買うならやっぱし初期のいわゆるP35、それもタンジェントサイト付きでショルダーストック用のスロットがバックストラップに入ったベルジャンブルーが美しい戦時絡みのヴィンテージ物じゃないと気が済まないと、以前から心に決めてた部分は少なからずあった。
にもかかわらず、今回買ってしまったのはわりと新し目のMKⅢだ。ミリタリー臭は全く漂わない。最初は、自分もずいぶん迷った。迷い過ぎて決心が付かず、いったん自宅へ戻って一晩考え、出直して購入を決めたほどだ。
MKⅢで自分はホントにいいのか。渡米27年目で初のハイパワー購入なんだから、信念は貫くべきじゃないか。この少し前、ロングバレルでコンペセイターが付いたファクトリーのコンペティション・モデルにガンショーで出会い、心揺れたことがあった。いっそ、あーいった色物のほうが自分には似合っているのではないか。それに格安ってならともかく、今さら普通且つ新し目の素ハイパワーに大枚800ドルも出すってのは、いかがなものか。
実は同じショーケースに、戦時のP35も偶然置いてあったのだ。前述に近い仕様で、おまけにナチのプルーフマークが何個も打たれた正真正銘の現場銃(シリアル番号80869)だった。お値段はさすがに高い1,199ドル。残念なのは、コンディションが悪かったこと。キズやら仕上げの経年劣化が目立ったのである。この手の当時物は、どうしても状態が落ちる。そしてブルーの輝きも、ベルジャンには随分劣る黒っぽいものだった。
それに引き換え、このMKⅢハイパワーはド新品に近い極上コンディション。箱と予備マグと説明書も付いていた。そして何よりも心動かされたポイントは、スライドの色である。焼入れの栗色がほんのりと美しかったのだ。この焼入れツートン仕様(フレーム側は普通のポリッシュブルー)は滅多に見ない。ベルジャンブルーにはかなわないけれど、これはこれで十分に渋い。MKⅢに有りがちなエナメル仕上げだったらさっさと敬遠していただろう。
ココまで考えあぐねて、やっとこ購入したのです。
P35一本に絞って今日まで粘ってきたのだが、遂に年貢の納め時が来た。こだわりの頑固バカはこれだから困ります。
最後のハイパワー
一般にハイパワーは、“最後のブローニング”と呼び習わされている。ジョン・ブローニング(すみません。ブラウニングの表記には抵抗がある昔人間です)が生前、最後に関わったモデルだからだ。
しかし今日では、ハイパワーはその殆どをFN社(ファブリック・ナショナール)の技師Dieudonne Saive(以下ザイーブ)がフィニッシュしたのは、万人の知るところとなっている。実際に元を作ったのはザイーブで、ブローニングが特許を申請した9mmのストライカー方式のアイデアはプロトのみで却下されているし、ザイーブが設計したダブルカラアムのマガジンに対してブローニング大先生は「こんなもん市場じゃ成功せんだろう」とおっしゃっていたらしいから、ハイパワーはほぼ丸ごとザイーブの作品といっても過言ではなかろう。
とりわけ忘れちゃいけない重要ポイントは、ザイーブがダブルカラアムのマガジンを作り上げたことだ。脅威の13連マガジンは、ハイパワーの名前の所以にもなった肝心要の味噌の部分。残された資料から見ても、このクレジットはすべて彼のものとするのが妥当だろう。それに、初期の試作段階ではフレームの上にキューピーマヨネーズのチューブを載せたような、スチェッチンみたいな格好だったのが、まるでボーチャードがP08に進化した時のようにココまで研ぎ覚まされた姿に辿り着けたのは、すべて彼の功績である。
但し、ブローニングのネームヴァリューがあってこそ、初めてマーケティングに有利となったのもまた事実だろう。ハイパワーが世に浸透する大きな力となったのは疑う余地は無い。いつの世も、人々はカリスマの力には弱い。その意味では、ハイパワーはまさしく“最後のブローニング”なのかもしれない。
それで、と。考えあぐねてやっとこ購入のこのMKⅢは、ハイパワーの歴史の中ではずっと後のほうに位置するモデルだ。
MKⅢへ至る流れを簡単に列記してみると、
◆1921年、FN社がフランス政府の要請で新型銃を開発。それを元にジョン・ブローニングがプロトを製作する。
◆1926年11月、銃の完成を見ることなくブローニング大先生が他界。
◆1935年、紆余曲折の末、P35に辿り着く。世界各国で採用が始まる。
◆60年、スライドの分解用の窪みが消滅。
◆62〜63年、強度の問題からエキストラクターが内装から外装へ。
◆72年、スパーハンマー登場。
◆81年、アンビセフティとそれに伴う改良型グリップ及びストレートなフィーディングランプのMKⅡ登場。
◆89年、オートマチックファイアリングピン・ブロック装備のMKⅢが登場。
といった具合だ。MKⅢの後、.40S&W口径の登場(90年)やらSFS(Safe Fast Shooting System、ハンマーとサムセフティとの間でコッキング/デコッキングの連動操作を可能にした変則メカ)の投入があった。また80年代にはDA化へ向けての迷走もあった。それらの動きは、正統な流れからやや外れていると自分は捉える。なのでMKⅢは、自分の中では“最後のブローニング”ならぬ“最後のハイパワー”の位置づけだ。