2025/11/06
ドイツ軍と共に戦った外国製ピストル Part 24 シュタイヤーM.12

1938年、オーストリアはドイツに併合された。占領されたのではない。第一次大戦によって弱体化したオーストリアは自らドイツに飲み込まれることを望んだ。これによりオーストリアの軍用拳銃シュタイヤーM.12は、9mmパラベラム仕様に改修され、ドイツ軍用拳銃9mmピストーレM.12(o)となり、ドイツ軍と共に戦うことになっていく。
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シリーズの完結
2020年6月号より不定期で掲載してきた、“ドイツ軍と共に戦った外国製ピストル”の調査レポートだが、今回を持って完結となる。このテーマはそのすべてを調べ上げることは、おそらく永遠にできない。それでも、一つの基準で選んだ銃の主だったものは一通り、網羅できたと思う。
第二次世界大戦の戦場は、ヨ―ロッパの多くの国にまたがり、各戦線ではそこで戦っている部隊の判断により、戦場で鹵獲した敵側兵器を自国軍の武装に用いて急場の戦力強化に利用する場合が多かった。正規軍の兵士が、国から支給された武器以外を戦闘に使用することは、本来なら軍規違反であり、処罰対象となる。これはドイツ軍でも同じだ。しかし、前線では自分の生命を守ることが最優先となることはいうまでもない。そのため、小型で携帯しやすく、自衛力向上につながるピストルは、多くの兵士が様々な方法で入手して利用していた。
ここではそれを裏付ける1枚の写真を掲載しよう。
リポーターは以前、ドイツの骨董商から、第二次大戦に従軍した一兵士の個人写真アルバムを入手した。この兵士は写真が趣味だったようで、戦場で撮影した写真がこのアルバムに多数貼り付けられている。多くが自身や戦友の姿を映したものだが、その中の1枚は大戦初期の西部戦線で撮影されたもので、たいへん興味深い。
その写真は、おそらく非公式な彼の私物ピストルを構えるシーンだ。手にしている銃は、とても軍用ピストルには見えないベルギー製と思われるブルドックタイプのリボルバー。この兵士はこのリボルバーをどのような手段で入手したのかはわからない。しかし、この銃がドイツ製でなかったとしたら、これも広い意味では、“ドイツ軍と共に戦った外国製ピストル”ということになるだろう。このようなドイツ軍が使用した外国製ピストルのすべてを数え上げると、その種類は膨大なものになるに違いない。
特に最後まで抵抗を止めることなく戦闘が続いた東部戦線での外国製ピストルの非正規利用は盛んだった。しかし、長期にわたる防戦の末、最後には反撃を開始してドイツ軍を追い返し、ベルリンまで進撃したソビエト軍の兵器は、このシリーズで取り上げなかった。
第二次世界大戦でドイツ軍が戦場で利用した鹵獲兵器を含めると、かなり多くの種類のピストルを採り上げなくてはならなくなる。戦争初期にドイツに降伏した国々から武装解除によって集められたピストルに関しても同様だ。最初はドイツ軍の制式兵器システムに類似し、共通弾薬を使用するピストルが選択されてドイツ軍によって組織的に部隊配備された。やがてそれらの外国製ピストルの多くは、ドイツ軍の管理下に置かれた被占領国の製造メーカーで、ドイツ軍のために新規に製作された。それらのピストルは、ドイツの検査を受け、ドイツの検査刻印(バッフェンアムトスタンプ)が打刻されて部隊配備されている。
このシリーズで取り上げた外国製ピストルは、原則としてこれらのドイツ軍が正規にその使用を認め、バッフェンアムトスタンプを打刻したピストルを対象とした。そのため東部戦線で多くのドイツ軍将兵がソビエト軍から鹵獲して使用したピストル類は、正規の扱いではないのでここには含まない。
実際には、東部戦線のドイツ軍はソビエト軍から鹵獲したトカレフやナガンリボルバーを使用していたことがよく知られており、ソビエト政府もそのことに苦慮していた。そこで、ソビエト政府は戦線でドイツ兵を捕虜とし、彼らがソビエト製の兵器で武装していた場合、戦場での即決裁判で死刑を求刑できるという布告を出したといわれる。この布告により、ドイツ軍が鹵獲したソビエト製兵器をソビエト側に向けて使用することを躊躇するように仕向けたわけだ。しかし、それ自体は大した実行効果は無かったようだ。
またこのシリーズには、デンマーク軍が使用していたベルグマン ベアード(Bergmann Bayard)を含んでいない。このピストルはベルグマンの名が冠されているが、量産はベルギーとデンマークでおこなわれた外国製ピストルだ。ベルグマン ベアードがドイツ軍によって使用されたのは明らかで、デンマーク人を含む北欧諸国からの志願兵で構成された武装親衛隊や、義勇ドイツ協力軍で使用されたとされている。
リポーターは現在までに、かなりの数のデンマーク軍用ベルグマン ベアードを見てきたが、この中にドイツのバッフェンアムトスタンプが打刻されたものはなかった。バッフェンアムトスタンプが打刻されたベルグマン ベアードが存在するという噂は聞いたことがある。しかし、実際にバッフェンアムトスタンプを打刻された実機にはついに巡り合えなかった。
デンマークのコペンハーゲンにある王立武器博物館(Krigsmuseet)には取材撮影のために過去に何回も通ったが、この博物館も所有していなかった。デンマークからの志願ドイツ協力軍が使用したベルグマン ベアードは、過去にデンマーク軍が使用していたものを再支給したものと考えるのが妥当で、新規に製作されなかったと思われる。
そのようなわけでベルグマン ベアードをこのシリーズに含めるかどうか相当迷ったが、最終的に入れなかった。
そしてこのシリーズ最後を飾るのは、オーストリアのシュタイヤーハーン1911と、その軍用仕様9mmゼルブストラーデ ピストーレM.12、およびドイツ軍準制式とした9mmピストーレM.12(o)だ。
オーストリアの位置付け
最後にしたのは、この国の特別な政治状況が絡んでいる。
第二次世界大戦が勃発する約1年半前の1938年3月17日、オーストリアはドイツに併合され、ドイツ オーストリア州となった。この事はヨーロッパの大陸国の歴史と政治の複雑さを体現している。やはり戦争前にドイツに併合された国にチェコスロバキアがあった。しかし、チェコスロバキアとオーストリアは同じドイツに併合された国であっても、その背後の事情が大きく異なる。
オーストリアを併合した当時のドイツは、オーストリア出身のアドルフ・ヒトラーが率いていた。彼は1889年4月20日に、当時オーストリア=ハンガリー帝国の一部であったオーバーエスターライヒ州のブラウナウ・アム・インという町で生まれた。すなわちヒトラーにとってオーストリアは母国なのだ。
一方、チェコスロバキアはチェック人とスロバキア人で構成された国で、第一次世界大戦が終結するまで、オーストリア=ハンガリー帝国の一部だった。
オーストリアはハプスブルグ家が統治する大帝国で、チェコスロバキアだけでなくバルカン半島のスロベニアやクロアチアなどを含む広大な領土を保有する国だった。第一次世界大戦ではドイツと連帯して戦ったものの、戦争に敗れ、サン=ジェルマン条約により解体された。
これにより領土内のドイツ系以外の多くの他民族が、民族自決の原則で独立していく。チェコスロバキアもそんなオーストリアから分離した国のひとつであった。一方、オーストリアとして残った部分はドイツ系民族が大多数を占める状態になる。
かつては広大な領土と強大な政治力を持っていたオーストリアは、第一次世界の敗戦によって、大きく弱体化したわけだ。その西にあるドイツも、第一次大戦後ずっとベルサイユ条約により抑え込まれていたが、1933年以降、ヒトラーが実権を握り、勃興していく。そのような状況で、オーストリア人はドイツと合併して国力を再び強大にする大ドイツ主義という幻想に取りつかれていったのだ。
チェコスロバキアが武力の脅迫でドイツに統合されたのと違い、オーストリアの場合はむしろオーストリア人自身が呼び込んだ統合だったといえる。
なぜこんな世界史の授業のような話をするかというと、オーストリアは自ら求めてドイツに併合され、第二次世界大戦が始まったとき、すでにドイツの州であった。すなわち、オーストリア製のピストルは果たして“ドイツ軍で使用された外国製ピストル”だと言い切れるのだろうか、と思ったからだ。
最終的にオーストリアのシュタイヤーM. 12(この銃の呼称の問題についてはこの後で言及する)は、これに含めて良いだろうと判断した。そのような考えに至るまで時間が掛かったため、この銃についての解説は、シリーズの最後となったのだ。
今回は、シュタイヤー1911(M.12)の珍しい派生型バリエーションや輸出型についても併せてリポートしたい。それらは第二次大戦で使用されたわけではない。しかし、リポーターが、このシュタイヤー1911(M.12)に関して再びリポートすることはないため、このシリーズの趣旨から外れるが、ここで述べさせて頂きたいと思う。


