2025/09/01
【NEW】九九式短小銃 昭和十六年製最初期型
Text & Photos by SHIN
日本陸軍には、三十年式で6.5mmを採用した当初から、列強国と肩を並べる30口径クラスの基幹小銃を欲する、静かな願望があった。約40年を経て、それを実現させたのが九九式短小銃と7.7mm弾だ。しかしその時、日本はすでに戦争の真っただ中にいた。
九九式小銃、および九九式短小銃は、昭和15(1940)年に日本陸軍によって制式が制定されたボルトアクション式小銃だ。九九式の名称は、その制式制定の上申が昭和14年、皇紀2599年であった事に由来している。
明治31(1898)年に制式が制定された三十年式歩兵銃、それを改良して明治39(1906)年に入れ替える形で制式制定となった三八式歩兵銃に対する後継小銃という位置付けの九九式は、当時の日本軍がそれまで培ってきた実戦経験と、近代的な製造技術を組み合わせた、当時最新鋭のボルトアクションライフルであった。
九九式は、全長127mmの小銃と、全長112mmの短小銃とがあり、日本軍はその両方を制式制定して製造を開始した後に短小銃を本格量産するという、まわりくどい手順を踏んでいる。
これは、銃剣突撃を重視する精神論的白兵信仰を強く持つ勢力が当時の陸軍内にいて、諸外国がずっと前に実現している小銃の短銃身化を行なうことが難しかったということが背景にある。
すでに銃剣突撃は時代遅れで現実的ではないことを理解していた陸軍上層部は、短小銃の量産命令を発し、九九式短小銃を新たな基幹小銃とした。この銃は三八式の改良型であるが、最大の変更点は、口径が三八式歩兵銃の6.5mmから、7.7mmへと大口径化したことにある。
日本陸軍には、小銃用弾薬として6.5mmを制定した当初から列強国並みの30口径クラスの採用を望む声があった。しかし、口径変更は莫大な軍事予算を必要とする。基幹小銃を一気に入れ替えると共に、膨大な備蓄弾薬をすべて刷新しなくてはならないからだ。
日本陸軍は20世紀の初頭より、大口径化の研究検討を続けていたが、昭和12(1937)年に日中戦争が勃発し、これによる臨時軍事費が爆発的に増大したため、基幹小銃変更、大口径化を推し進める予算を確保した。
そして昭和14(1939)年、九九式小銃、九九式短小銃、九九式普通実包の制式制定が上申されている。
これにより基幹小銃の遠距離での威力、そして軽装甲や遮蔽物、そして車両や馬に対しての貫通力と破壊力が向上した。併せて九二式重機関銃と歩兵銃の弾薬の共通化を図っている。しかし、九九式短小銃の軽量化により九二式普通実包を九九式短小銃で発射した場合、リコイルが大きくなりすぎることが問題視された。結果、減装弾である九九式普通実包が採用され、重機関銃、軽機関銃、小銃のすべてを完全に同一弾薬に統一することはできなかった。
また九九式短小銃は、日本の軍用小銃として初めて、リミットゲージ法を導入、限定的ながら部品の互換性を達成している。この限定的というのは、一つの工場内での互換性はあったものの、異なる製造拠点での互換性を達成するまでには至らなかったという意味だ。
しかし、このリミットゲージ法の導入により、下請け工場での生産が盛んに行なわれ、東洋工業(現マツダ株式会社),豊和重工(現豊和工業株式会社)、東京重機工業(現JUKI株式会社)、井澤重工業などで製造されたものを小倉,名古屋の各工廠で検品する形で運用された。そして敗戦までに約240万挺の九九式短小銃が製造されている。
既に述べた通り、日中戦争があったことが、九九式と7.7mm弾の採用を実現する原動力となったが、九九式の量産を開始した昭和16(1941)年に、日本は真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まってしまう。そのためすべての軍用小銃を7.7mm口径へ切り替える余裕はなくなり、結果的に6.5mmの三八式と7.7mmの九九式を併用して戦うことになってしまった。
本土、満洲、中国、南方など地域別に6.5mmと7.7mmを分けて配備する努力をしたものの、完全にわけることはできず、弾薬の補給に多くの混乱が生じたことはいうまでもない。
そういった運用面での問題はあったものの、九九式短小銃そのものは、開発された当時、世界に誇るべき性能を有していたと言える。しかし、その後の戦局の悪化により、省力化改造が行なわれ、戦争末期には大幅に品質を落とした九九式短小銃が製造されるようになってしまった。
今回はごく初期に製造された高品質な九九式短小銃を紹介したい。これがこの銃の本来の姿であることを知って頂きたいからだ。
敗戦で武装解除となった際、日本軍は天皇陛下から貸与されたとされる銃をそのまま引き渡すことを良しとはせず、多くの場合、その菊花紋章を削り落とした。このように完全な形で菊花紋章が残っている個体は、敗戦前になんらかの形で鹵獲されたものである可能性が高い。
省力化モデルはこのすべり止めが単なる縦溝になり、末期はその溝すら無くなっている。
米国では、九九式だけではなく、旧日本軍の小銃をまとめてアリサカ/Arisaka ライフルと呼んでいる。
アリサカとは、三十年式小銃を開発した東京砲兵工廠堤理 有坂成章(ありさか なりあきら:1852-1915)大佐(当時)の事だ。
7.7×58mm 九九式普通実包は175gr、初速2,400fps、銃口エナジー2,237ft.lbsで、アメリカ軍の30-06と比べるとやや威力が劣るが、イギリス軍の303ブリティッシュに近い性能を持っている。