2025/02/22
ベトナム戦争紀行 Part.3【M40】【続 撃たずに語るな!】
続 撃たずに語るな!
ベトナム戦争紀行 Part.3
By Captain Nakai
Gun Professionals 2012年9月号に掲載
DMZとケ・サン

ベトナム戦争で、北ベトナム軍と南ベトナム開放戦線に恐れられた歩兵用携行銃器は、M79グレネード・ランチャーと、海兵隊狙撃兵が操るレミントンM40と言われている。
ベトナム滞在もハノイやフエを観光しているうちに、食事にも慣れてきた。ベトナムは米を中心とした食事なので、日本人の自分にも馴染みやすい。
ラスベガスでは、真夏でも長袖、長ズボンを着て日射を避けているが、湿度の高いベトナムでは、半袖と短パン、サンダルが一番過ごしやすかった。
今回は、ベトナム中部の古都フエよりケ・サン基地跡へ向かった。ケ・サンはブルース・スプリングスティーンの“Born in the U.S.A. ”の歌詞にも登場するベトナム戦争の最激戦地の一つである。


フエの街から車で5分も北へ走ると、周りは田園が延々と続くのどかな光景が広がる。暑い中でも農家の人達が水牛を使い、畑を耕す光景を見る事が出来た。その様子を見た限り、機械を使わず、未だ手作業での農家が殆どのようである。彼らの強靭な体力や食料自給率の高さがベトナム戦争の長く苦しい戦いを支えたと言っても過言ではないだろう。
ベトナム戦争の映画の中では60~70年代のロックがBGMで流れるが、実際にベトナムの田舎をドライブすると、日本の演歌に似た、ベトナムの歌謡曲の方が断然マッチしていた…。


古都フエの約50km北には第一次インドシナ戦争後のジュネーブ条約で決められた北緯17度線の非武装地帯があり、ケ・サンは北ベトナム軍の補給路であるホーチミン・ルートを叩くための前線基地であったのだ。
ケ・サンへ向かう途中、ダグロン橋で休憩する。この橋はホーチミン・ルート上にある重要な橋であり、ベトナム戦争中には、アメリカ軍によって破壊されている。ここからケ・サンへの道は渓谷沿いのカーブの多い山道に入る。高地になると、高床式の家も多くなり山岳民族風の服を着た人も多くなる。
道がラオスの国境に近くなると税関の検問所も見える。米軍基地跡はケ・サンの街の北側にあり、周りを同じ位の高さの山に囲まれた広い赤茶けた丘の上にあった。

の前線基地であった。
ディエンビエンフーの再現を


北ベトナム軍は、テト攻勢後にラオス・カンボジア領を経由する1400kmに及ぶホーチミン・ルートの安全確保の為に、アメリカ軍による補給路を遮断し、ケ・サン基地を叩く作戦であった。つまり、第一次インドシナ戦争のフランス軍を撃破したディエンビエンフーの完全勝利の再現を試みていたと言われている。
1968年1月、北ベトナム軍2個師団24,000名による猛烈なケ・サン包囲攻撃が開始される。アメリカ海兵隊は、その間、1000回を超える物資の空輸や、B52による周辺への猛烈な空爆(ナイアガラ作戦)で逆に北ベトナム軍に打撃を与え、僅か2個連隊だ
けで77日間の猛攻に耐えたのだ。
ケ・サンの戦いは、戦術的にアメリカ軍が勝利し、戦闘力と補給能力の高さを見せた作戦であったが、北ベトナムの勢力圏内にある基地の価値や補給の問題から、4月には基地を破棄することになった。結果的に、アメリカ国民に対してテト攻勢同様、ベトナム戦争への不信感を募らせる要因となってしまったのだ…。



ケ・サン基地跡には、当時の滑走路や破壊された戦車や榴弾砲、ヘリ等が残されていた。米軍は自ら基地を破棄したので、これらは、実際に戦闘で使われたものかは定かでは無い。1968年までにはケ・サン基地の5km周辺には海兵隊と南ベトナム政府軍が北ベトナム軍に対する巨大な防御陣地群を構築していたので、完全に独立した空輸基地ではなかった。
しかし、いくら制空権を確保して、空輸による補給が確立されていても、この高地で連日の様に北ベトナム軍の砲撃に曝された兵士のことを思うと複雑な気持ちになった。今も、当時の土嚢に囲まれた司令部跡には、見たことが無い巨大な羽蟻もウヨウヨしていたので、過酷な環境が伝わってくる。
また、雨の様な空爆や砲撃を受けながら、米軍の強大な火力陣地に肉薄攻撃を仕掛けた北ベトナム軍の兵士達の勇気にも頭が下がった…。
キャプ中井の
ベトナム観光アドバイス③
ベトナムのケ・サンを巡った感想は、開発を進めてはいるが、かなり僻地にあるので、観光を意識して行く場所には程遠い。
歴史の背景や作戦に興味が無い人には、美味い食事や綺麗な景色などは期待できず、山道の車酔いや、炎天下の陣地跡で、巨大な羽アリに足を噛まれることもあるかも知れない。そんな場所だから、訪れる観光客も少ないうえに、現地で拾った弾頭や勲章をゴロゴロ持った土産売りが執拗に声をかけてくるので、ゆっくり視察も出来ず、大変不愉快な思いもする。
普通なら、“要らない=No Thank you!”とハッキリ言えば、諦めるものだが、いつまでも、同じ言葉を繰り返して、執拗に背後に迫ってくるので、真夏のケ・サン基地で波状攻
撃を受ける米兵の気分が何となく理解できた…。
冗談はともかく、これら戦場跡へ訪れる場合は、彼女や妻、子供が同行しても、辛い思いをする可能性も高いので、最初から、目的意識をしっかり伝えて、あえて同行させないことも選択肢であると思う。
逆に、戦史やベトナム戦争に興味のある人達と一緒に現地に赴ければ、とても有意義な旅になるだろう。