2025/08/25
中田商店 ワルサー P38【ビンテージモデルガンコレクションNo.18】
Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2013年9月号に掲載
中田商店が自社でモデルガンの製造を始めた最初の製品がこのワルサーP38だ。美しい形、精緻なメカニズム、黒い金属の肌……多くの人が魅了された。「ルパン三世」が選んだのも、「0011ナポレオン・ソロ」が選んだのもワルサーP38だった。

諸元
メーカー:中田商店
名称:ワルサーP38
主材質: 亜鉛合金
作動方式:手動操作、ロックト・ショート・リコイル
発火方式:前撃針(初期型はフレームに固定、後に銃身内)
撃発機構:ファイアリング・ブロック ハンマー、シングル/ダブル・アクション
使用火薬:平玉紙火薬
カートリッジ:ソリッド・タイプ
全長:21.6cm
重量:965g
口径:9mmパラベラム
装弾数:7発+1
発売年:1966(昭和41)年
発売当時価格:¥3,800、カートリッジ7発付き
※ smG規格(1977年)以前の模擬銃器(金属製モデルガン)は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※ 1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアー・イエローを吹きつけるなどの処置が必要です。
※ 全長や重量のデータはメーカー発表によるもので、実測値ではではありません。また価格は発売当時のものです。
MGCは1965(昭和40)年に発売したブローニング380から、悪用防止策として購入者に18歳以上という年齢制限を設け、住民票提出とユーザー登録を義務づけるとともに、直接販売を始めた。日本高級玩具組合(N.K.G.)のアメ横のショップはほとんどオリジナル製品を持たなかったため、売るものがなくなり、自分たちで作るしかなくなった。
GP Web Editor2025年8月補足:本件は少し補足が必要です。1965年にMGCは、モデルガンを販売する際に購入者から住民票の提示して貰うことを各ショップに求めました。しかし、ショップ側はそれに反発、両者譲らなかったため、MGCは製品の卸を停止したのです。よって一方的にMGCが一般販売店に製品を卸すことをやめ、直販に切り替えたわけではありません。
もはや60年も前の話ですし、当時双方にはそれぞれの言い分があって、さらには表に出てこない様々なことが組み合わさり、今となってはどちらが正しく、どちらが間違っているとは言えません。
ちなみに住民票の提示は、1965年に起こった実銃の発砲事件がきっかけです。実銃の所持許可に関連して、公安委員会が銃砲の所持希望者の身元調査の一環として住民票を所轄警察署に提示を義務付けたことに合わせて、MGCはモデルガンの販売の際に販売店へ購入者の住民票提示を求めたわけです。実銃所持の場合はそれに基づいて身元調査がおこなわれるので住民票の提示は意味がありますが、モデルガンの場合、住民票を提示したところで身元確認がおこなわれるわけではなく、悪用防止効果があったとは考えにくいと感じています。

そこで、早くラインナップを充実させるため、中田商店の中田忠男社長が中心となり、自社でモデルガンを作ると手を上げたところに、人気モデルを割り振っていったという。あらためて床井雅美さんに当時のことをうかがった。
ハドソン/ホンリュー(本流)にはモーゼル・ミリタリー大型自動拳銃があり、マガジンだけが着脱可能な十四年式拳銃もあったらしい。そこでCMC(江原商店)がガバメント、桜邦産業/国際がチーフとPPK、中田がP38を手掛けることになったという。
当時、すでにP38の人気は高かった。一部の人には第二次世界大戦時のドイツ軍の制式拳銃だということは知られていたが、何より人気ハードボイルド小説家、大藪春彦の「みな殺しの歌」や「凶銃ワルサーP38」で使われていた。それを原作とした映画「みな殺しの歌より 拳銃よさらば」(1960)も、連載が開始されるやいなや製作され、その年に公開されている。ここで手作りプロップのP38が使われ話題になった。
前回の原稿でボクは、アメリカ空軍軍属のJ・J・マンカレラという人のP38を六人部さんが取材して製作したと書いた。しかしこれは間違いで、床井さんによると、マンカレラはルガーP08は持っていたものの、P38は持っていなかったという。しかも軍属ではなく、アメリカ第五空軍の軍人だったそうだ。軍の射撃クラブの代表も務めていて、それで軍とも関係のあったコレクターで、ディーラーでもあり、ライターの、あるアメリカ人がP38を持っているというので紹介してくれたのだそうだ。
六人部さんはそれを採寸し、写真を撮り、スケッチもしたらしい。そして原型を完成させた。ただ、前回も書いたように、そのP38はコレクターにナロースライドと呼ばれるレアなものだった。
それは戦後に製造された初期のコマーシャル・タイプで、警察用として使われていたところ、スライドがロッキングブロック用の切り欠き部分から割れるという事故が発生し、その後、左右0.5mmずつスライドの幅を厚くしたという。その改修前なのでナロースライドと呼ばれているらしい。
フレームも2度ほど変更されており、まず軽量化のためアルミ合金が使われることになったという。ところがそのままでは強度が足りないことが判明し、六角形のクロスボルトを入れることになったのだそうだ。つまりアルミフレームでも補強のないフレームも存在するらしい。
当時、よく六人部さんのところに行っていた床井さんは、過去の例から「一旦発禁になると、直しても売れなくなる」と、安全対策として前撃針をバレルの中に設定するのではなく、フレームに固定してバレルはそれにかぶせるようにしてはどうかとアドバイスしたという。なにしろ初めての本格的モデルガンだ。試行錯誤の手探り状態。まだスライドアクションが主流の時代で、MGCのFN380もストライカーをブロックにしてオープンボルトのような形式にしていた。CMCのガバメントは非発火方式だ。






六人部さんは床井さんの提案を取り入れ、スチール製の前撃針のついた板をフレームに鋳込む形式のP38を完成させた。こうするとスライドが前方に抜けなくなるため、スライド後方の砲底面部分をブロックにしてネジで下に取外せるようにした。そしてロッキングブロックは左右分割とし、ネジでバレルに留めるようにした。 さらに、バレルはショートリコイルするのに対して前撃針は固定なので、作動をスムーズにするためカートリッジの全長を少し短くしたという。
発売してみるとスチールの前撃針はサビやすく、発火して遊ぶとすぐに前撃針とバレルがくっついて動かなくなってしまったらしい。MGCのFN380がバレル内に前撃針があっても問題なしだったので、中田のP38も前撃針をバレル内に入れることにした。そんなわけでフレーム固定前撃針は1年ほどでなくなったらしい。
そうだったのか。なぜスライド後方にネジ度めのブロックがあるのか、なぜロッキングブロックをねじで留めているのか不思議に思っていたが、固定前撃針方式だったからか。そして同じカートリッジのはずなのに、なぜハイパワー用よりP38用が短いのか、やっと謎が解明した。






ただ1つ、六人部さんは間違いを冒したという。残弾(装填)指示ピン(シグナル・ピン)の作動方式だ。本来はチャンバーに送り込まれたカートリッジによって押し上げられたピンがバレル後端に当たって後方に突き出る。
しかし中田のP38ではチャンバーに送り込まれたカートリッジ底部によって直接ピンが押しもどされて後方に突き出るようになっていた。これは実銃を取材した際、室内取材のみで実弾を装填することができなかったからだそうだ。
ボクらは中田方式が正しいと思っていた。実は床井さんがメカ解説で早くに書かれていたのだが、多くの人が違っていたことを知るのは、だいぶ後になってからだった。
P38は最初コマーシャルタイプで発売され、のちにミリタリータイプとアンクルタイプも作られた。基本的に刻印とグリップが違うだけ。当時はそれが普通だった。
モデルガン黎明期に、しかも第1号モデルガンとしてここまで完成度の高いP38が作られたことに対して、単純に驚きを禁じえない。もう一度書くが、名銃と呼ぶにふさわしいモデルガンだと思う。







Text & Photos by くろがね ゆう
協力:床井雅美
撮影協力:くま
Gun Professionals 2013年9月号に掲載
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