2025/07/21
MGC GOVERNMENT【Vintage Model-gun Collection No.15】
Vintage Model-gun Collection -No.15-
MGC
GOVERNMENT BLOWBACK-MODEL
(1971年)
Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2013年6月号に掲載
金属製の重いスライドを余裕で動かしてしまうMGCのガバメントブローバックは、発売当時、大きな話題となった。しかし、第一次モデルガン法規制により銃口が閉塞されたことで快調な作動が得られなくなり、わずか1年足らずで製造が中止となってしまった。しかしそのインパクトは大きく、結果としてそれがプラスチック製のガバメント・ブローバックへとつながっていった。



諸元
メーカー:MGC
名称:ガバメントブローバックモデル
主材質:亜鉛合金
撃発機構:シングルアクションハンマー/ファイアリングピン
作動方式:デトネーター方式ブローバック
使用火薬:平玉紙火薬
カートリッジ:オープンタイプ 9.5mm×27エキストラロング
全長:215mm
重量:950g
口径:9mm
装弾数:7発
発売年:1971(昭和46)年
発売当時価格:¥10,000
カートリッジ別売:1発¥35、20発入り1箱¥700)
※SMGマークのない金属製モデルガンは売買禁止です。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて、規制の対象となることがあります。合法的に所持するには、クリアーイエロー等を吹きつけるなどの処置が必要です。
※全長や重量のデータはメーカー発表によるもので、実測値ではありません。また価格は発売当時のものです。
最初の量産型デトネーター方式ブローバックモデルガン、MGCのシュマイザーMP-40が発売されたのは、1968〜1969(昭和43〜44)年頃のことだ。
これは、もともと映画用のプロップガン(当時はステージガンと呼称した)として開発されたものだったが、非常に快調で、特別なノウハウも必要なく(今のキャップ方式とは比べ物にならないが)、一般ユーザーでも使いこなせるだろうということで、市販されることになった。実銃のような迫力の発火と排莢と反動が安全に楽しめる、いわばファンの夢を実現するものだった。
MGCは、1970年にステンMkⅢ、トンプソンM-1921と立て続けにサブマシンガンを発売した。これらはどれも快調で、迫力があって、手入れも比較的簡単で、大人気となった。
そして、ついにファンの声に応え、セミオートのハンドガンも発売されることになる。その第1号がこのガバメントブローバックだった。発売はモデルガン第一次法規制の施行日、1971年10月20日の数ヵ月前。後を追うようにベレッタM-1934、SW/44と立て続けに駆け込み発売された。3機種ともわずかだが、黒くて銃口の開いたモデルが存在したことになる。もちろん、規制以降も持ち続けるには、銃口を塞いで色を塗らなければならなかったが。


今回、記事を書くにあたって設計を担当したタニオ・コバの小林太三社長にお話を伺ったところ、このガバメントブローバックとベレッタM-1934も、MP-40と同じくプロップガンからスタートしたことがわかった。
MP-40は映画「007は二度死ぬ」(1967年)の日本ロケで使うために手作りされたMP-38が原型だ。これは以前、月刊Gun誌2004年1月号の「MGC製シュマイザーMP-40」でも書いた。そして、それが後にTBS系のTVドラマの『ザ・ガードマン』第158話「スイス追撃作戦」(1968年5月10日放送)や、東芝のTVコマーシャルでも使われた。
この「007は二度死ぬ」の日本ロケの時、持つだけのシーンのためにMGCからPPKも提供されたのは皆さんご存知だろう。撮影隊がイギリスへ戻ってからも、このPPKモデルガンは投げるシーンなどで使われたという。
実はこのときMGCは、MP-38の他にもブローバック作動するプロップガンがないかと聞かれ、ベレッタM-1934とガバメントのスタンダードをベースにデトネーター方式ブローバックにしたカスタムも作って提供していたという。
「007は二度死ぬ」は、イギリスもアメリカも日本も1967年6月に公開された。ということは、撮影は1966年から遅くとも1967年の初めまでだろう。この時点でMGCにはプロップガンにできそうなモデルガンが、チーフ、PPK、FN380、ガバメント(GM1)、ルガーP-08、ベレッタM-1934、P-38アンクルくらいしかなかった。リボルバーはほぼそのまま使えるとして、オートマチックは、PPKはスライドアクションだし、FN380はオープンボルトのような機構だし、P-38もスライドアクションだから、ブローバック作動させるのは不可能に近い。ルガーP-08は逆に実銃同様のロック機構をもっているからむずかしい。つまり、デトネーター方式でブローバック化できるのはガバメントとベレッタM-1934しかなかったことになる。






小林さんはガバメントとベレッタM-1934をベースにブローバック プロップガンを手作りしたという。
MP-38同様、それらはスタート用雷管を使うものだったので、パワーが強く、何回か使うと壊れてしまったそうだが、映画では1カットの間だけ持てばOK。次のカットまでに直せばいいのだ。作動は快調だったという。
そこで、これらが市販されることになった。ハンドガンのブローバックを希望する声が高く、ガバメントもベレッタも人気があったからだ。
ただし、やはりうまく発火させるのにいろいろと気を使わなければならず、こまめな手入れも必要で、誰もが気軽に楽しめるモデルではなかった。そのため、完成品として売られた数はそれほど多くなかったという。
ベースとなるスタンダードモデルがあったため、ちょっと試してみたいという人は、ブローバック用のパーツだけ買ってスタンダードモデルに組み込み、自家製ブローバックにチャレンジする人が多かったらしい。
かくいうボクも、当時は中学生で、1挺10,000円もするガバメントブローバックはとても買えなかった。なにしろ発売年である1971年の大卒の初任給が43,000円だ。2012年の大卒初任給が199,600円だから、計算上は今(2013年)の47,000円くらいになる。
これに対して小遣いは確か月500円。これは現在の価値に換算すると2,300円くらい。今(2013年)は中学生だと1,000〜3,000円くらいもらっているようなので、平均的というところか。いずれにしても、そこから300円の雑誌も買う。残った200円を毎月貯金しても10,000円を貯めるには50ヵ月、4年以上もかかってしまう。






そのため、最低限必要なパーツだけを買ってスタンダードモデルに組み込み、最大級の重い金属スライドがブローバックする衝撃を体験したかった。買ったのは、記憶が曖昧だが、スライド一式、バレル、デトネーター、リコイル・スプリング、バッファー・ラバーなど総計約5,000円ほど。衝撃を味わうには連射は不要だから、ディスコネクターは要らないし、ならばディスコネクターのスペースを作ったフレームも必要ない。単発だからチャンバーに手で装填すればマガジンさえもいらない。
最強の反動にもあこがれたが、直接のきっかけとなったのはチラシというか、ミニポスターだった。当時TBS系のTVドラマ「キイハンター」などで人気絶頂だった千葉真一が外国人の子供にガバメントの撃ち方を教えているような写真が使われ、「さあ、ジョン―― あとは引き金を引くだけだ。」というキャッチコピーが付けられていた。ボクはこれにしびれた。「肩で反動を感じる」というコピーもあった。
毎日ながめては想像を膨らませていた。自分がスパイになって世界中を駆け巡り、悪い奴らをガバメントでやっつける。すっかり正義のヒーロー気分だった。撃ったら一体どんな反動なんだろう。いかにも大人の、プロの銃といった雰囲気。子供でも撃てるんだろうか……。
ちょっとずつパーツを買いためて行って、高いパーツは手持ちのモデルガン売るなどして資金にした。そして1年後くらいにとりあえず撃てる状態になった。
不発を避けるための強いメインスプリングと、強いリコイルスプリング、重いスライドを考えて7粒の平玉火薬をつめて試射に挑んだ。カートリッジを途中までチャンバーに入れ、細心の注意でゆっくりとスライドをもどす。トリガーを絞ると……ダンという大きな音と共に薬莢が宙に舞い、強烈な反動が手首を襲った。しっかり構えてはいたつもりだったが、ハンドガンの正しい構え方なんて当時は誰も知らなかったし、教えてくれなかった。ボクは危うくガバメントを落とすところだった。そしてしたたかに手首を痛めた。あと少しで捻挫するところ、かろうじて免れた。






その後、友達も呼んで何回か撃ったが、すでに銃口が閉鎖されていたのでカスがすぐにたまって、10発も撃たない内に掃除が必要になった。しかも、反動が大きくてパーツの損傷が早かった。バレル下のリコイル・スプリング・ガイドなどはすぐに折れ、リコイルスプリングは曲がってしまった。連射はできないし、オープンストップもなし。友達はすぐに興味を失い、ボクもいつしか撃たなくなってしまった。しょせんはまがい物のブローバック。
銃口からガスが抜けなくなって、ブローバックは壁にぶち当たっていた。MGCはこの壁をプラスチックという新しい素材で打破した。第1号こそ強度などを考えたSIG SP47/8だったが、その次にはリクエストの多かったガバメントを発売した。これには金属のガバメントブローバック開発で得たノウハウがすべて注ぎ込まれたという。そして、金型も湯口を改造して樹脂用としても使えるようにし、プラガバの開発に多いに貢献したそうだ。だからプラガバとは一部パーツの互換性があった。
ガバメントスタンダードの金型を使ってガバメントブローバックを作ったため、ブローバックの販売を中止した後は、再びその金型を使ってガバメントスタンダードが製造された。結果としてそれはショートリコイルのない固定型バレルの手動式.45口径モデルとなった。そして金属製のショートリコイルするニューガバメント(GM3)が発売された後も、在庫がある限り販売され、そしてその役目を終えた。
大ヒット作、プラガバの陰には、銃口さえ閉鎖されなければもっと長生きしただろう少数生産の金属ガバメントブローバックがあったのだ。
参考文献: Visier "THE PROUD" model-guns /ビジュエール同人/博欧社 |
Text & Photos by くろがね ゆう
協力:タニオ・コバ 小林太三
撮影協力:maimai
Gun Professionals 2013年6月号に掲載
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