2025/08/01
【NEW】ちょっとヘンな銃器たち19 ピーパーガスシールシリンダーリボルバーPart 1
ピーパーガスシールリボルバー Part 1 メキシカンモデルM1893
ガスシールリボルバーといえばナガンM1895が有名だ。しかし、ナガンと同時期に、ピーパーガスシールリボルバーも作られていた。ほとんど目立たない存在だったこのリボルバーについて、詳しく解説してしてみたい。この銃と開発者である、二コラ・ピーパーについては定説があるものの、事実はかなり異なると思うからだ。
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GP Web Editor補足:ピーパーガスシールリボルバーに関して、一般的に広く語られている情報とは大きく異なる内容となっています。開発者の名前もNicolas Pieperとしていますが、既存の資料ではHenri Pieperとしているものが大半を占めています。従いまして、このレポートは、定説を覆す“新説”であると捉えてください。

ナガンM1895が、フレームに固定させた形式のシリンダーを装備しているのに対し、ピーパーモデル1890ガスシールシリンダーリボルバーは、コルトリボルバーに似た形式のスイングアウトシリンダーを装備している。したがってソリッドフレーム ローディングゲート方式のナガンM1895より、素早く装填排莢ができた。
スイングアウトシリンダーは1870年代にホプキンス&アレン(Hopkins & Allen)等が製品化していたもので、1890年であれば、極端に珍しいものではなかった。但し、コルト初のスイングアウトリボルバーは1889年のModel 1889であり、ピーパーは早くもその翌年にはコルトにかなり近いスイングアウトシリンダーを採用したことになる。
写真のピーパーリボルバーは、かつてアメリカのスミス&ウエッソン社の社内資料ファクトリーミュージアムの収蔵品だったこと示すタグがついている。
ガスシールリボルバーの開発
ガスシールシリンダーを装備するリボルバーといわれて読者の多くが思い浮かべるのは、帝政ロシア陸軍が1895年に選定採用したNagant M1895(ナガン)だろう。
通常のリボルバーは、シリンダーのスムーズな回転が可能なように、シリンダー前面とバレル後端の間にギャップ(隙間)が設けられている。ここから発射ガスの一部が漏れることは誰でも気づく。
より大きな威力が求められる軍用リボルバーでは、このガス漏れがリボルバーの欠点のひとつと考えられていた。発射ガスの一部が漏れるということは、弾薬が本来持っているはずの威力を低下させ、また射程距離を短くしてしまう。とはいえ、このギャップはリボルバーである以上、必要不可欠なものであった。
このリボルバーの欠点の解消に挑戦した銃器設計者がいた。それがエミール・ナガン
(Émile Nagant)とニコラ・ピーパー(Nicolas Pieper:フランス語で二コラ・ピーパー、英語ではニコラス・パイパー)だ。このふたりは共にベルギーの銃砲産業の中心地であるリエージュに住み、ほぼ同じ時期に全く別々にガスシールシリンダーリボルバーの開発を進めた。
ガスシールシリンダーリボルバーとは、シリンダーがハンマーに連動しながら回転し、弾薬1発分の回転を終えるとシリンダーがわずかに前進してバレル後端に密着、バレル後端とシリンダー前面とのギャップをなくしてから発射することで、発射ガスの漏れを防止するメカニズムが組み込まれたリボルバーだ。
この構造を持つリボルバーを開発した目的は、当時、S&W No.3に替わる新たな軍用リボルバーのトライアルを計画していた帝政ロシア陸軍に向けてのものだった。どちらが先にこの開発を始めたのかは明らかでないものの、さほど大きくないリエージュの町で、同じ銃砲産業に従事していたため、互いに同じ方向の開発を進めていたことは知っていただろう。入手できたパテント資料などから、どうやら二コラ・ピーパーがナガンより先に開発に着手していたと推測できる。
だが帝政ロシア陸軍の新たなリボルバーに選定されたのは、エミール・ナガンが完成させた、ナガンガスシールシリンダーリボルバーだった。
ナガンのガスシールシリンダーリボルバーはM1895と名付けられ、ベルギーで生産されて帝政ロシア陸軍に向けて輸出納入された。その後にロシアのツーラ造兵廠でライセンス生産されることになり、ロシア革命後はソビエト・ロシアがライセンス生産を引き継ぎ、なんと第二次世界大戦が終結する前年の1944年までウラル地方に疎開したツーラ造兵廠とイジェブスク造兵廠で生産が続行された。そのためその製造総数は膨大な数量に達している。
今回の主題はこのナガンM1895ではなく、一方のニコラ・ピーパーが完成させたピーパーガスシールシリンダーリボルバーだ。ベルギーはフランス語圏であるため、このリポートでは、彼の名前や彼の名前がつけられた製品名をフランス語に準じてピーパーと表記する。もともと彼はドイツ人であるため、英語圏やドイツ語圏で彼の名前は、アルファベットの表記綴りこそ変わらないものの、通常ニコラス・パイパーと発音されることが多い。
同時期に同じ町で開発が進められた2機種のガスシールシリンダーリボルバーはいろいろな面で対照的だ。シリンダーを前進させてバレル後端に密着させる基本的な考え方は同一だが、シリンダーを後退位置で回転させ、射撃直前にシリンダーを前進させるメカニズムはまったく異なる。その作動メカニズムについては写真キャプションに記するが、次回、細かく解説したい。
ピーパーリボルバー
完成された2つのリボルバーが辿ったその後も、劇的なほど対照的だった。1895ナガンリボルバーが帝政ロシア陸軍によって選定採用され、膨大な量が製造されたのに対し、ピーパーのガスシールシリンダーリボルバーは、メキシコ軍によって限定的に採用されただけに留まる。
メキシコの他にも動きはあった。19世紀末にオーストリア・ハンガリー帝国が軍用兵器の近代化に向けて動き出すと、オーストリアの大手銃器製造メーカーであるシュタイヤー(Steyr)が、ニコラ・ピーパーからライセンス製造権を取得し、一部改良して製造した。しかし、最終的にラスト&ガッサー(Rast & Gasser)M1898がオーストリア軍用リボルバーに選定され、ピーパーリボルバーの改良型は採用を逃した。
そこでシュタイヤーは、海外の軍隊向けに輸出を計画したものの、軍用ピストルはリボルバーからセミオートマチックピストルへと時代が移行しつつあったため成功せず、営業的な見地から量産に移行することなく製造中止となっている。
そのため、シュタイヤー ピーパーガスシールシリンダーリボルバー トライアルモデルは、わずかな数量が製造されただけだった。その結果、このリボルバーは数少ないピーパーガスシールシリンダーリボルバーの中でも特に珍しい製品ととされるようになり、Aクラスのコレクターズアイテムとなっている。
メキシコ軍に納入されたピーパーリボルバーと、オーストリアで製造されたシュタイヤーピーパーリボルバーは、同じガスシールシリンダーシステムが組み込まれているものの、その外見も異なっている。そこで混同を避ける目的で、それぞれを別にご紹介することにした。今回はM1893オリジナルピーパーガスシールリボルバーを採り上げたい。