2025/07/18
Type 14 十四年式拳銃を再検証する
Text &Photos by Turk Takano
Gun Professionals 2014年2月号掲載
旧帝国陸海軍が使用した十四年式拳銃の実射性能に対する米国での評価は非常に低い。作動不良が多発して、まともに動かないからだ。だが、そんな性能の悪い銃をかつての日本軍が採用したはずがない。これは作動不良の原因を探る1回目のリポートだ。
旧帝国陸海軍が使用した軍用拳銃(ミリタリーサイドアーム)にはいくつかの種類がある。回転式の二十六年式、その後に開発された南部式、十四年式、そして九四式拳銃は半自動式拳銃だった。
回転式の二十六年式は口径9mm、そして半自動拳銃は8mm南部弾を使う。これらはいずれも日本独自の弾薬で、米国市場ではそれぞれ9mm Japanese、8mm Nambuと呼んでいる。但し、これら日本軍のピストルカートリッジは米国ではあまりメジャーではない。1980年代までなら一部の所持者によりリローディングもされていたものの、その後急速に廃ってしまった。そうなった理由なども含め、これまでとは違った角度で日本陸軍の半自動サイドアームの主力であった十四年式について語ろうと思う。
日本軍拳銃は旧Gun誌で何回にも亘ってリポートされ、「またか…もうゲップ気味だよ…」と思われるかもしれない。確かにそういわれても仕方がないほど取り上げてきた。そこで今回は主にカートリッジに焦点を絞って話を進めたい。




The Hand Cannons of Imperial Japan
米国での十四年式の評判はイマイチだった。第二次大戦後、米国市場には各国中古サイドアームがガンショー、通販で容易に購入できた。それらの中で注目された日本軍物となるとベビー南部、南部式(甲乙)ぐらいでその他は一山いくらの状態が1970年代まで続いた。一つは日本軍拳銃の格好が欧米物と違い、米国人の趣向に合わなかったことも一つの理由だった。その中で比較的注目された南部式は格好が良かったことが幸いした。これは年配者の受け売りではなくその時代、ガンショーめぐりをやった筆者の経験からそう実感している。
九四式も含め日本軍拳銃が急に注目されるようになったのは1980年代後半だった。1980年代初め、日本軍拳銃に焦点をあわせた本が出版されたことが少なからず影響を与えたようだ。その本は、“The Hand Cannons of Imperial Japan”で、表紙にはちゃんと日本語で“日本帝国の拳銃”と縦書きされていた。著者はHarry Derby氏である。
この本が以後の日本軍兵器関係書籍出版の口火を切ったといえるかも知れない。この時点で既に英語の日本軍小銃、騎兵銃の書物はあったが、それらはどれも間違いだらけだった。それらと比べると“The Hand Cannons of Imperial Japan”は正確だ。
欧米人が執筆した英語版の日本軍兵器の記述の間違いが日本で指摘された話も小耳に挟む。しかし日本語で書かれた専門書がいくら立派な正確無比の情報満載でも、世界からは相手にされない。世界の標準語は、好むと好まざるとにかかわらず英語だからだ。銃器本だけでなくすべての分野にそれがいえる。時として間違った記述が世界の中で一人歩きすることもなんら珍しくはない。
“The Hand Cannons of Imperial Japan”には、これまであまり知られていないモデル、試作または限定量産で終了した日野式、浜田式、稲垣式などが掲載されていた。筆者も1980年代、サウスカロライナ州のH. Derby氏を訪ねていき、これら珍しいモデルを実際に手にとり見せて貰った。それらはどれもこの後、二度と目にする事がなかったモデルだったと言えば、どれだけ珍しいかを想像できると思う。
今回の写真にある二十六年式拳銃の1挺、シリアルナンバー51095(日本工廠再仕上げ)は訪ねた時、Derby氏から譲って貰ったものである。“The Hand Cannons of Imperial Japan”は、それまでしっかりした情報が公にされておらず、謎が多かった日本軍拳銃を写真、図面付きで詳細に解説し、コレクションとしての日本軍拳銃の魅力を伝えた最初の書籍ではなかろうかと思う。
30年前ならともかく今日(2014年時点)、日本軍拳銃をレンジで見かけることはまずない。もっともドイツ軍拳銃にもそれが言える。これらがコレクターズアイテムとなってガンセイフの中で眠っているのは惜しいと考える所持者もいる。弾があれば撃ちたいと思っている所持者もいるに違いない。
しかし、市販カートリッジがないとなると射撃の希望も叶わない。リローディンダイなどを揃えてとなると、それなりの知識が必要であり、面倒くさいことは確かだ。今回は歴史がどうのといった話は極力やめにし、十四年式が何故もこれほど軍用サイドアームとして評価が低いのか、その辺に焦点を絞り検証してみたい。
過ぎ去ったことに“こうすればよかったとか、ああすればよかった”といっても始まらない。歴史の“もし”が生かせるのは将来でしかない。歴史家でもない筆者は、歴史に能書きを垂れる立場ではないのだ。




8mm南部
十四年式の母体となったのは南部式半自動拳銃である。完成が1902~1904年の間というから列強国に遅れをとったわけではない。選んだ口径/カートリッジは8mm南部という7.65mm Lugerをベースにしたような高性能を思わせるボトルネックカートリッジだった。1900年、DWM(Deutsche Waffen Munition)が完成した7.65mm Lugerそっくりだったが、格好とは裏腹に性能に大きな違いがあった。ちなみに7.65mm Lugerを9mmにネックアップしたのが1904年に登場の9mm Lugerである。

7.65mm Luger 93gr FMJ は、銃口初速/初活力1,220fps/307ft.lbだ。これに対し8mm南部は102gr FMJ、銃口初速/初活力が960fps/202ft.lbとなっている。これらのデータはカートリッジ オブ ザ ワールドからのものだ。南部式の威力は.380ACPと同等かそれ以下で、ボトルネックに似つかない低性能だった。
8mm南部が登場した時期、7.65mmルガー以外にも7.65mm(.30)ボーチャード、7.63mm(.30)マウザーなどがあり、日本にも参考としてこれらは輸入されたはずだ。南部麒次郎氏もこの時期、ヨーロッパに視察旅行に行っている。威力の大きい7.63mmマウザーはともかく、7.65mmルガーは手っ取り早くコピーできたはずだが、日本人にはリコイルが大きすぎるということなのか、減装弾の8mm南部に落ち着いた。
ただこの時期、参考にするセミオートピストルカートリッジの種類は少なかった。9mmルガーが登場するのは既に触れた通り1904年であり、この時、南部式口径8mm南部は完成していた。続々各種9mm弾が登場するのは1905年以降となる。結果を語れば9mmルガーが残り、その末裔である9mm×19は今も各国の制式サイドアーム口径として活躍している。その意味では8mm南部は時代の先駆けだったともいえる。
7.65mmルガーを参考にしても威力をカーボンコピーしなかった理由は、当時の賢者の判断であり、100年以上経過した今、ああでもない、こうでもないと論じてもさしたる意味はない。読者も知るようにライフル、サイドアームの口径については、どの時代でも議論の対象となる。歴史を遡れば、何が優れ、何が優れていなかったかを知ることができる。
ただ注目したいのは日本軍の試作品の中に16発大型マガジンを採用したモデルがあったことだ。日本にもこのアイデアがあり、実践されていたのだ。“ものづくり日本”の本領と言える。しかしマガジンが大型になれば弾の補給も大変だ。どっちみち、財政的に日本軍が採用したとは到底思えないが…。16発マガジンのモデルに5発配給するわけには行かないからだ。何のためかの16発マガジンかわからなくなる。しかし16発マガジンの信頼性ある軍用拳銃が陸戦隊に大量装備されていたら…、違った戦いができたのではないかと思ったりもする。これも“もし”の話だが…。
米軍はサイドアームを近接戦闘で使うというアイデアを持っていたが、日本軍に当時、同じ様な考えがあったとは到底思えない。日本兵にとっては日本刀の方が手っ取り早かったはずだ。










オリジナルカートリッジ
今回、アンティーク銃器ディーラーから9mm Japaneseの未発射オリジナルカートリッジ(旧軍時代に製造されたもの)10発を入手した。幸運もいいところだった。1発10~15ドルの世界である。8mm南部は更にレアで、ほとんど見かけることはない。これら日本製弾薬の共通点は不発がほとんどで筆者もこれまで何回も試みたが、発射できたという幸運にめぐり合っていない。今回、入手した9mm Japaneseも試みる予定はない。性能がわかっているので高価なコレクションを不発で終わらせることは止めることにした。ましてやベルダンプライマーなのでリロードもできない。リロード用にはミッドウェイ製のボクサータイプ プライマー9mm Japaneseケースがある。
9mm Japanese カートリッジ入手と前後して8mm南部も2発ではあるが入手した。値段は大袈裟だがゴールドを買うようなものだった。“見つかっただけでもありがたく思え”というレベルのもの…。実は少なくとも8発は入手したかったのだが…。理由はオリジナルカートリッジでマガジンとの相性をチェックしたかったからだ。「そんなことはリローディングカートリッジでできるではないか?」と思われるかもしれない。この部分が今回のリポートの焦点の一つでもある。


