2025/07/13
Gun History Room 7 戦前日本の民間拳銃事情 Ⅰ~ブローニング拳銃は人気商品だったのか?~
Gun Professionals 2014年9月号に掲載
ブローニング モデル1910は戦前戦中の日本に数多く存在し、戦後も長い間、私服警官が使用していたという事実は良く知られている。ではなぜ他の銃ではなく、ブローニングだったのか。ここではその理由を探ってみたい。
日本への拳銃輸入の系譜
拳銃の輸入は、明治5(1872)年に発布された「銃砲取締令」に拳銃所持を禁止する内容がないので、幕末から途切れることなく続いていたようだが、筆者が確認できた最初の史料は、横浜の金丸(かなまる)銃砲店の『各種雛形精密図入銃砲正価報告書 上・下』明治22(1890)年という拳銃販売型録(カタログ)だ。
ここに掲載された拳銃は、S&W、コルト、H&R(ハーリントン&リチャードソン)、アイバージョンソンの4社だが、拳銃の挿絵が極めて不鮮明で、個々のメーカー名も書かれていないことから、機種も個々のメーカーの特定も難しい。ほぼすべてが中折れリボルバーで、グリップセイフティが付き、ハンマーレス、もしくは折り畳みハンマースパーのものだという事と、価格は2円50銭から35円だという事くらいしかわからない。
自動拳銃の輸入については、筆者が確認できた限りでは、金丸銃砲店刊『猟銃及猟用具』明治39(1906)年の174ページに最新式“コールト”自働拳銃、P.186にモーゼル自働拳銃と言う広告記事が最初だ。
但し、国立国会図書館の蔵書を見る限り、1898(明治31)年から1906(明治39)年までの金丸銃砲店刊行の印刷物が見当たらず、コルトは“最新式”と謳っている一方で、モーゼルには最新式の表記がないので、モーゼルが先に輸入されていた形跡がうかがわれ、日本への自動拳銃輸入はもう少し遡る可能性が高い。
ところで金丸銃砲店は、カタログの他に『銃猟界』という雑誌を明治37(1904)年から刊行しており、国立国会図書館には146冊が所収されている。ここに掲載された自社の広告や記事を辿ることで、拳銃のみならず当時の射撃や狩猟と、それにかかわる銃器の動向をかなり詳しく知ることができる。
それによれば、大正元年(1912)10月の広告で「時代に遅れること勿れ」と題して、初めてブローニング拳銃が紹介されている。

しかし、その後2年もたたずに第一次世界大戦が起こったため、欧州からの拳銃輸入は途絶え、この間はもっぱら米国製のアイバージョンソンリボルバーと、珍しいH&Rのオートマチック(英ウエブリー社のライセンス生産品)などでお茶を濁すような状態が続く。
再び本格的に自動拳銃が日本に入荷するのは1920年代初頭(大正10年以降)の事で、日本での自動拳銃全盛期と言うのはその後15年ほどの間と考えて良い。
そして昭和6(1931)年、満洲事変による日本の国際信用の失墜と、同年末の金本位制廃止に伴う円の急激な下落で、それまでの円ドル交換レートだった100円=49.8ドルから一気に100円=20ドルを割り込む超円安となる。
これにより、従来米国から輸入していた商品の価格が一挙に約2.5倍に暴騰した。例えばそれまで50円だった自動拳銃が、なんと125円になってしまうのだ。
これでは、富裕層でも気軽に購入できる価格ではなく、民間市場での外国製自動拳銃販売の歴史は、日中戦争の開始を待たずして一気に終焉を迎える事となってしまった。
販売機種と価格について
資料1

金丸銃砲店刊『銃猟界』各号、粟谷銃砲火薬店カタログ 昭和4年版と昭和5年版、1931年版コルト社カタログより作成。
当時輸入にあたって、拳銃1挺に対する関税は7円22銭、陸揚げ料、上屋敷料、運送料、通関手数料を含め、仕入れ金額以外に約10円=5ドルの費用を要した。
どのような自動拳銃が日本に輸入されていたかは上の資料1をご覧いただきたい。
これは、大正期に横浜の大手銃砲店だった金丸銃砲店発行の『銃猟界』と、大阪の大手銃砲店粟谷(あわや)銃砲火薬店の昭和4(1929)年カタログ掲載の拳銃の機種と価格に1931(昭和6)年版のコルト社カタログの同一機種の価格を合わせて作成したものだ。
メーカー名で上げれば、モーゼル、コルト、ブローニング、アイバージョンソン、H&R、アストラといったところで、ワルサーは見当たらないし、明治期には輸入されていたS&Wも早々に姿を消している。
これは、本来銃砲店は散弾銃やライフルが販売の主力であり、拳銃は見込める販売数も少なく、販売手続きにも許可が必要で煩瑣な上に、単価も安い(外国製散弾銃やライフルは100円以上)事から、あくまでも銃砲店にとっては商品構成上の追加商品であった事が大きな原因だろう。
従って、S&Wやワルサーのように、散弾銃やライフルの生産がないメーカーの拳銃は商業ベースに乗って輸入されていなかったようだ。
GP Web Editor 2025年7月補足:コルトやアストラも拳銃メーカーなので必ずしも、そういった理由だとは言い切れないと思います。実はワルサーも1920年代にはライフルやショットガンを製品化していたりもします。おそらく相手国の輸出業者の取り扱い品目から来た機種選定でしょうね。

ブローニング拳銃の人気
ブローニング拳銃の輸入についていえば、そのメーカーであるFN社にはブローニングオート5という、当時超売れ筋の自動散弾銃があり、第一次大戦中この輸入が滞ると、ほぼ同形式のレミントン 11の輸入で急場をしのぐほどの人気だった。
しかし自動散弾銃としてのブランド遡及力はブローニングの方が上で、ほぼ同じ銃でありながら当時ブローニングオート5が160円ほどするのに対してレミントンM11は135円と少し安くなっている。
こうしたFN社とのつながりから、ブローニング拳銃は日本へ輸入されたとみられるが、既に先行して自動拳銃ではモーゼルとコルトが輸入されており、筆者の調査の限りでは、ブローニング拳銃はM1910の登場以降早い時期に商業ベースで日本に輸入されたが、第一次大戦のために一時中断し、日本市場に本格投入された時期は大正9(1920)年からだ。
ブローニング拳銃は日本では後発ながら、その登場の大正9(1920)年にM1910が60円、M1906が55円だったものが、翌年にはそれぞれ50円と45円に値が下がり、更に大正12(1923)年にはそれぞれ35円と30円まで値を下げている。
これに対して、コルトは大正10(1921)年以降でもモデル1903ハンマーレスポケットが60円、ヴェストポケット1908が50円、ウッズマンが80円と、かなり割高な価格設定となっている。
本誌読者の皆様には釈迦に説法かもしれないが、ブローニング モデル1906とコルト モデル1908はほぼ同じ拳銃と言ってよく、同じくブローニング モデル1910とコルト モデル1903ハンマーレスも打撃方式とリコイルスプリングの配置と全体の大きさにやや相違がある以外、威力、機能ともにほぼ同じだ。
当時日本の銃砲店でこの2つの拳銃を比べてみた人にとっても、ほぼ同じものであることは一目瞭然で、であるならば普通は安価なブローニングを選択するのが人情と言うものだろう。
しかし、なぜほぼ同じ拳銃の販売単価がこれほどまで違うのだろうか?これについて筆者は、コルトはドル建て輸入、ブローニングはポンド建て輸入で円対ドル、円対ポンドの交換レートの問題かと考えてみた、それは常にポンドの交換比率はドルに対して70%程度だからだ。
しかし、もしそうなら先に見たブローニングオート5とレミントン11の価格は逆転していなければならないのでこれは違うのだろう。
結局このあたりは、当時の一人当たりGDPで見た場合、米国は欧州各国の平均的GDPの2倍程もあるという事で、それほど個人所得の高い米国市場の拳銃市販価格は、他国民からすれば高価であったという事だろう。
元来は、その市場を米国と欧州で棲み分けて販売する予定のコルトとブローニングが、たまたまその想定外の日本と言う市場にどちらも輸入されてバッティングしてしまったわけだ。
昭和4(1929)年の日本人1人当たりGDPから所得を換算してみると、平均年収は、425ドルで日本円にして852円となり、これを12ヵ月で割れば月収は71円になるが、盆暮れに一括支払いをしていた当時の風習を考えれば、通常月は50円から60円で生活していたと考えられるが、拳銃の価格からすれば拳銃の購入層は平均以上の所得水準の階層だろう。
それでも当時の日本人の一般的所得水準は米国の1/4でしかないので、ブローニング拳銃の人気に軍配が上がるのは当然と言えば当然だ。
拳銃の所持実態
昭和7(1932)年末の正規拳銃所持数は、司法省司法研究所刊の『司法研究 第十八輯』によれば全国で43,261挺であり、その廰府県別所持数の順位と、これを廰府県別人口で割った拳銃所持密度を表にしたのが、資料2だ。

資料3

これに内務省警保局が昭和4(1929)年1月に作成した書類『銃砲火薬類取締統計書』(アジア歴史資料センター:A05020124600)に所収されている職業別拳銃携帯者数を職業別比率に直したものが資料3だ。
この2つの史料を見ると、拳銃の所持は東京・大阪の大都市近県に多く、今日の銃砲行政同様で地域による許可の格差が大きい事がわかる。
また職業別に見た場合、農業の比率が高いが、これは当時の産業別人口に占める農業の割合が圧倒的に高かったので当然の結果だと言える。
神官僧侶のような一見拳銃とは無縁の職業に所持者があるのは、海外植民地の辺境まで布教活動に赴いていたための護身用であり、教員にも単身植民地学校への赴任などでその傾向があったようで、当時の時代性が感じられる。
また官吏に関しては、警察官の私物拳銃や海軍軍人(海軍軍人の服装令には拳銃所持の根拠がない)、陸軍の准士官以下の下士官兵の私物拳銃所持が含まれる可能性が高い。
また、資料4には史料が残っている各県警の装備拳銃の実態を表にした。

関東大震災後の治安維持に手を焼き、その後拳銃の装備に踏み切った警察であるが、当初拳銃装備については、陸軍にその指導を仰ぎ、東京憲兵隊の将校下士官が警察官を指導したが、その際警察から教材として持ち込まれた拳銃はコルトの.32口径と.25口径で各々5挺と1挺だったという記録がある。時期は大正12(1923)年末で、この時期に内務省警保局による警察指定拳銃はコルト及びブローニングの.32口径及び.25口径拳銃とされている。
しかし、表に現れた結果は、記録が残る10県の警察でコルトの採用は全くなく、ブローニングが主で、愛知県に至っては当初コルトで内務省から得た許可をブローニングに変更するような状況もあり、ここでも同じような品質の物なら安い方が良いという考え方が働いているようだ。とりもなおさず、良品安価がブローニング拳銃の人気の秘密だったという事だろう。

ハーリントン&リチャードソンとL.U.A.という正体不明の中折式リボルバー
Text by 杉浦久也
Gun Professionals 2014年9月号に掲載
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