2025/06/23
MGC COLT SPECIAL【Vintage Model-gun Collection No.11】
Vintage Model-gun Collection -No.11-
MGC
COLT SPECIAL
(1962年)
Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2013年2月号に掲載
第一次ガンブームは輸入トイガンに始まり、徐々にそれをベースとしてカスタムしたものへと進化し、ついには純国産のモデルガンが誕生する。今回取り上げるモデルは、前回の江原商店のSAA同様、そんな黎明期に作られたカスタムモデルだ。ベースはアメリカ製のトイガン。しかしこれもまた、その後のモデルガンの方向性を示す貴重なモデルだった。
諸元
メーカー:MGC(日本モデルガンコレクション協会)
名称:コルト・スペシャル(当初はコルト・オートマチック・デラックス)
主材質:亜鉛合金、クルミ(グリップ)
作動方式:スプリング・アクション半自動排莢式
発火機構:なし
カートリッジ:空薬莢型ダミー
全長:16.5cm*1
口径:.38ACP*2
重量:400g*2
装弾数:6発*2
発売年:1962年(昭和37年)
発売当時価格:¥3,000-(カートリッジ6発付き)*2、
黒革ホルスター付き¥4,200-*1
*1:「拳銃ファン」1962年3月号(小出書房)国際ガンクラブ広告より
*2:「ガンファン」1962年9月号/モデルガン教室「ヒューブレイオートマチックピストル」/酒楽昭三(小出書房)より
※smG規格(1977年)以前の模擬銃器(金属製モデルガン)は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアー・イエロー等を吹きつけるなどの処置が必要です。
※全長や重量のデータは実測値ではではありません。
1960(昭和35)年10月「日本モデルガンコレクション協会(日本MGC協会、後のMGC)」が設立され、会員登録した者にだけ、輸入玩具のピストルを黒く仕上げ直した「モデルガン」の販売(当時は頒布と称していた)を開始した。
「モデルガン」とはMGCの造語で、実銃ではないが、しかし子供向けのトイガンでもないといった新ジャンルを表す意図から付けられた。当時はトイガンを買う人たちのほとんどが大人だったこともあり、製品の大ヒットとも重なって、一気に「モデルガン」という名称は広まった。
実際、輸入トイガンは高価であり、それを大人に対して玩具、おもちゃのテッポウなどと言うのは具合が悪かったのだろう。「モデルガン」なら何やら高級感が漂う。すぐに同業他社や出版社などもこぞって「モデルガン」の用語を使うようになる。
似たような会社に「国際ガンクラブ」があったが、こちらは通販で一般にも販売していた。ただ会員になると機関誌「GUN」が配布され、情報提供や優待販売があった。この機関誌がのちに「月刊Gun」誌になり出版がメインとなるものの、基本的に販売のみで、MGCや江原商店(CMC)のようにカスタム化や製造を手掛けることはなかった。
MGCもGUNの知識の普及のため「M.G.C.」という会報を発行したり、1965( 昭和40)年からは機関誌「Visier(ビジエール)」を発行するようになるが、メインはあくまでも製造だった。
そのMGCの第1作がアメリカ、マテル社の「スナブ・ノーズ38」。いかにも子供向けの銀色めっきの上から、プラスチックを溶かさない非シンナー系の塗料を吹き付けて黒く仕上げたもの。
これを掲載したMGCのカタログ見て、就職希望の手紙を出したのが、奈良の小林太三さんだった。ボクはこの手紙の実物を1980年頃に見せていただいたことがあるのだが、縦書きで左から右へ書かれた独特のものだった。こうするとインクが乾かなくても次の行に進むことができて合理的だ。確かガンブルーを「鉄灰色」とか訳していたのを、それはおかしいと指摘していたのではなかっただろうか。


いずれにしても、その一風変わった手紙は社長の目に留まり、1月2日、社長が奈良まで行って面接し、採用が決まったという。そして小林さんは1月10日に上京、すぐに仕事が始まった。資料によって表記が異なるが、MGCの創立が1960年10月、本作の発売が1962年であることなどから推定すると、これは1961年(昭和36年)のことだったようだ。
小林さんはMGC入社前から輸入トイガンをベースにした自作カスタムを作っており、それを7〜8挺、東京に持ってきていた。その中の1つに排莢式ヒューブレー・オートマチックがあった。ご自身でも他誌に書かれているように、ジャンク屋で見つけた実銃の.32オートのマガジンケースに自分でスプリングとフォロワーを作って入れ、ダミーのバレルを装着。巻玉のホルダーをとっぱらい、スライドには引きばねを引っかけ、その後方にカートリッジを押し出すブロックをねじ留めした。
ホーワ300(M1カービンのスポーター)の空薬莢を短く切断したものをマガジンに装填し、スライドを手で前方に押し戻してトリガーの延長部に引っかけ閉鎖状態にしてトリガーを引くと、スライドがばねの力で下がってマガジン上部の空薬莢をマガジンスプリングの力で外に排莢する。この時、金属のスライドがばねの力で後退してフレームに突き当たるため、思った以上に反動というか衝撃がある。火薬こそ使えないが、撃ったような手応えがあった。この機構がのちのスライドアクションにつながっていったのは間違いないだろう。初期のつづみ弾を使うエアソフトガンのブローバック、「プッシュロード」にも通じるものだ。
当時、小林さんは納品でアメ横へよく行っており、そこにある有名店「ホビース商会」のEさんにこの排莢式ヒューブレーを見せたところ、多いに気に入ってこれを量産して売ろうということになったという。ベースのヒューブレーはいくらでも調達してやると。
そのころのMGCは、会社といっても大田区鵜ノ木にあった普通の民家の四畳半一間の間借り。本格的に製造を手掛けるため4月か5月くらいに蒲田(萩中町)の一軒家へ引っ越したという。
ところが、塗装用の溶剤の匂いや、ボール盤の作動音、ストレス解消の撃発音(!)などに、近所からの苦情が相次いだという。それで、わずか半年あまりで再び引っ越しすることになった。1962年1月10日のことだ。リアルな「モデルガン」の大ヒットで予算はあったらしい。
但し、それは浦和の田んぼの真ん中に建てた小屋のような建物だった。しかも工作機械は蒲田から持って行ったボール盤1台のみ。必要なパーツはすべて外注だったという。ほとんどヒューブレー・カスタムを量産するためのような移転だったらしい。
MGCでは当初それを「コルト・オートマチック・デラックス」と呼んでおり、「拳銃ファン(後にガンファン)」誌ではヒューブレー・オートマチック2型と呼んでいる。販売店によってはコルト45オートマチックとか、勝手な名前で呼ぶところもあったようだ。後にMGCはこれを「コルト・スペシャル」に改めている。






フレームには「HUBLEY AUTOMATIC」の浮き彫りが残されたままだったが、スライドにはのちに左面に「SUPER AUTO MODEL COLT CALIBER 38ACP」の文字、右面に「37610H」の文字が刻まれたという。雑誌では本当のシリアルだろうかと疑問を投げ掛けているが、小林さんお得意の「日付」の可能性が高い。というのも、このコルト・スペシャルの大ヒットを受けて作られたヒューブレー・カスタムのバリエーションとして、ワルサーP38とベレッタM1934も作られており、そのP38のナンバー刻印が「J37601B」だというのだ。とすると「37」は「昭和37年」である可能性が高い。ただ「610」が「6月10日」で、「601」が「6月1日」では順番が逆になってしまう。Hが月だとすると8番目、Bは2番目になるからこれも理にかなわない……。
小林さんに伺ってみると、もう古いことでほとんど記憶にないがと前置きされた上で、当初ヒューブレー・カスタムには刻印を入れていなかったという。しかしP38を作る頃になって、文字も入れようということになり、近くにあった機械彫刻屋さんに依頼したような記憶があると。それがきっかけとなって、その会社とはMGC社内でプレス式の彫刻ができるようになるまで、長いつき合いとなったのだとか。で、機械彫刻で1挺1挺数字を変えてシリアル・ナンバーを刻むのはコストが掛かり過ぎるから、日付をもじってそれらしく入れたのではなかったかと思うと。ただし、日付の数字だけではすべて同じになってしまうので、100挺ぐらいごとにアルファベットを前や後ろに足して変化をつけ、シリアルナンバーらしくアレンジしていた記憶があるという。
つまり、「37610H」「J37601B」も昭和37年(1962年)に刻印を入れ始めた日付で、順番が逆になっていてもおかしくないのだそうだ。
コルト・スペシャルは大ヒットとなった。しかし、当時MGCの社員は社長を含めてたったの4人! 寝る時間さえないような、もの凄い忙しさだったという。アルバイトを雇っても足りず、出前を頼み、それを持ってきた人にまで手伝わせていたらしい!





発売当初、オリジナルのヒューブレー・オートマチック(原型)が1,000円、MGCで黒く着色した「モデルガン」のヒューブレー・オートマチック(2型:ガンファン誌での呼称)が1,300円だった。一方コルト・オートマチック・デラックスは3,000円(後にコルト・スペシャルで3,500円になる)。これが飛ぶように売れたらしい。
そして、これで得た資金を元に、いよいよ小林さんの念願でもあり、ファンからの要望も多かった発火モデルの開発に取り掛かる。それがヒューブレー・ベースのコルト・コマンダーだ。1962年7月発売といわれる。
実弾型のカートリッジ底部にコブラキャップを装着してマガジンに詰め、マガジンを本体にもどしたらスライドを引いて放し第一弾を装填、トリガーを引くとハンマーが倒れてファイアリングピンをたたき、ファイアリングピンがコブラキャップをたたいて発火。カートリッジの穴を通して発火ガスが前方に抜け、インサートのあるバレルを通って銃口から出る。ここでスライドを再び引くと撃ちガラが排莢され、手を放せば次弾が装填されるというリアルなもの。
発売と同時に大ヒットとなるが、4カ月後の11月、警察庁保安課の行政指導により、製造・販売の中止と製品の回収という事態にいたってしまう。そして指示通り、バレルをプラスチックにし、ブリーチ後部に突起を設けてそこにコブラキャップを詰める方式に改めて、再発売する。
このころ発売されたのが本流/ハドソンのモーゼル大型軍用自動拳銃で、最初は発火機構はなかった。MGCのスライドアクションのVPIIは1962年9月から設計を開始し、改造防止機構に手間取り、12月末から製造を開始したらしい。
こうして見てみると、モデルガンの歴史において、純国産モデルガンが誕生するまでの過渡期において、コルト・スペシャルの果たした役割はとても大きかったといえるだろう。歴史に残すべきモデルガンだ。







参考文献 拳銃ファン1962年9月号/モデルガン教室「ヒューブレイオートマチックピストル」/酒楽昭三/小出書房 モデルガン・チャレンジャー1983年8月号、9月号、10月号/実録モデルガン誕生/生駒良弘/ダイヤモンド MGCカタログNO.1 /日本MGC協会 |
Text & Photos by くろがね ゆう
協力:タニオ・コバ 小林太三
撮影・資料協力:maimai
Gun Professionals 2013年2月号に掲載
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