2025/01/25
Sa vz. 61 Škorpion Pistol スコーピオン・サブマシンガンの民間向けセミオート・モデル
スコーピオン・サブマシンガンの民間向けセミオート・モデル
Sa vz. 61 Škorpion Pistol
Text and Photos by Terry Yano
Special thanks to Tsuki-san, Nelson-san, Dan Brown (CzechPoint, Inc.), and Richard Zapletal (CZ-UB)
Gun Professionals 2012年8月号に掲載

はじめに
独特のスタイルを持つスコーピオン( 英語表記では“Scor pi on”、「さそり」)と呼ばれるサブマシンガン(以後はSMGと略す)は、日本では何度かトイガン化されていることもあり、本誌読者のような銃器ファンにはよく知られたモデルであろう。
SMGという言葉は、ハンドガン・カートリッジを使用するフルオート射撃が可能な銃器を指して用いるべきだと思うのだが、ライフル・カートリッジを使用する銃器でもSMGと呼称されることもあり、混乱を招いている。加えて、ハンドガン・サイズのセレクティブ・ファイア・ウェポン(セミ/フルオート射撃が可能な銃器)は、マシン・ピストルと分類される場合もあることは、ご存知のとおりだ。
旧チェコスロヴァキアで生まれたスコーピオンSMGの正式な名称は“Samopal Vzor 61(サモパル・ビゾール61、短機関銃モデル61)Škorpion”で、“Sa vz. 61”と略記されることが多い。“Škorpion”は、CZ-UBのザプレタル氏の発音を私なりにカタカナ表記すれば「シュコーピオン」なのだが、このリポートではあえて「スコーピオン」と表記する。
今回紹介する銃器は、アメリカでハンドガンとして分類されるセミオート・オンリーの民間用スコーピオン・ピストルだが、これを機にスコーピオンSMGについても解説したい。
特殊小型SMGの開発背景
銃器製造に関して比較的長い歴史をもつ旧チェコスロヴァキアは、第二次大戦後の軍用銃開発でも優れたデザインを世界に示している。1948年8月に採用された口径9×19mmのSMGであるvz. 48はその好例で、戦後同国で初めて量産された軍用銃となった。1950年の春に制式名称が変更され、固定ストック付きモデルはSa23、フォールディング・ストック付きモデルはSa 25となる。
銃身後部を包み込むようなボルトの形状や、ピストル・グリップをマガジン・ハウジングとして活用するレイアウトなど、後にイスラエルで開発されたUZI(ウジ)に与えた影響は顕著だ。

旧ソ連はチェコスロヴァキアに使用弾薬の統一を要求し、Sa 23とSa 25は1951年に7.62×25mmに変更されてSa 24(固定ストック付き)とSa 26(フォールディング・ストック付き)となった。当時のチェコスロヴァキア軍制式歩兵ライフルはvz. 52(7.62×45mm)であったが、こちらも口径が7.62×39mmに変更されてvz. 52/57となる。
この後に制式採用されたのが、ソ連のAKライフルとよく似たレイアウトを持ちながらも、まったく異なるメカニズムを持つSa vz. 58だ。制式名称にはSMGを意味する“Sa”の文字があるものの、口径が7.62×39mmでセレクティブ・ファイアが可能なvz. 58は、アサルト・ライフル以外のなにものでもない。

配備されていたSa 24やSa 26はvz.58に交換されたが、コンパクトなサイズでフルオート射撃が可能な銃器を有効活用できる状況も想定された。偵察部隊や特殊部隊、そして車両運転手/戦車搭乗員や将校の自衛用として、内務省は小型SMG開発への協力を国務省に要請する。
国務省は、内務省や軍での必要を考慮し、新型SMGのスペックを作成した。1959年2月に始まり、1961年の夏まで続いた完全新規の特殊SMG開発プロジェクトの名称が“Škorpion”だ。

プロジェクト・スコーピオン
スコーピオンのデザイナーは、ミロスラブ・リバーツ(Miroslav Rybář)氏だ。1934年にブルノ市の高等専門学校を修了した後、リバーツ氏はズブロヨフカ・ブルノ(以後は便宜上「ブルノ造兵廠」と表記する)に勤務した。
第二次大戦後、チェコスロヴァキアが解放されて大学が再開させると、リバーツ氏はブルノ市の工科大学(Vysoké učení technické、ビソケー・ウチェン・テクニツケ)の通信教育で学び始める。継続して勤務していたブルノ造兵廠では工具製造部門のデザイナーとなり、1948年には長年の夢であった小火器デザイン・セクションに配属された。

1950年には大学を卒業してエンジニアの称号を獲得、軍務を終えた1951年には再び小火器デザインに従事する。その頃、コンストゥラクト・ブルノ(Konstrukta Brno)と呼ばれる新しく設立された会社に転属となったリバーツ氏は、そこで小口径銃器と汎用マシンガンの設計に従事した。
1957年にはフルオート銃器に関する理解を深めるために軍の技術学校で学び始め、翌年の1958年に小型SMGに関するデザインと論文を完成させる。その後に製造された作動確認用サンプルをŠ-59と紹介する文献もあるが、CZ-UB関係者によればそのような名称は存在しないとのことで、リバーツ氏が同時期に開発に携わっていた汎用マシンガンUK-59と混同されているようだとの見解をいただいた。

ともあれ、作動確認用サンプルの外観は、後に採用されたモデルと一見で判別するのは難しい。量産モデルではフォールディング・ストックは取り外し可能となり、ピストル・グリップの形状やリア・サイト、一部の内部パーツのデザインが変更されている。
1961年、スコーピオンSMGのサンプルは極限条件でテストされた。下はマイナス50℃から上は70℃での温度で問題なく作動したほか、濡れた状態や埃の多い環境でも作動に影響はなく、高さ10mからの粘土質への落下テストや高さ6mからのコンクリートへの落下テストにも耐えている。車に踏まれても、作動に影響のあるダメージはなかったという。同年12月、チェコスロヴァキア共産党執行委員会は、“7.65mm Sa vz. 61 (Škorpion)”を認可し、造兵廠での量産が決定した。

リバーツ氏は、自らがデザインした小型SMGの量産が開始された後も研究を継続し、口径9×17mmのvz. 64や9×18mmマカロフのvz. 65を完成させている。
1965年、リバーツ氏はブルノ造兵廠小火器開発部門のチーフ・エンジニアへと昇進するが、創造的な設計業務に携わっていたかった彼は、2年後には設計実務のオフィスへと転属願いを提出したそうだ。1968年には、9×19mmのスコーピオンであるvz. 68が誕生する。

クリエイティブな小火器デザイナーで、世界各国で認められたスコーピオンSMGを生み出したリバーツ氏は、心臓発作により1970年12月6日に46歳の若さで逝去した。
リバーツ氏の死後も、スコーピオンのバリエーションは開発され、vz. 58アサルト・ライフルの設計者であるイジィー・チェルマック(Jiří Čermák)氏の率いる設計チームがvz. 82(9mmvz.82、9×18mmマカロフの強装弾で、焼結鋼製の弾頭を持つ)を完成させたほか、Vz 64はvz 83、vz 68はvz85と発展していったが、口径7.65×17mm(.32 ACP)のオリジナル・スコーピオン以外は量産されていない。

オリジナルのSa vz. 61スコーピオンはウヘルスキ・ブロッド造兵廠で1962~1966年、1973~1976年、そして1978~1979年に製造され、世界各国に輸出された。トータルの製造数は200,000挺を超える。
29,460挺のSa vz. 61を購入したユーゴスラビアは、1978年にライセンス生産の契約を結んだ。ツァスタバ(Zastava)工場で製造されたユーゴスラビア製スコーピオンSMGは、トリガー・システムに若干の違いがあるという。