2025/01/25
【Saga of Patents】パテント探究 カンポ・ヒロ・ピストル (スペイン)
Saga of Patents
カンポ・ヒロ・ピストル
(スペイン)
TEXT : 床井雅美 Masami Tokoi
PHOTO : 神保照史 Terushi Jimbo
Gun Professionals 2012年9月号に掲載

ガンプロフェッショナルズVol.1以降、ベルギーのFN社のセミ・オートマチック・ピストルのパテントを追いかけてきた。しかし、FN社が提出し取得したパテントだけでも膨大に数になる。FN社のパテントだけを深追いしていては、完結するまでに何年かかることになるのか判らず、とてもほかの製品のパテントに行き着くことができない。
そこで、今回からは、リサーチャーの独断と偏見をもとに、リサーチャーが興味をひかれた銃砲のパテントをランダムに紹介してゆくことにする。何が出てくるのかお楽しみに。
今回の主役は、初期のスペインの大型軍用セミ・オートマチック・ピストル、カンポ・ヒロ・ピストルだ。

第67445号カンポ・ヒロ・ピストル。タイトルは、オートマチック・ピストルとなっている
カンポ・ヒロ(CAMPO GIRO)ピストルは、スペインで設計されたもっとも初期のセミ・オートマチック・ピストルの一つで、後のアストラ・ピストルの原形ともなった大型ピストルだ。
スペイン語でカンポ・ヒロ、英語圏ではカンポ・ジロと呼ばれるこのピストルは、その発明者、ベナンシオ・ロペス・デ・セバリヨス・イ・アギュイレ・デ・カンポ・ヒロの名前をとって名付けられた。
スペインで貴族などの有名な家族同士が婚姻すると、双方の苗字をそのまま幾つも並べていって新しい家族の苗字とする。そこで結果的に長い名前となってしまう。
カンポ・ヒロ・セミ・オートマチック・ピストルは、ベナンシオ・ロペス・デ・セバリヨス・イ・アギュイレ・デ・カンポ・ヒロによって開発され、パテントが取得されたことを、リサーチャーも把握していた。
リサーチャーは、若い頃スペインに留学していた。そしてその時、かつて国を二分して戦われたスペイン市民戦争(スペイン内乱:1936−1939)の際、マドリッド攻防戦でスペインのパテント・オフィスが攻撃され、保管されていたパテント書類の大半が消失してしまったことを知った。
そのためリサーチャーは、カンポ・ヒロ・ピストルのパテントに行き着くことを半ば絶望視していた。
今回やはりスペインのオリジナル・パテントに行き着けなかったものの、最近、ほぼオリジナルと同じ図版を使用したカンポ・ヒロ・ピストルのパテントが、フランス・パテントとスイス・パテントの中に残っていることを突き止めた。そして部分的なパテントがイギリスにも残っていた。

ベナンシオ・ロペス・デ・セバリヨス・イ・アギュイレ・デ・カンポ・ヒロ(以下セバリヨス・イ・アギュイレと記述)は、1856年にスペインの北西部サンタンデール地方のペニャカステージョで生まれた。成長し騎兵アカデミーで教育を受けた後、彼はスペイン領モロッモのメリージャやキューバに派遣され軍歴を重ねた。
キューバ派遣中には、スペイン・アメリカ戦争(米西戦争)を戦った。
スペインに帰国後、スペイン国会議員となった時期もあったが、再び軍役に復帰し1912年まで軍人生活を送り退役した。
セバリヨス・イ・アギュイレは銃砲の開発をキューバ派遣中の1900年頃から始めている。スペインに帰国した後の1904年、設計を終えた試作ピストルは、スペイン軍の注目するところとなり、スペインの国営造兵廠のファブリカ・デ・アルマス・ポルタチレス・デ・オビエド(オビエド造兵廠)で試作がおこなわれた。同じメカニズムながら、外見がやや異なる3型の試作ピストルが製作されている。この試作ピストルには、スチール・ロッドで作られたショルダー・ストックが装着できた。弾薬は、軍用にじゅうぶんな威力をもつ9mm×23(ベルグマン・べヤード弾)を使用する。
1910年、スペイン軍は、軍用制式ピストルとしての性能を調査する目的で、カンポ・ヒロ・ピストルの試験生産を発注した。このカンポ・ヒロ・ピストルは、オビエド造兵廠で製造されたと言われている。
最初に発注を受けて試験的に製造され軍のテストに提供されたこのカンポ・ヒロ・ピストルは、モデル1910あるいはモデル1912と一般に呼ばれているが、いずれも軍の仮制式名でないと考えられる。
カンポ・ヒロ・ピストルをテストしたスペイン砲兵委員会は、このピストルが速射性能に優れ、弾薬の装填も容易で、命中精度も良好だと判定した。
この判定を受けて、1914年1月にカンポ・ヒロ・ピストルは、ピストラ・オートマチカ・カンポ・ヒロ・デ・9mm・モデロ1913の制式名が与えられてスペイン軍制式ピストルとなった。
1914年に軍の制定を受けたカンポ・ヒロ・ピストルは、オビエド造兵廠ではなく、エスペランツァ・イ・ウンセタ社(後のアストラ・ウンセタ社)がスペイン北部のゲルニカに新たに創設した工場で生産されることになった。
エスペランツァ・イ・ウンセタ社のゲルニカ工場は、1914年中に約1,300挺のカンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913(ピストラ・オートマチカ・カンポ・ヒロ・デ・9mmモデロ1913)を製造した。
しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発し、スペインは参戦しなかったものの、フランスやイギリスからの軍用ピストルの発注が殺到し、カンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913の製造が一時期中断された。
第一次世界大戦中の1915年に、セバリヨス・イ・アギュイレは、カンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913の改良試作型を完成させた。しかし1916年の5月22日、マドリッドで落馬事故起こしてこの世を去ってしまう。

改良試作型のカンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913を提示されたスペイン軍は、これをテストし、1916年9月、この改良型をピストラ・オートマチカ・カンポ・ヒロ・デ・9mmモデロ1913-16の制式名を与えて追加制定した。
改良点はいくつかあるが、外見上もっとも目立つ改良は、オリジナルのモデル1913でトリガー・ガードの後部に設定されていたマガジン・キャッチ・レバーを、モデル1913-16はグリップ下端に移動させた点にある。
カンポ・ヒロ・ピストルの生産は、カンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913-16として、1916年に再開され1919年まで継続された。その間に13,625挺(一説によると13,200挺)のカンポ・ヒロ・ピストル・モデル1913-16が製造された。
ベナンシオ・ロペス・デ・セバリヨス・イ・アギュイレ・デ・カンポ・ヒロによって取得されたスイス・パテントは、オートマチック・ピストルのタイトルで、1913年10月23日付のスイス・パテント第67445号として発行された。
一方、フランス・パテントは、1913年9月23日に申請が出され、1914年3月12日にオートマチック・ピストルのタイトルで交付されている。このフランス・パテントの記述によれば、スペインでのカンポ・ヒロ・パテントは、1912年11月9日に申請されたものとある。
そのことから、これらのパテント図面に描かれているカンポ・ヒロ・ピストルは、スペイン軍が1910年オビエド造兵廠に発注して製造させた試作型のカンポ・ヒロ・ピストルモデル1910(カンポ・ヒロ・ピストルモデル1910)と考えられる。
TEXT : 床井雅美 Masami Tokoi
PHOTO : 神保照史 Terushi Jimbo
Gun Professionals 2012年9月号に掲載
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