2025/04/11
UZIを撃たずに語るな!【続・撃たずに語るな!】
Masterpieces of 60's-80's
UZIを
撃たずに
語るな!
続撃たずに語るな!
Text & Photos by Captain Nakai
Gun Professionals 2013年2月号に掲載
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UZIとカリフォルニア
サンフランシスコのGunショップで仕事をしていた90年代初頭、訪れるお客で、一番多かった質問は、“クリップ(マガジン)はあるか?”であった。安物のサタデーナイトスペシャル等が良く売れたので、その予備マガジンが欲しくなったのだろう。そして2番目は“UZIはあるか?”だったと記憶している。
米国でも一般客の質問は、抽象的なものが多かったが、当時から同盟国イスラエルの象徴的存在であったUZIはベレッタ92FSに並んで知名度が高かった。これは、映画の影響よりも1981年のレーガン大統領暗殺未遂事件で、シークレットサービスが構えていたUZIの映像が世界に発信された影響の名残りであったと言われている。
当時、米国大統領を警護したシークレットサービスが採用する銃ならば、高性能のお墨付きを印象付けるきっかけになったのだろう。


右の写真は、シークレットサービスが正にUZIのストックを伸ばす為に手を掛けたシーンであるが、まだボルトは閉鎖状態であることが判る。UZIが通常タイプ(オープンボルト)なら、ストックを伸ばすより先にボルトを開き、射撃可能な状態にするべきでは?と思う人も多いだろう・・・。
当時のカリフォルニアでも、輸入されたイスラエルIMI製のUZIは存在したが、当然、16インチの銃身のついたカービンモデルで、その数も少なかった。その後、1994年にUZIカービンはカリフォル二ア州ではAWB法案と共に、販売が禁止されることになる。当時、UZIカービンをサンフランシスコ周辺のレンジで撃ったが、ボルトが閉鎖した状態から発射される、クローズドボルト式に改良されていたので、25~50ydでの命中精度も良好であった。
唯、独特なスタイルからアウトローとしての印象も強く、レンジにUZIを持ち込むと、あからさまに他のシューターから冷たい視線を受けるので、特にツアーの際には気をつかった。

実際、1989年のストックトン事件(使用銃AK47)や、1993年にはシスコ市内で起きた101カリフォルニア事件(使用銃TEC9=KG9)など無差別射撃事件が続き、長い多弾数マガジンを持つ銃に対するレンジでの風当たりは強かったのだ。
シスコ周辺のレンジの雰囲気は、ある意味保守的で、たとえ射撃のルールを守っていても、“スポーツ射撃が基本であるレンジにSMGを持ち込むとは何事か?”とばかりに犯罪の匂いのする銃に関しては敏感だった。そんなレンジの空気を読みながら射撃をすることも、今となっては貴重な体験であったと思う。

神の怒り作戦とUZI
1972年9月。ミュンヘンオリンピック開催中にイスラエル選手団の11名が“黒い9月”により殺害されたミュンヘン事件の報復として、イスラエル政府から諜報機関モサドに“神の怒り作戦(=Operation Wrath of God)”が発動された。事件に関与した中心人物の暗殺計画である。

1973年4月にベイルートにある、PLOと黒い九月の幹部らが宿泊していたアパートを襲撃する作戦は、前例を見ない程、奇抜なものであった。イスラエル軍とモサドの合同部隊の半数は警備兵を欺くために女装すると言う大胆な作戦をとったのだ。
しかし、案の定、途中で警備員に発見され、互いに激しい銃撃戦が始まる。その後、合同部隊は、黒い九月の幹部のアパートへ強行突入し、狭い屋内でも激しい銃撃戦が展開された。
この時、コンパクトなUZIが、近距離の銃撃戦にその威力を発揮したと思われる。合同部隊は、作戦通り3名の幹部を射殺し任務を達成する。
この実行部隊を指揮していたのは、後にイスラエル首相となるエフード・バラク氏であった。彼も自ら女装して突入を敢行したという。国家の為の任務とは言え、どういうテンションで、この作戦を立案し実行したのか、想像力の乏しい自分には到底、理解できるものでない…。
舞い戻ったSMG
“UZI is Back!”
自分が拠点を構えたラスベガスのGunショップで広告が張られ始めたのは、2000年頃と記憶している。それまで、米国内のUZI/SMGはクラス2マニュファクチャー等により、既にNFA(National Firearms Act)登録されたイスラエルIMI製レシーバーをベースに改良されたモデルが主体であったが、米国のベクター社による新品で、1年間の保証つきSMGとなれば、注目したシューターも少なくなかった。更に、当時は、新品のトランスファブル(譲渡)サブマシンガンが大量に売り出されるのは、これが最後の機会になると聞いた。
既に自分自身、UZIカービンを扱い、何度かベガスのレンジでUZIをフルオート射撃して、SMGとしての性能と耐久性もある程度知った上で購入に踏み切ったので、清水の舞台から飛び降りる覚悟でも無かった。

しかし、当時からSMGの主流は、クローズボルト方式のMP5等に移行しており、1990年代には、UZIは米国内では第一線から退いていた。これは、UZI自体に大きな欠陥があった訳ではなく、弾をバラ撒くSMGにも高精度の射撃が必要になった経緯が大きかったと言われている。
実際、2012年現在、UZIの性能は悪く、射撃にも向かいないのだろうか?
前置きが長くなってしまったが、購入から現在までの10年間、ネバダ州の砂漠で累計35,000発の射撃を行い、その性能もわかってきたので、ヘビーユーザー視点でUZI/SMGを語りたいと思う。

