2026/02/03
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第46回「ん」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第46回
ん
おしまいに
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。
最終回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
![]()
少し前の話
少し前まで、僕はとある地域の古い家に住んでいた。
2人目の子どもを授かったことを契機に、それまで住んでいたアパートから引っ越した。昭和40年代のはじめに開発された住宅地だった。そこの当時から建っている古い家にリフォームを施して、家族4人で暮らしはじめた。
居心地は良くなかった。住まいは悪くなかった。だが、周りが開発当初から暮らす家ばかりで、新参者との距離の取り方が、昭和感満載のべたっとした感じだったのである。ある家にはちょっと困るくらい世話を焼かれたし、ある家には塀を折半して建てたら知らないうちに約束と違う処理をされた。
「ここ〇〇円だったでしょ」
「え?」
「そういうの、全部知ってるんだから」
隣の家のお母さんから、土地の購入価格まで言われるに至って、気味が悪くなった。団地で生まれ育ち、実家を出てからも集合住宅にしか住んでいなかったから、隣人との距離はある程度保ってきていた。だからいきなり土足でプライベートゾーンに入ってくる感じが、怖かったのである。
やだな、と思ったところで日々は続く。子どもを連れて近所を散歩するのが、休みの日のルーティンとなった。のどかなエリアだった。大型車がどうにかすれ違える街道を越えた先には、畑が広がっていた。その片隅にある公園で、上の子はブランコや砂場で日がな一日遊び、下の子はベビーカーから這い出してにへへと笑っていた。
公園のそばに、古い倉庫のようにも工場のようにも見える建物があった。人気はなく、使われていないようだった。
ある日、前を通ってみて何気なく入り口を見た。
そこには「竜の子プロダクション」と書かれた看板が掲げられていた。
え、と足が止まった。小さな頃の思い出が一気に蘇ってきた。
そう、僕はタツノコプロが制作する『科学忍者隊ガッチャマン』の大ファンだったのである。5人のガッチャマンが、世界征服をたくらむ秘密結社ギャラクターと戦う、戦隊ものアニメだ。
敵側の現場監督的なベルクカッツェが、毎回コテンパンにやられて、律儀に「おのれおのれガッチャマン」と悔しがるのを観るのは、実に痛快だった。大鷲の健、コンドルのジョー、白鳥のジュン、燕の甚平、みみずくの竜というガッチャマンたちの、で、あなたがたは時代劇に出てくる殺し屋ですか、と言いたくなる大仰な呼び名や、タツノコプロ作品ならではの、めちゃくちゃ濃い顔立ちとか、大人になって振り返ればツッコミどころ満載なのだが、子どもの頃は比喩ではなく毎回手に汗握ってテレビにかじり付いていた。
大きくなってからもガッチャマンは僕の心に残り続けていた。大学で受講したドイツ語の初回に教授が「ベルクカッツェってのは山猫って意味なんだぜ」と教えてくれて、マジ大学入ってよかったと感動したし、今だってカラオケの一曲目は、子門真人が熱唱していたオープニング曲『ガッチャマンの歌』だ……。
「お父さん、どうしたの?」
不審がる上の子の声で我にかえって、ちょっと待っててね、と告げてから汚れたガラス窓から中をのぞいてみた。丸いリールがテーブルの上に無造作に積み上げられていた。中に巻かれているフィルムには何が描かれているのだろう。
改めて、ガッチャマンの名場面が脳裏に次々に浮かんできた。猛烈に懐かしくなって、中に入れる方法はないかと思ったが、そんなことしたら完全に犯罪者だと思い直した。
「子どもの頃、観ていたテレビアニメをつくっていた会社の倉庫みたい」
上の子に告げると、分かったような分からないような顔をして、お腹すいたおうち帰ろう、と返された。下の子はベビーカーで気持ちよさそうに眠っていた。
こんな素敵な場所があるんなら、子どもたちと家に戻りながら、僕は考えた。結構楽しい場所かもしれない。
昭和最高!!
結論から言うと、結局、あんまり相性のいい場所ではなかった。数年後に諸事情で家族が拠点をわりと離れたところに移して、逆単身赴任状態で一人暮らしになったし、僕もフリーになってしばらくして家族のもとに拠点を移した、なんてこともあったから、思い入れが生まれにくくもあった。
とはいえ、周りの人ともどうにかやっていく術を見つけた。植木屋さんを営むお向かいさんに頼んで、庭の巨大なシュロの木を処分してもらったりすると「ここの人」になっていく感じがした。昭和の香り満載だった家がひとつ、またひとつと壊されて、小さな家がいくつも建っていくのを、ほんの少しだけ寂しく感じたりするようにもなった。
老父母が暮らす実家がある名古屋に僕が拠点を置くことになり、その家を土地ごと売るとなったときに、家族で周りにお別れの挨拶をした。
土地の値段を知ってるわよと告げてきたお母さんは、寂しくなるねえと涙ながらに妻と抱き合って、趣味でつくっているというバッグをプレゼントしてくれた。塀でごたすかした家は娘さんが出てきて、母はお宅のお子さんたちが遊びにきてくれたことを喜んでいたんですよ、と告げて、そうですかお引越しされますかと涙を拭った。最も交流があった家の夫妻は、約十年ぶりに我が子をみて、大きくなったねえ驚いたよ、あの頃が懐かしいなあ、うちも娘が結婚して孫が生まれてねえ、と話しながら、みるみるうちに目に涙を溢れさせた。
離れる時になって、ようやくみんなの真心に触れたような気がして、俺は今まで何していたんだろうという思いになった。でも、そういうもんだよな、と考え直した。
大体のものごとは、なくなってはじめて、どれだけ大事だったかがわかる。
「竜の子プロダクション」の倉庫もとっくになくなって、跡地には真新しい建売住宅が軒を並べていた。ご存知のとおり、彼らは現在に至るまでアニメ制作会社として世界に誇る作品群を世に送り出している。だからこそ、あの倉庫に眠っていたフィルムは処分したんだろうな、と思った。
どれだけ大事だと分かっていても、前に進むためには、置いてこなければならないものだってある。
僕にとって、古びた住まいと倉庫にあったものは「昭和」そのものだった。そう思うと、何か大事なものにちゃんと向かい合うこともしないまま来てしまったような、後ろめたい気持ちがあって、その町からは足が遠のいていた。
ある晩、寂しい思いが抑えられなくなって、当時から付き合いのある友人に話した。
「あんたんちでさ、ご飯つくったり、草刈りしたりしたの、楽しかったよ。熱中症になりかかったりして、大変だったけどさ。俺にとっては、いい思い出しか残ってないよ。あんたんちには」
彼は僕の言い分をひと通り聞いてから、そう返してきた。
「確かにな。俺も、いい思い出しかないわ。色々あったけど、いい思い出しかないわ」
言いながら、僕は涙ぐんでいた。自分をかたちづくっていたもの、人。それらにはすべて、意味がある。その時、そこにあった意味がある。当たり前すぎる真理が頭に浮かんだ。そして、体も心もまだやわらかな時に触れた「昭和」こそが、自分の核をかたちづくっていることに思いが及んだ。
そうだとしたら、彼となおも会話を重ねながら、僕は、頭の中で考えた。
昭和ってやっぱり最高だったじゃないか。
*次回は菊池&服部にアームズマガジン編集部も加わっての昭和座談会をお届けします!
TEXT:服部夏生
※当サイトで掲示している情報、文章、及び画像等の著作権は、当社及び権利を持つ情報提供者に帰属します。無断転載・複製などは著作権法違反(複製権、公衆送信権の侵害)に当たり、法令により罰せられることがございますので、ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。

