2025/02/18
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第21回「な」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第21回
な
夏休み
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。
第21回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
底冷えする2月にはまるでミスマッチだが、今回のテーマは「夏休み」である。
海、山、青空、入道雲、ひぐらし、花火、お祭り……。それらに彩られた冒険と発見、そして出会い。
単語を並べるだけで絵が浮かんでくるし、何やら甘酸っぱい感じにもなる。
音楽や小説や漫画や映画でもそう描かれている。
なつやすみ、サイコーじゃないか。
ボリションなサマータイムブルース
だが、である。自分の記憶をたどってみても、音楽や小説や漫画や映画で一番大事な部分として描かれている「冒険と発見、そして出会い」はからっぽなのである。
前半部分はあった。青空や入道雲は平等に姿を見せてくれたし、花火やお祭りといったイベントもあった。
後半部分を味わうため、ぼくなりに努力もしたつもりである。
ところが、海沿いを走る鉄道を撮ろうと(何度も書いているが、ぼくはまあまあな感じの「鉄」だったのである)勇んで有名撮影地に行ったら地元のヤンキーに絡まれてカツアゲされてしまった。家の近くに怪しげな鉄路を見つけて『スタンド・バイ・ミー』(*)的な冒険をしようと楽しみにしていたのが、休みに入るなり熱を出して半月以上寝込んでしまった。
*『スタンド・バイ・ミー』:1986(昭和61)年に公開開始の映画。原作はスティーブン・キング。少年たちが森の奥にあるという死体を線路沿いに探しに行く冒険譚。彼らがそれぞれの苦悩を涙ながらに語るシーンは胸が締め付けられる
ボリションなぼくの夏休みをぐだぐだ振り返っていても仕方がない。
何かスカッとしたエピソードをかましたい。
困ったときには躊躇なく人に頼るのが、オレ流仕事の流儀。
ということで、先日、成人式を終えたばかりの我が娘に今回も聞いてみた。
「一番の思い出、おしえて」
「夏休みが1年で一番楽しいから、特にこれってのはない。まあ、エモい系だったら、小学校の特練とかかな」
「とくれん?」
「水泳の特別練習のこと。朝に学童行って、図書館で学校の先生に教えてもらいながらみんなで宿題して、飯食って全校生徒で特練して、母が迎えにきてくれるまで、学童行ってる子たちと遊んでたのが思い出深い」
「そういえば、君たち、なんでもみんなで一緒にやってたな」
「やってた。色々あったけど、小学校時代の夏休みは ”the夏”って感じで結構好きだった」
我が子らが通っていた小学校は、大きな川と山の間に挟まれた猫の額ほどの平地にあった。平屋建ての校舎に通う生徒たちは、1年から6年まで合わせて30人くらい。異なる学年が一緒に学ぶ複式学級もあったし、いろんな行事は全員参加でやっていた。
青春物語の超名作『天然コケッコー』もかくやという世界であり、まさに「昭和」が残っている小学校だったのである。

エモいは昭和、永遠はなつやすみ
懐かしいな、と思い起こしたところで、はたと気がついた。
令和の若者が使う「エモい」って、つまり「昭和」なのでは、と。
エモいとは「感情が動かされてポジティブな気分になる」ことである。ウェブで調べるとポジティブの中身は「懐かしい」「切なさを感じさせる」的なものになるらしい。実際、我が子らもそういった用法で使っている。
この感情の動きこそ、ぼくたち昭和生まれが「昭和」を振り返った時に抱く「一抹の哀しみをたたえた郷愁」に共通するものだろう。
エモいイコール昭和。
だとすると、エモいには、昭和的などうしようもなさも内包されているはずである。
例えば「みんなで一緒に」という発想。
我が子らの小学校では、田舎ゆえに地域ぐるみで子どもを見ようという意思が共有されていた。夏休み前には保護者総出でプール清掃をしたし、お盆の前には教師も加わってキャンプをやっていた。
昭和的な正義である。美しい。令和的なポリコレ、SDGsいずれにおいても「良」だろう。
だが、美しいものの裏には必ず影がある。
互いに互いを縛り付ける「絆」は、有り体に言ってしんどい。
少年時代のぼくがほとんどひとりで行動していたのも、人間関係が煩わしかったからである(ていうか今もだ)。
断言しちゃいけないけれど、娘に限らず令和の若人たちだって、絆のしんどさをいろいろ感じているはずである。
なのに軋轢を回避しながら、良き部分を抽出して慈しむ術を身につけて「小学校時代の夏休みがエモかった」と言えるのって、本当にすごい、と心から思うのである。
意識しているかどうかはわからない。
だが、しんどさを理解し、その問題を自分なりに解決してきた人は、同じことで苦労している人がいても排除せず、少なくとも見守ることができるはずだ。
昭和の時代にもいたはずだけど、ぼくは気づかぬまま大人になってしまった。
令和の子どもたちを眺めていると、その「配慮」ができる人が確実に多くなっているように感じる。生きにくさが顕在化した証といえばそれまでだ。でも、彼らの力で、誰もがそれぞれの夏休みを、当たり前のように肯定して、懐かしく思い起こせる世界になったらいいな、と思うのである。
「いいこと言った感じになってるけどさ」
鼻の穴を広げるぼくを見て、娘は悪い顔になって言い放った。
「父、色々言い訳してPTAとか寄り合いとか全部、母に任せてたじゃん。私たちの子ども時代のことで、カッコよく論じる資格ある?」
痛いところをつかれた。ソリューションから逃げ続けていたぼくは、力なく笑うしかなかった。

海、山、青空、入道雲、ひぐらし……。
そんなぼくにも平等に、今年も夏がやってくるのである。
TEXT:服部夏生
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