2024/12/24
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第17回「ち」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第17回
ち
チエちゃん
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
第17回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
皆さんにとっての人生を変えた1冊はなんだろう。
と書いといてなんだが、僕の人生を変えた本は何冊もある。でも『じゃりン子チエ』は、特別に大事な1冊である。
浪花を舞台にした日常コメディ
大阪の下町を舞台に、小学生のチエちゃんの日常を描く漫画である。
と書くとほっこりテイストのホームドラマを想像する向きも多いだろうが、設定はパンクそのものである。まず父親・テツが博打と喧嘩にうつつを抜かして働かない。しかも、母親のヨシ江は色々あって家を出ている。仕方なく彼女が毎晩家業のホルモン焼き屋を切り盛りしている。客たちも酔うとタチが悪くなるおっさんばかり……。
ネグレクトフィーチャリングアルハラ。まさにこの世の果てである。
実際、チエちゃん本人も「ウチは日本一不幸な少女や」とことあるごとに嘆いているのだが、なんていうか、暗さがまるでないのである。
本能にひたすら忠実な父・テツだが、彼の周りには人々が不思議と集まる。同じくホルモン屋を経営する父母にはじまり、元博徒の親分、テキ屋、元ユスリの親子、警官、在野の学者、小学校教師、チエのクラスメイト、アルカボネそっくりのヤクザの組長……。故井上ひさしが「人間よりも人間らしい」と称した猫たちも忘れてはならない。
多種多様なメンバーは、おしなべて魅力的である。相手に遠慮はない。でも「あんまりカン働かすと(自分もみんなも)不幸になるから」(テツ談)というような繊細な配慮がある人々だ。社会的な名声にこだわらず、気持ちで繋がる彼らの中心に「一緒におると気分がスカッとする」(飼い猫の小鉄談)と称されるチエちゃんが、太陽のように輝いている。

この漫画を最初に読んだのは、小学4年生のときだった。以前も書いたがその時期、僕は米国の片田舎に住んでいた。インターナショナルスクールなんて洒落たものはないから、現地の小学校に毎日通った。英語がわからないから授業が理解できない。しんどかった。
そんな時に、極小の日本人コミュニティのひとりのお母さんが「日本で流行っている」と貸してくれたのが『じゃりン子チエ』の単行本だった。
地味だった。子どもには理解できない大人の会話がたくさんあった。アクションシーンもたくさんあったけれど壮絶さはなく、笑いのための要素として扱われていた。
でも、ものすごくおもしろかった。何度読み返したかわからない。
1日の半分以上を未知の言語が飛び交う場所で過ごしていた僕にとって、日本語で書かれた本は貴重品で、端的に言ってそれだけで神のごとき存在だった。
だから、「おもしろい」のハードルはめちゃくちゃ低かったのは否めない。
日本にいたら多分『コロコロコミック』『少年ジャンプ』あたりの熱い漫画に熱中して(実際、のちに夢中になった)、大人向けの『漫画アクション』という大人向けの雑誌に掲載されている漫画に気づくことはなかっただろう。
今となってはそう思う。
だが何度も何度も読むうちに『じゃりン子チエ』が、僕にとってよき物語の基準となった。あれこれありつつも、いつもの人たちによる「いつもの感じ」が続いていく。そんなアンチクライマックスな「お話」が、僕にとっては至高の存在となった。
大人になって訪れたモデルとなった町
大人になってから、聖地巡礼を敢行した。
作者のはるき悦巳は公表していない(はずだ)が、物語の舞台は南海高野線の萩ノ茶屋駅周辺であることは、ファンの間ではほぼ確定事項だった。
高架線に設けられた小さな駅を降りた僕は、感動に打ち震えながら、簡易宿泊所が並ぶ通りを歩きつつ、アーケードのある商店街に入った。
昼すぎにもかかわらずカラオケスナックが開いていて、演歌を歌うダミ声がだだ漏れしていた。ドアの隙間から見ると、いい年したおっちゃんおばちゃんたちが、カウンターに陣取って怪気炎をあげていた。
漫画とおんなじ世界だなと嬉しくなってなおも歩くと、いい感じの居酒屋が見つかった。カウンターだけのお店で、テレビからは競馬中継が流れている。そして、ブルージーなおっちゃんたちがぐいぐいとスポーツドリンクを飲むようにアルコールを煽っている。
チエちゃんのホルモン焼き屋と同じ空気を感じて中に入った。
昼のアルコールはまわりが早い。くらくらしながら喧騒に身を置いていると、自分が『じゃりン子チエ』の登場人物になった気がしてきた。
◆
「おっちゃん、となりの人にからんだらあかん。もうおしまいにしとき」
隣の客に悪絡みし始めた酔客にカウンターの内側から女性の鋭い声がかかった。言い争いが始まるかと思って、僕もシラフに戻りかかったが、酔客は実に素直だった。
「さよか」
「お会計、3020円」
「20円負けてや」
「あかん、負けん。うちは元からやすいからな」
「さよか、しゃあないな」
「おおきに。ゆっくりやすまなあかんよ」
最後にかけられた優しい言葉にいい年した酔客は嬉しそうに手を挙げて、ふらふらと店を出て行った。何事もなかったかのようにカウンターを片付ける女性は、声だけでなく、動きも無駄がなく、てきぱきしていた。
年のころ50手前。
昭和50年代に小学生だったチエちゃんは、今も変わらず、そばにいるだけでスカッとした気持ちになれるきっぷのいい女性だった。
◆
時間は流れるし、変化は必ず訪れる。
それは止めようのないことである。
そして、人が変わろうとすることに対して、人は見守ることくらいしかできない。
しょっぱい恋愛とかを山ほど経験して、ようやくその理を理解して、さらに数十年。
「だからこそ、変わらずそこにあり続ける人やものは、尊い」
はじめて読んでから40年。リアルなチエちゃんのいるお店で酔っ払って、ようやく僕は『じゃりン子チエ』が伝えようとしていた真理を理解した。
そんな気がして、僕は、せわしなく注文をとっているチエちゃんに心の中で頭を下げた。
いい本は、いい人と同じく、生涯を通しての友になる。
僕はそう思っている。
TEXT:服部夏生
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