実銃

2024/05/10

【実銃】大口径サブコンパクト1911「DETONICS COMBAT MASTER Mk VI」【前編】

 

DETONICS

COMBAT MASTER Mk VI

feat. Springfield Armory V10 Ultra Compact

 

 

 1970年代、コンシールドキャリーガンといえばスナブノーズドリボルバーという時代に、画期的な大口径サブコンパクト1911が産声を上げた。

 デトニクス コンバットマスター。3.5インチブッシングレスコーンドバレル、マルチスプリングリコイルシステム、さらにはステンレススティールフレーム/スライドという現代ではスタンダードな仕様を、世界で初めて採用した先進のサブコンパクトピストルだ。

 

 今回は、このセミカスタムともいえるデトニクスコンバットマスターに、ゲストとしてスプリングフィールドアーモリー社のV10ウルトラコンパクトをフューチャーしてレポートする。

 


 

サブコンパクト誕生

 

 “デトニクス コンバットマスター”という名前に、そこはかとないロマンとセンチメンタルな思い入れを感じるのは、我々の年代だけであろうか。

 1980年代前半、ステンレス製の1911といえば、このデトニクスとAMTハードボーラーくらいしか存在しておらず、やっとRandall(ランドル:1983-85)が鳴り物入りでステンレスM1911をリリースして話題になっていた頃である。

 

Detonics Combat Master Mk VI
全長:171.4mm
全高:117.5mm
銃身長:3-1/2”(88.9mm)
重量:964g
使用弾:.45ACP
装弾数:6+1


 私にとってのデトニクスコンバットマスターは、やはりTVシリーズ“MIAMI VICE”(マイアミバイス:1984-1989)で、主人公のサニー・クロケットが、バックアップガンとしてアンクルホルスターに収めていたのを見て以来、“.45ACPがバックアップに使える!!”と感動してしまった経緯が大きな思い入れとなった。

 

 当時の私はキャリー用にS&W モデル36 チーフスペシャルを所持していたが、.38スペシャルが5発だけという装弾数/威力には常に物足りなさを感じていたのだ。コンバットマスターなら、.45ACPを6+1発装填することができる。実際に手に入れるまでには確か1年以上掛かったが、常にガンショーリストの筆頭に上っていた。

 

昼間でも見える爆炎を吐くDetonics

 

 デトニクス コンバットマスターの歴史はその頃よりさらに10年以上前、1972年まで遡る。

 

 いくつかの参考文献には、デトニクス社の初代社長Sid Woodcock(シッド・ウッドコック)氏がコンバットマスターをデザインしたという記述があるが、実際にはデトニクス社以前、ウッドコック氏が勤めていた“エクスプローシヴズ コーポレーション オブ アメリカ(EXCOA)”社の同僚だったPatrick Yates(パトリック・イェイツ)氏が、1972年に個人的な興味から、精度と信頼性の高いキャリー用のコンパクト.45オートのデザインに着手し、その後ウッドコック氏がその製造権を入手したというのが事実のようだ。

 

NEW DETONICS BELLEVUE, WAの刻印がある。まだワシントン州にファクトリーがあった頃に作られた個体であることがわかる

 

 イェイツ氏はまず3挺の中古1911を手に入れ、グリップ部分で3/4インチ(19mm)、バレルとスライドで1-1/2インチ(約38mm)切り詰めたプロトタイプを組み上げていった。その一環としてバレルブッシングを廃し、バレルのマズル方向に太くすることによって、スライド/バレルのロックアップが常に一定になされるよう工夫した。このシステムは現在も数多くの1911や競技銃で使用されるまさに画期的なデザインであったといえよう。

 

 また初期のプロトタイプでは、レートの違う3本のリコイルスプリングを使用し、より速くなったスライドの前後運動をしなやかに受け止め、緩やかに元に戻すという難題に対処している。

 

コーン(cone:円錐)バレルのシェイプがよくわかる。この個体のバレルは段付きのクラウン加工がなされているが、こういった細部の仕様は時代によって異なる

 

 また最初のプロトタイプでは、グリップセイフティとマニュアルセイフティは廃され、キャリー時はハーフコックかハンマーダウンの状態にするべくデザインされたという。スライド上面後部の切り欠きはこのデザインの一環で、素早くハンマーをコックするために、この切り欠きに沿って親指をスライドさせればより簡単にハンマーにアクセスできるという役目を持っている。

 

 イェイツ氏は当初、チェンバーにロードした状態でハンマーダウンによるキャリーを考えて、ファイアリングピンスプリングを重いものにするなど対策していたが、その後マニュアルセイフティは装備して、コック&ロックのキャリーにも対応できるようにした。

 

特徴的なスライド後部の切り欠きは、ハンマーを指で起こしやすくするためのデザインだ。ハンマーダウンでキャリー、ドロウしてハンマーをコックして撃つことが想定された。リアサイトは左右がアジャスタブル


 こうして完成したコンバットマスターだが、当初イェイツ氏にはこのプロトタイプを商品化する意図はなかったようだ。しかし当時EXCOA社の同僚だったウッドコック氏はこのプロトタイプに大きな可能性を見出し、1974年にイェイツ氏から商品化の権利を譲ってもらってプロダクションモデルの開発に入ったらしい。


 翌1975年にはプロダクションモデルがリリースされ、ポリスオフィサーのバックアップガンとして徐々に認知されるようになっていく。1976年のガンズ&アモ誌には、かのJeff Cooper(ジェフ・クーパー)氏によるインプレッション記事が掲載され、“最小かつリコイルも軽い、優れたシングルアクション.45キャリバーセミオートピストル”と絶賛される。

 

上部から見ると、スリムかつクリーンなラインが見て取れる

 

Photo&Text:Hiro Soga

 

この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2022年5月号に掲載されたものです

 

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