実銃

2023/03/08

【実銃】名門実銃メーカー、ワルサーの歴史を振り返る

 

A Short History of
Carl Walther GmbH

 

 ドイツのカール・ワルサーGmbH本社内には歴代の自社製品を展示しているミュージアムがある。ここにはワルサーのほぼすべての銃が揃っているのだ。その一部を見ながら、1886年の創業から1994年にUMAREX傘下になるまでワルサーの歴史を振り返ってみたい。

 

 


 

 長い歴史を持っているガンメーカーの中には、これまで生産した製品の多くを大切に保管し、自社内に展示している場合がある。もっとも有名なのはイタリアのベレッタ社だろう。現存する世界最古のガンメーカーであるベレッタは、その歴史を1526年までさかのぼることができる。ヴェネチアの記録保管所で発見された古文書にその銃身製造事業の記録があるのだ。1526年から数えて今年は493年となる。そんなベレッタはガルドーネ・ヴァル・トロンピアの本社敷地内に16世紀以降の銃を保管して展示しており、そこには、自社製品だけでなく、それぞれの時代に使われた世界中の銃が数多く集められている。

 

上から
PP 50周年記念モデル 9mm Kurz 500挺限定生産1980年製
PPK 50周年記念モデル 7.65mm、1,000挺限定生産1982年製
P5 ワルサー100周年記念モデル 500挺限定生産 1986年製
製造された年は異なるが、同じコンセプトのデザインだ。これとは別にフルエングレーブの記念モデルも同時に作られている


 1864年創業のシュタイヤーアームズ社(昨年まで同社はシュタイヤーマンリッヒャーという社名であったが、今年になってシュタイヤーアームズに社名変更した)にも歴代の自社製品を保管、展示している立派な部屋がある。


 そして、このたび訪問したカール・ワルサー社も社内ミュージアムがあり、ガラスケースに歴代のワルサー製品が美しく展示され、同社の歩んできた道をよく理解できるようになっている。但し、一般公開はしていないので、その内部を見る機会はほとんどない。数年前にワルサー社を訪問した時は、細かくその展示品を撮影することは認めてもらえず、ミュージアムの存在がわかる程度の“引き”の写真を撮っただけだった。しかし、今回は撮影許可を貰い、その展示の一部を撮影した。もっともガラスケースから取り出しての撮影ではなく、ガラス越しなので、思ったような写真は撮れない。今回は別冊の“エアライフルガイドブック2020”のためにワルサーの新型エアライフルLG-400 monotecを取材することが訪問の目的だった。そんなわけで時間的制約もあり、一部しか撮れていない。それだけで果たしてワルサーの歴史を振り返ることはできるのだろうか。

 

本社のオフィスの中に一つだけ重厚な扉がある。それがこのミュージアムへの入り口だ。中に入って照明を点けると、“ジェームズ・ボンドのテーマ”曲が流れ始める。やはりワルサーと言えば007なのだろう。写真の左に見えるようにショーケースの中に歴代の銃が収められていて、その歴史を見ることができる。5代目ジェームズ・ボンドであるピアース・ブロスナンの写真パネルが大きく飾られているが、その手に握られているのはPPKではなく、P99だ。1997年の18作目の途中から2006年の21作目までボンドはP99を使っていた

 

ジェームズ・ボンドの写真パネルの裏側には、貴重なモデルがガラスにサンドイッチされて展示されている。プロトタイプなども多く、興味津々だが、ガラスの反射で撮影が難しい


 この撮影を終えて、記事の構成をどうするかを頭に描いていたとき、筆者はハンガリーにいた。本紙でも何度も協力して貰っているコレクターのヴェンツェ氏に会ったときにその話をしたら、「じゃあ、ウチのP38も撮影すればいいよ」という事になった。彼は結構な数のP38を持っている。そこで、ワルサー社本社内のミュージアムとヴェンツェ氏のP38コレクションを取り混ぜて、カール・ワルサー小史をまとめることにした。

 

 現在の社名は“Carl Walther GmbH”だ。“ワルサー”は日本語的呼称で、ドイツ語では“ヴァルター”が近い。しかしながら、ここまでワルサーの名前が定着していると、いまさら“ヴァルター”と表記するのは難しい。語感もだいぶ違う。そんなわけで従来通り、会社名と銃器の名称には“ワルサー”と表記することとした。

 

奥に進むとウマレックス傘下になってからの製品が並ぶ。.22LRのHK416やMP5など本来のワルサーモデルではないものの、ウマレックスブランドで製品化したものもある

 

 Carl Waltherは同社を創設した人物の名前だ。正しくはCarl Wilhelm Freund Walther(カール・ヴィルヘルム・フロイント・ヴァルター:1858-1915)で、彼が生まれ育ったチューリンゲン州Mehlis(メリス)の街は古くから武器製造が盛んにおこなわれていた。カール・ヴァルターの祖父にあたる人物が地元の有力な銃工の娘と結婚したことがきっかけになり、銃器生産の世界に関わるようになった。その息子であるオーガスト・テオドール・ヴァルターもまた地元で有力な銃工の娘と結婚している。

 

手前はトーマス・ウィルヘルム・ピストールが1740年に製作したフリントロックガンだ。この人物はカール・ヴァルターの父であるオーガスト・テオドール・ヴァルター(1827-1903)の義理の祖父だ。これは現在のワルサーに繋がるルーツのひとつだといえる


 そしてオーガストの息子、カール・ヴァルターも銃工としての技術を高め、1886年秋に自らのワークショップを開設、これが現在まで続くワルサー社の創業とされている。2年後に地元のリボルバーメーカーの娘と結婚、1889年には長男Fritz August Walther(フリッツ・ヴァルター:1892-1966)が生まれた。フリッツも非常に早い段階から多くの技術を学び、父親をサポートしていく。彼は父親の元で学ぶだけでなく、20世紀初期にベルリンに赴き、技術習得に励んだ。そこでコンパクトなセミオートマチックピストルに人気が集まっていることを知り、メリスに戻るとライフルを作ってきた父親にヴェストポケットピストルの製品化を進言した。


 そしてフリッツは自ら設計をおこない、1908年に6.35mm(.25口径)のワルサー モデル1が製品化された。以後、これを元に改良を重ね、ワルサーピストルはモデル9まで続いていく。これがワルサーナンバーシリーズと呼ばれるモデルだ。

 

Modell 1
ワルサー最初のピストルであるモデル1は1908年に登場した製品だが、1915年の製造終了までに5つのバリエーションが存在する。ここにある3挺のシリアルナンバーは163、3093、16070だが、スライドのセレーションの本数や形状がみな違う。ストライカーファイアのシンプルな構造で、ストライカー自体がエジェクターの機能を果たしている。スライドはオープントップで、バレルの上面が露出しているように見えるが、これは円筒形のバレルスリーブだ。バレルはその中に収められている。マニュアルセイフティはクロスボルトタイプで、トリガーバーが左側面に露出し、グリップパネルが押さえている。トリガーガード前部になにやら出っ張ったパーツがあるが、これはスライドを分解するためのリリースレバーだ。最初の製品なのでやむを得ないのかもしれないが、お世辞にも洗練されたデザインとは言い難い


モデル1  1908年 6.35mm
モデル2  1909年 6.35mm
モデル3  1910年 7.65mm
モデル4  1910年 7.65mm
モデル5  1913年 6.35mm
モデル6  1915年 9mmパラベラム
モデル7  1917年 6.35mm
モデル8  1920年 6.35mm
モデル9  1921年 6.35mm


 モデル2はモデル1の改良型で外観もだいぶ洗練された。モデル3は7.65mm(.32ACP)として少しパワーアップされている。特筆すべきはモデル3のエジェクションポートが左側になっていることだ。理由はわからない。モデル4はモデル3のバレルとフレームを延長したバリエーションだ。続くモデル5はモデル2の改良型で再び6.35mmに回帰している。

 

Modell 2
1909年のモデル2は大幅改良が加えられた製品だ。スライドはバレルをカバーするより強度の高いデザインとなり、リコイルスプリングがバレルに被さる形式に切り替わった。マズル部分にブッシングが装着され、これを回転させてリコイルスプリングを取り外すことができる

 

Modell 4
モデル3と4はやや大型化して7.65mm仕様となった。撃発メカニズムはハンマー形式だ。いずれもエジェクションポートが左側にあり、排莢は左だ。のちのP.38と同様だが、この時点でなぜ左排莢にしたのか、その理由は不明だ

 

 1914年、第一次大戦が勃発、ワルサーピストルは戦地に向かうドイツ軍将校に私物として買い求められ、かなり人気があった。


 1915年、創業者のカール・ヴァルターが他界する。同社を引き継いだフリッツ・ヴァルターは、9mmパラベラム対応にしたモデル6を発売した。これまでのワルサーピストルのメカニズムをそのままに、スライドの質量を高め、リコイルスプリングを強化するといった対策で9mmパラベラムを撃てるようにしたものだ。これはドイツ軍用ピストルP.08の不足分を補う目的で開発されたが、やはり無理があったようで、1917年には製造を終了している。これに入れ替わるように6.35mmのモデル7が登場、こちらはモデル5のロングバレル、ロングフレームモデルとなっている。

 

Modell 8
第一次大戦終結後の1920年に発売したモデル8は、ハンマーは内蔵式の.25口径モデルだ。これまでのデザインとは異なり、後のPPを彷彿させる雰囲気がある。しかし、この頃までのワルサーは、同時代のセミオートピストルと比べてもこれといった特徴のないごく普通の製品だった


 第一次大戦は事実上、ドイツの敗北という形で終結し、共和制に移行したドイツはヴェルサイユ条約により経済的、軍事的に厳しい制限を連合国から加えられた。武器の開発、生産は困難になったが、ワルサーは小型ピストルメーカーであったことから、ほとんど影響を受けることはなく、1920年に生産を再開、戦後の新型としてモデル8を発売した。これはモデル7の発展型ともいえる製品だ。外観は洗練されたものの、機構的にはモデル7とほとんど差はない。翌年にはヴェストポケットピストルとしてモデル9を発売した。

 

フリッツ・ワルサーは1920年代、信号ピストル(flare pistol)の開発をおこなった。左奥は1926年にパテントを取得したもので、現在世界中で使用されている信号ピストルの原型となっている。手前の2挺は1936年製と思われるSL(左)とSLD(右)で、ダブルアクショントリガーを装備している。SLDは2連バレルだ


 1920年代、ワルサーはその製品群を小型ピストル以外にも広げた。ショットガンや信号ピストル、スポーツピストルなどを開発製品化し、さらには機械式計算機の分野にも進出した。そして1929年、まったく新しい中型ピストルとして、モデルPPを発表した。

 

 その特徴は今、ここで述べる必要はないだろう。ダブルアクショントリガーとハンマーデコッキングセイフティを搭載、チェンバーに装填した状態のまま、100%安全に携帯できるという機能は、あの時代において圧倒的に優れたものだった。

 

ワルサーは1924年、ピンホイールカリキュレータと呼ばれる機械式計算機を発売した。これは1930年代のモデルRMKZ。ワルサーは戦後、卓上電子式計算機も製品化し、それは1970年代まで続いた

 

PP、PPKの展示。小さな写真で恐縮だが、このロングスライドPP試作モデルは1933年製で、7.65mm 10連マガジンを持つシリアルナンバー788781だ


 ドイツ警察はモデルPPをすぐに採用した。1931年になると、ワルサーはより小型化したモデルPPKを発表し、一気にドイツでもっとも先進的なピストルメーカーに躍進した。警察や軍との関係が深まると同時に、ドイツ国内で勢力を拡大していた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)がワルサー社を重視し、軍用ピストルの開発が秘密裏に進められた。ドイツ国内での軍用銃開発はヴェルサイユ条約下では禁止されていたが、ナチ党が政権を獲得、一党独裁体制となると、それは公然とおこなわれるようになった。そして完成した軍用ピストル、モデルHPをドイツ軍が採用し、これがP.38と呼ばれるようになった。

 

1925年、ワルサーはスポーツピストルの分野に進出し、1932年のロスオリンピック、ラピッドファイアピストル競技では銀メダルを獲得した。当時最大のコンペティターはコルトウッズマンだ。1936年のベルリンオリンピックは1位から5位までをワルサーピストルが独占している。写真左の2挺はワルサーオリンピアモデル

 

ワルサーを代表するP.38。これはAC41(1941年ワルサー製)。その下の写真はスポーツピストルを撃つフリッツ・ヴァルターだ


 ワルサー社は1930年代に軍用セミオートライフルの試作開発を開始、これは製品化には至らなかったが、1940年に軍からの要請でこの開発を再開し、ワルサーのG41(W)とマウザーの開発したG41(M)の2機種が選ばれて実戦投入となった。結果的にワルサーのG41(W)がより優れていると判断され、本格的な量産が始まった。ワルサーが軍用ライフルメーカーとして長い実績を持つマウザーと勝負し、勝ちを収めたのだ。しかし、ドイツ軍はG41に満足することなく、その改良をワルサーに命じた。1943年にG43(K43とも呼ばれる)が完成し、ドイツの敗戦まで約40万挺が量産された。
 

ドイツ軍が採用したセミオートライフルG43は、マズルコーン方式のG41と異なり、ガスピストン方式を採用している。その横にあるのは戦争末期にプレス加工による生産省力化を目指したシートメタルピストルで、いわゆるフォルクスピストーレ(Volkspistole)と呼ばれるもののひとつだ

 

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Photo&Text:Tomonari SAKURAI/Satoshi Matsuo

撮影協力:Carl Walther GmbH

 

この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2019年12月号に掲載したものです。

 

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