2021/06/05
64式小銃選定の裏側【自衛隊】
64式選定の裏側
「月刊アームズマガジン2021年7月号」と「月刊ガンプロフェショナルズ2021年7月号」は、その両方に64式小銃の記事が並ぶことになった。もちろんこれは偶然だ。月刊ガンプロフェッショナルズでは6月号で、“64式小銃の真価”を掲載したのだが、この記事を製作中に、書くべきことが多すぎてとても1回では収まり切れないことが判明し、これは2回に分けるしかないと判断した。そこで6月号でPart 1、7月号でPart 2を掲載することにした。
ガンライター生活が半世紀近くにおよぶTurk Takanoさんにとって、現物を手元に置かずにガンレポートを書くのはこれが初めてだ。Turkさんが陸自隊員時代に所属した習志野の空挺普通科群第3中隊に64式が配備されたのは1966年春だった。今回の記事は、その当時の実体験の記憶、その後に日本を出てから世界中の銃器を扱って得た知識、またガンスミスとしての長い経験をもとに64式の記事をまとめている。また後に時代に自衛隊に所属して64式を扱った経験のあるキャプテン中井さん(現在ハワイ マークワンサービス代表)をはじめとした複数の元自衛隊員からも意見を聞き、それらの情報も加えている。
私も編集担当として、可能な限りの情報をTurkさんに提供し、レポートの完成まで何度も電話で記事の内容と方向性について議論した。
64式小銃の開発経緯については、その当事者であった津野瀬光男氏が書かれた書籍『幻の自動小銃』に詳しく書かれている。Turkさんもかなり以前にこの本を読んだ経験があるそうだが、筆者はこれまで読む機会はなかった。津野瀬氏の本は、『小火器読本』を昔に読んだ経験があるだけだった。今回、“64式小銃の真価”を編集するにあたり、参考になればと思って『幻の自動小銃』を入手、6月号の編集を終えた後に読んでみた。
そしてあることに気が付いた。64式小銃が誕生する過程で、津野瀬氏をはじめとする開発スタッフは当時諸外国で採用が進んでいた主要な7.62mmライフルを、実際に撃つどころか手に取ってもいないという事実を。
有事の際に日本の防衛のために最前線に立つ自衛隊員が使うサービスライフルを自国開発する。その場合、諸外国が採用している軍用ライフルを徹底的に研究するのは当然だろう。当たり前のことすぎて、それをやっていないとは誰も思わない。Turkさんも、日本はそれをやった上で64式を開発したのだという前提で6月号の記事(Part 1)を書いている。実際、津野瀬氏は本の中でG3やCETME、FAL等について言及しており、以前にその本を読んだTurkさんは、てっきり開発チームの手元にそれらの銃があって徹底分析をしたと思い込んだ。
しかし、筆者はこの『幻の自動小銃』を読み、G3やFALについて具体的な記述がないことに違和感を覚えた。巧みにそのことをぼかしているように感じたのだ。ちなみにアメリカ軍のM14について津野瀬氏は、頑なに否定している。津野瀬氏によれば、当時のアメリカは自衛隊にM14を押し付けようとしていたらしい。だから当然、M14のサンプルは当時の防衛庁の技術研究所にもあったはずだ。
津野瀬氏をはじめとする64式を開発した関係者は、なんとしても国産自動小銃を開発し、自衛隊に配備したいと考えていたのだろう。これは当然だし、その考えには賛同する。あの時、64式を開発し、採用に持っていくことができなければ、日本の銃器開発技術は失われてしまっただろう。一度失ったものは二度と帰ってこない。だから開発チームはなんとしてもここで64式を完成させたかった。M14を目の敵にするのは無理もない。アメリカが強引にM14を売り込んできたとき、日本がそれを跳ねのけるには、もっと優れた国産銃があるという事実をぶつけるしかない。あの時、津野瀬氏をはじめとした開発チームは、“M14に勝るものを作る。ただそれだけに集中した”のだ。裏を返せば、“FALやG3に勝る必要はなかった”ということになる。
しかし、64式を真の意味で世界最高のライフルにしたいのであれば、世界中で配備が進むFALやG3を入手し、それを徹底分析するべきだっただろう。AKMもその対象だし、AR-10も同様だ。しかし、それをやった形跡はない。
Turkさんにそれを伝えると、「そんなはずはないだろう」と言った。日本政府が動けば、FALやG3など簡単に輸入できるはずだからだ。
その時、筆者は思い出した。中学生時代に読んだ古いGun誌に、64式開発経緯が記事として載っていたことを。それは旧Gun誌1971年4月、5月、6月号の3回にわたって掲載された、当時防衛庁陸幕武器科火器班長 山森 宏氏によるリポートだ。
その中で山森氏は、64式開発に際し、「FALやG3を研究用に入手しようとしたができなかった」と明記している。このことをTurkさんに伝えるとすごく驚いていた。
“FALやG3を手にすることなく、64式を開発したのか!”と。
日本には銃器文化がない。身近に銃がある環境でないと、真の意味で優れた銃を独自開発することは難しい。それでも優れた銃を作り出したければ、パクるしかない。文化がなくてもモノマネならできる。
そうしてみると、64式小銃が持つ、チグハグな部分はすべて腑に落ちる。非常識な操作性を持つセーフティセレクター、独立したボルトホールドオープンパーツがないこと、なぜこんな位置にあるのかと感じてしまう使いにくいボルトホールドボタン(スライド止め)、驚くほど機能的ではないサイトシステム、太すぎるグリップ、ガチャガチャ音がする上に長すぎて使いにくい二脚…。
お手本にするものが手元にないまま作ったので、こんなことになってしまった…。自分で徹底的に撃って試す環境がないので、何がどうであるべきかがわからない…。銃器文化があれば、「銃とはこうあるべき」という基本が根底にあるので、そんなおかしなものにはならないだろう。あの時、唯一あったお手本がアメリカのM14だ。M14は優れたライフルであり、実に使いやすい。しかしそれを目の敵にしていたので、そこからは何も学ぼうとしなかったのかもしれない。
設計スタッフがM14を手にフィールドを駆け、次々と現れるターゲットをマガジン交換しながら撃破していく。これを繰り返していけば、銃はどうあるべきかが見えてくる。そして本来ならFALやG3でもこれをやるべきだった。
それなしに開発したのが事実ならば、その割には“64式はよくできている”と思う。決して優れてはいない。しかし、ちゃんと使える。問題点は多々あるが、使用者側が様々な工夫でそれを克服し、開発から57年が経過する現在でも一部では現役だ。
それにしてもなぜFALやG3を輸入しなかったのか…。
できなかったと1971年の記事では書かれているが、できなかったのではなく、やらなかったのではないかと筆者は思う。迂闊にサンプルを輸入して、それが優れていることがわかってしまったら、独自開発の国産自動小銃の夢は潰えてしまう…。それはなんとしてでも避けたかったのでないだろうか。対抗馬はM14だけにしておけば、なんとでもなる。新小銃の評価基準をフルオート射撃性能の1点に絞った。少なくとも津野瀬氏の書籍からはそう読み取れる。single issueだ。
しかしながら、7.62mmのライフルに本来求められる性能はもっと違うものだ。どんな環境でも作動不良を起こさず機能する環境適応性、誰もが間違えることなくスムーズに使える簡便な操作性、必要充分な射撃精度、壊れたり故障したりしない耐久性、これらが優先事項だ。フルオート時の射撃性能など、二の次、三の次の項目であり、どうでもよいことだ。にもかかわらず、64式開発の最優先項目として扱われたように見える。
フルオート射撃は曲銃床のM14にとってこれは最大の弱点だ。直銃床の64式がそこを攻めれば、負けるわけがない。しかし、そこにFALやG3が比較対象として現れたら、64式が勝てるという保証はない。
実際のところ、64式のフルオートだって、言われるほど(設計者が胸を張るほど)高性能ではないと推測する。7.62mm×51のリコイルはけっして小さくない。自衛隊は64式を使って、一気にマガジンを空にするような射撃はおこなっていない。やっても2発、または3発連射するだけだ。10%減装弾を使い、ロックタイムの思い切り長くしてサイクルレートを落としたとしても、7.62mm弾はそれなりに跳ね上がる。そもそも7.62mm×51のバトルライフルにフルオートは不要で、セミオートで撃つのが正解なのだ。しかし、7.62mmNATOフルロード弾をM14でフルオート射撃する場合と比べれば、7.62mm減装弾を使いサイクルレートを落とした64式でフルオート射撃するのは楽だろう。これはあくまでの比較の話だ。
そもそも64式に高いフルオート射撃性能を求めたのは、誰なのか? 兵士がフルオートでライフルをバリバリ撃ちまくるのは、フィクションの世界だけだ。マガジンには20発しか入っていない。フルオートで撃っていたらアッという間にマガジンは空になる。だからそんな撃ち方は現実的ではない。そのうえ64式はエマージェンシーリロードには向かないデザインだ。自動的にボルトをホールドオープンし、それを維持できる単独のパーツを組み込まなかったのは、明らかに失敗だといえる。設計者はマガジンチェンジを瞬時におこなうことの必要性と重要性を理解していなかった。それゆえ不思議な位置にボルトホールドスイッチ(スライド止め)を配置した。あれが左側面にあれば、話はだいぶ違っただろう。
私は、64式小銃が制式制定された時、どんな最終試験がおこなわれたのだろうかと知りたいと思っていた。津野瀬氏の著書によると、64式は昭和38(1963)年5月から各種試験がおこなわれ、同年12月から官III型(最終試作モデル)による実用試験が開始された。昭和39(1964)年8月頃まで寒地試験、装備補給試験、空挺試験、耐久試験が実施され、同年9月7日、官III型小銃の図面仕様を持って新小銃が制式として認可され、10月6日、六四式7.62mm小銃の制式が制定されたとある。採用に至るまでには、約9カ月に及ぶ各種試験がおこなわれたわけだ。ただし、この一連の試験がおこなわれた時はすでにM14を採用する可能性は防衛庁の中にはなく、官III型単独での試験だったようだ。ただし、制式制定に必要な予算取得処置として、当時の大蔵省は昭和39年3月13日までM14取得予算を計上していた。予算的にはギリギリのタイミングまでM14を配備する形だったらしい。本来であれば、この一連の試験には、M14をも同時に持ち込むべきだっただろう。どっちが使いやすいか、どっちがタフなのかを知ることができるからだ。この時に試験した具体的内容と結果が知りたいが、それが公開されることは永遠にないだろう。
半世紀以上前に開発設計された64式を現代の感覚、価値観で評価し、現代の銃と比較するのはフェアではないと思う。あくまでも当時においてどうだったのかを論ずるべきだ。だから64式を評価する際の比較対象は、「FAL」「G3」「M14」、そして「AR-10」「BM-59」「AKM」となる。過酷な環境での使用を含めた実戦用ライフルとしての総合評価をおこなった場合、果たして64式はどういう位置づけになるのだろうか。それらと互角、あるいはそれ以上の結果が出て初めて、“64式は優れたライフルだった”といえる。それをしない以上、“悪くない(工夫すれば使える)ライフルだった”としか言えない。
TEXT:Satoshi Matsuo(月刊ガンプロフェッショナルズ副編集長)