2021/05/05
64式小銃の開発経緯に迫る【自衛隊】
「月刊ガンプロフェッショナルズ」では2021年6月号と7月号とで“64式小銃の真価”と題した記事をお届けする。これは従来の64式小銃に関するレポートとは大きく異なり、開発や採用の経緯ではなく、実際にこの銃を使うという視点に立ってその性能を分析するものだ。7月号はまだ発売されておらず、現時点では原稿も未完成だが、かつてないほど踏み込んで64式の実力を評価したものになるだろう。
このWeb記事では、64式小銃の開発経緯について解説する。6月号と7月号の2号に亘って展開する“64式小銃の真価”では、この部分を完全に割愛しているからだ。
新小銃開発の背景
警察予備隊が発足したのは1950(昭和25)年のことだ。当初、その小火器(ショルダーウェポン)装備はアメリカ軍供与のM1ライフル、M1カービン、そして旧軍の九九式短小銃を改造したものであった。この九九式改造ライフルは、朝鮮戦争において韓国軍に使用させるべく、.30-06に適合するようリチェンバリング(チェンバー再加工)を含む改造をおこなったもので、それが警察予備隊にも配備された。そして1952(昭和27)年に警察予備隊は保安隊に改組され、1954(昭和29)年に自衛隊となった。その時点での小火器装備はBARやM3グリースガンが加わった程度で大きく変わりはなく、当時のアメリカ軍に準ずるものだった。
しかし1950年代に、各国の軍用銃はフルオートマチック射撃も可能なアサルトライフルに移行し始めており(今日において、7.62×51mmの軍用ライフルをバトルライフルと呼称する場合が多いが、5.56mm等の小口径高速弾を使用するアサルトライフルが登場する以前には、そのような言葉の使い分けはせず、7.62×51mmもアサルトライフルと呼称した)、防衛庁(現在の防衛省)の技術研究所(のちの技術研究本部:TRDI:技本、現在の防衛装備庁)はその世界的趨勢に対応すべく、1956(昭和31)年より新たな小銃の設計に対する基礎研究が開始した。但し、この時点で、採用に向けての予算的な動きはない。
一方、防衛庁関係の小火器の修理をおこなっていた豊和工業は、当時の野崎信義社長の方針に基づき、独自に国産小銃の開発を開始した。もちろん独自開発といっても勝手に進めたわけではなく、同社顧問の岩下賢蔵氏(九九式短小銃の開発者)は防衛庁技術研究所に協力を仰ぎながら開発を進めている。技術研究所側は元小倉工廠の水野武雄一佐と旧陸軍技術本部にいた津野瀬光男三佐だ。元陸軍少将で日本製鋼の顧問である銅金義一氏もこの開発に加わっている。
試作開始
1957年7月、豊和工業は国産軍用小銃の設計を開始、同年11月には最初の試作品設計を完了させた。そして1958年3月に作られた最初の試作銃が、R1(ガスオペレーション)、R2(包底圧利用式)だ。R2の型式である包底圧利用式という言葉は、薬莢底部に掛かる燃焼ガスの圧力で遊底を後退させる方式を指す。但し、R2は作動カムを介在させた前後円筒型ボルトを用いた特殊な遅延方式を採用したディレイドブローバックであった(正確に防衛省火器用語を用いるなら、これは“遅延吹き戻し式”とするのが妥当と思われる)。
R2は日本陸軍が昭和5(1930)年から昭和16(1941)年にかけて、自動小銃としてピダーセンデバイスの日本版を採用しようとした(銅金義一大佐が推進したが、結果的には廃案となった)ことの名残りで、この新小銃開発に関わる者のある種のこだわりで試作されたようだ(海軍の四式小銃とは全く別物)。しかし、R2は設計上に無理があり、これを円滑に作動させるには薬莢に塗油するか、ボルトをかなり大きくすることが必要で、以後この方式での開発は断念された。そしてR1、R2共に銃の形状はストレートストックを採用しており、外観はAR10を彷彿させるものであった。
1958(昭和33)年8月から11月にかけて、R3型が設計され、1959(昭和34)年3月に完成した。これはダイレクトインピンジメント方式を採用し軽量化が図られているが、曲銃床で外観はM14に近い。そしてこのR3改良型の公開展示射撃が実施されたが、わずか数発でレシーバーが破損、展示射撃は失敗に終わった。
R4は日本人には縁起の悪い数字ゆえ欠番となり、1960(昭和35)年にガスピストン方式のR5が設計された。この時点で、以後はガスピストン方式での開発をおこなう方針が定まっている。しかしR5は設計されたものの、機能的には満足できるものではないと判断され、実機は作られていない。
この時点で開発チームは大幅な設計変更をおこなっている。そしてストレートストックの採用、2脚装備、回転速度を大幅に低下させることを目指した。その背景には、当時の自衛隊が次世代軍用ライフルに高いフルオートマチック射撃性能を持たせることを重視していたということがある。但し、それが防衛庁の方針であったのか、あるいは開発チームの思惑であったのかどうかはわからない。
回転速度を下げる
この時期、自衛隊の新小銃はアメリカのM14を導入する方針が防衛庁から出ており、開発チームはM14を大幅に超える性能の新小銃開発を急いだ。そして銅金義一氏の指示で、新小銃開発の中心人物であった津野瀬光男三佐が防衛庁を退官し、豊和工業に移動した。ちなみにこの津野瀬氏は、自身の著書でM14の性能を徹底的に否定している。
そして緩速装置を装備したR6Aが開発され、1961(昭和36)年11月にはR6Bが完成している。またこの時期、7.62mm減装弾の採用が決まった。フルオートマチックでの命中精度を高めるため、7.62mmNATO弾の装薬量を90%に減らしたものだ(ようするにマズルライズを小さくしたわけだ)。これにより、M14と比べて圧倒的に高い命中精度の向上が図れたといわれている。
この減装弾について、津野瀬光男氏は自身の著書『小火器読本』で、奇異なことを述べている。「NATO弾は弾薬設計上の常識であるエアスペースを無視して、装薬を薬莢に隙間なく詰め込んだ不良弾である」というのだ。どうやら薬莢内にエアスペースを設けないと装薬の燃焼にバラツキが生じるという事らしい。同じ意見は、かつて何人かの年配の日本人から聞いたことがある。どうやらこれが旧日本軍における“常識”とされていたようだ。しかし、現在世界で最も精度にシビアなベンチレストシューターのほとんどは、リロードの際にエアスペースを設けない。自己責任でリローディングマニュアルのMax値を超えたコンプレスドロードを実行し、これによって究極のグルーピングを叩き出している一流シューターも多い。エアスペースを設けないと精度が悪いというのは、完全は思い違いだろう。精度の高い弾薬を作るノウハウはそんな単純なものではないのだ。さらに言えば、遅燃性の火薬を使用するライフルの場合、エアスペースを大きく取り過ぎるのは危険である、ということの方が“世界の常識”となっている。この事から考えてもNATO弾を装薬量から不良弾と言い切るのは間違いだ(自衛隊の7.62mm減装弾はエアスペースを約10%としており、この程度であれば危険はないのだが…)。
一般的に64式で7.62mm減装弾を採用したのは、フルオートマチック性能向上のため、また日本人の体格にあったリコイルに抑えるためと伝えられている。さらに日本国内における戦闘では、最大射程を400m程度と設定しており、この範囲内であれば減装弾であっても著しく不利にはならないと考えられたようだ。しかし、ここに挙げたような旧日本軍の間違った常識も、減装弾採用に少なからず影響していたのではないかと思われる。
要求性能
1962(昭和37)年、陸幕の装備研究委員会から新小銃の要求性能が発表された。
- 連発時の命中精度を向上させること
- 重量・各部の寸法を日本人の体格に適応させること
- 入手しやすい材料を使用すること
- 重量を増加させることなく、命数、堅牢性を高め、簡素な機構とし、信頼性を高めること
実際にどういう言葉が用いられたかは確認していないが、その内容は抽象的だと感じる。複数社で開発を競い合い、トライアルで結論を出すのではなく、開発は豊和工業と防衛庁技術研究所が共同でおこなっているわけで、そこには数値目標はないのであろう。その一方で、アメリカ軍のM14を導入しようとする政治的な匂いもする動きもあり、この要求性能はM14導入阻止に向けたものであるような気がする。
しかし、肝心の国産小銃は問題に直面していた。開発中のR6B型は雨の中で射撃すると作動不良を起こすのだ。それは構造が複雑すぎたためだとされている。問題は緩速装置にあった。その改良をおこなったのが岩下賢蔵氏で、緩速装置を大幅に簡素化した。そして作られたのはR6K型だ。この“K”は賢蔵氏のKだ。これにより作動不良を解決すると共にシンプル化も達成した。
制式制定
同時期、M14導入予算が大蔵省で計上されており、国産小銃の開発はぎりぎり間に合ったということらしい。M14導入か、国産小銃の採用かのせめぎ合いの中、防衛庁は国産小銃の試作銃を発注、これが1962(昭和37)年7月に完成した官I型だ。これはR6B-3と呼ばれる試作モデルで、10月には官Ⅱ型(R6D)、その後に官Ⅱ型改(R6K)を経て、翌1963(昭和38)年10月に官Ⅲ型(R6K-E)が納入された。
そして1964(昭和39)年10月6日、官Ⅲ型が64式7.62mm小銃の制式が制定された。
津野瀬氏は、もう少しで米軍からM14という厄介なお荷物を押し付けられるところだったが、優れた性能を持つ64式を開発したことで、これを回避できたという。しかしM14は64式に比べ、銃として本当に劣るのだろうか。そもそも当時の開発チームや防衛庁がこだわったアサルトライフルでのフルオートマチック射撃は現実的なものなのだろうか。64式小銃採用のカギとなった緩速装置とはどんなものなのか、5月27日(木)発売の「月刊ガンプロフェッショナルズ7月号」では、それらを含めて64式小銃の真価に迫りたい。
TEXT:Satoshi Matsuo(月刊ガンプロフェッショナルズ副編集長)