2025/12/09
【NEW】Toshiさん応援企画 ワルサーP38は何処にいった?

Toshiさん応援企画 ワルサーP38は何処にいった?
Text by Satoshi Matsuo Photos by Toshi
12月号に続いて、病気療養中のToshiさん応援企画を今回もお届けする。Gun Pro Web最終号にToshiさんの記事が間に合うかどうかはまだ判らないが、ここまで一緒に頑張ってきてくれた彼を少しでもサポートしたいのだ。
今回はToshiさんのこれまでの写真を使って、ワルサーP38のお話をさせていただこう。
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大きな違いはフレームの材質が戦中モデルはスチールであったのに対し、戦後型がアルミニウムになったこととグリップのデザイン、素材の違いだ。戦後型はある時期以降、強度アップのために幅広の通称Fat Slideに改良されているが、この個体は戦中型と同じ幅だ。戦後型でも高級仕様としてスチールフレームモデルもあった。
1960年代頃まで、ワルサーP38は、最高性能のハンドガンだった。こう断言してしまって良いかどうかはともかく、機能的には最高性能を持っていたと思う。
P38は、フォーリングブロックロッキングシステムを持つ9×19mmのハンドガンで、装弾数は8発+1、トラディショナルダブルアクション(DA+SA)トリガーを装備し、ハンマーデコッキングセイフティやローディッドチェンバーインジケータを有する。実用ハンドガンとしてこのスペックは、1960年代においては最先端のものだった。
しかし、1970年代になると、同等の機能を持つ、より洗練されたモデルが作られるようになり、80年代には、装弾数の少ないちょっと旧式の銃と見做されるようになってしまう。
そしてトラディショナルダブルアクションやハンマーデコッキング機能とは本質的に異なる、プレコックストライカーやシングルアクションストライカーを装備したポリマーフレームハンドガンの台頭により、P38は完全に過去のものとなり、表舞台から消えていった。P38が製造終了したのが、何年のことなのかは今一つはっきりしないが1990年代の後半のことらしい。
そんな古臭い銃に対し、“ワルサーP38は何処にいった?”という表題は、ある意味で時代錯誤であることはじゅうぶんに認識している。何でいまさらP38にこだわるのか?と思われるかもしれない。しかし、冒頭に述べた通り、“1960年代頃まで、ワルサーP38は最高性能のハンドガンだった”のだ。たまには、そんな老兵のことを思い出してあげることは、悪いことではないだろう。
但し、P38が輝いていたのは半世紀以上前の事であり、その時代をリアルタイムで経験している人は、もう60代後半以上となってしまった。
かくいう自分もそういう年齢だ。自分の場合、銃に興味を持ったのが10歳の時と比較的遅かったこともあり、1960年代の銃器事情については、末期の事しか記憶にない。それでも当時、P38は最も人気のある銃であったことは肌で感じていた。まずは、そんな1960年代から70年代初めの昔話をさせて頂こう。
口径:9×19mm
全長:214mm
銃身長:126mm
重量:940g(戦中型)/775g(戦後型) :個体差あり
マガジン装弾数:8発
撃発方式:トラディショナルダブルアクション(シングル/ダブル)
作動方式:ショートリコイルオペレーテッド
かつてP38は大人気だった
1960年代は“スパイブーム”であった。イアン・フレミングの小説“ジェイムズ・ボンド”シリーズ(当時、小説の邦訳は“ジェームズ”ではなく、“ジェイムズ”と表記されていた)を映画化した『007』シリーズは世界的にヒットし、これを受けて、スパイをヒーローにした映画やテレビドラマが多数製作された。
但し、その“スパイ”とは本来のspyではない。スパイとは、本来なら敵対する国家や組織の軍事・政治・経済・技術などの重要情報を様々な手段で取得するために活動する者、またはその行為を指すが、当時描かれた“スパイ”は、“世界を舞台に悪と戦うヒーロー”であり、敵は“世界征服を狙う悪の秘密結社”、もしくは“途轍もなくデカいことをやろうと企む悪い奴ら”であった。
映画では“007シリーズ”を筆頭に、
“電撃フリントシリーズ” 『電撃フリントGO!GO作戦』(Our Man Flint:1966)、『電撃フリント・アタック作戦』(In Like Flint:1967)
“サイレンサー(マット・ヘルム)シリーズ” 『サイレンサー/沈黙部隊』(The Silencers:1966)、『サイレンサー/殺人部隊』(Murderers' Row:1966)、『サイレンサー/待伏部隊』(The Ambushers:1967)、『サイレンサー/破壊部隊』(The Wrecking Crew:1968)
“殺しの免許証(ライセンス)シリーズ” 『殺しの免許証』(Licensed to Kill:1965)、『続・殺しのライセンス』 (Where The Bullets Fly:1966)(3作目もあるが、あれは別物)などがあった。
自分が銃に興味を持ったのは、これらの映画の少し後の60年代末期なのと、まだ小学生だったので劇場では観ていない。観たのはテレビの洋画劇場だ(サイレンサーシリーズは1作目のみ、殺しの免許証も1作目のみしか観ていない)。
テレビドラマでもスパイアクションは、『0011ナポレオン・ソロ』シリーズ(The Man From U.N.C.L.E.:1964-1968)、『スパイ大作戦』シリーズ(Mission Impossible:1966-1973)、『スパイのライセンス』シリーズ(It Takes A Thief:1968-1970)など、数多くあった。
『0011ナポレオン・ソロ』シリーズは再放送で観た。『スパイ大作戦』は後期の作品を観ている。
一連のスパイアクション中で、P38をヒーローガンとして使用したのは『0011ナポレオン・ソロ』シリーズだけだが、当時のスパイアクション映画の舞台はヨーロッパ、あるいはヨーロッパにある架空の某国という設定が多く、そのためリボルバーはあまり登場せず、多くがセミオートだった。その中でもP38とP08はかなりの頻度で見かけたと記憶している。
007はワルサーPPKが定番だった(原作小説ではリボルバーも使っている)が、映画第3作目である『007/ゴールドフィンガー』(Goldfinger:1964)ではP38をボンドが使用するシーンがある(たぶん、アストンマーチンDB5に搭載されていた車載銃という設定)。
P38が使われた映画として、妙に記憶に残っているのは『デンジャー・ポイント』(Puppet on a Chain:1970)だ。冒険小説で有名なアリステア・マクリーンの小説“Puppet on a Chain”(麻薬運河:1969)の映画化だが、アムステルダムを舞台にアメリカから派遣された特別捜査官が麻薬犯罪組織と対決するというものだ。厳密にはスパイ映画ではないが、あの時代のスパイは既に述べた通り、007を含めて、スパイというより犯罪組織と対決するヒーローだった。その意味ではこれもスパイ映画の延長線上にある作品だといって良いだろう。
クライマックスの運河でのモーターボートによる追跡および銃撃戦のシーンで、主役のシャーマン捜査官はP08を使用する(たしか敵から奪ったという設定)。ところがシーンによってP08はP38に入れ替わることが頻繁に起こった。
当時、この映画を観ていた自分(この作品は劇場で鑑賞)は、不思議に思ったものだが、ずっと後になって、あのシーンは大幅な撮り直しがおこなわれたことが判明、たぶんその際に用意されたプロップガンがP08ではなくP38だったのだと考えれば、納得できる。スタッフのミス、あるいは「いーよ、よく似ている銃だから、誰も気づかないよ」って思ったのか。撮影終了後、編集の段階で「あ~っ!銃が違うじゃん、でももう撮り直せないから、このままにしよう」となったのだろう。
あと1本、P38がヒーローガンとして登場した映画の記憶があるのだが(クライマックスでエキストラマガジンを装着して撃っていた)、深夜にテレビ放送されたのを観ただけで、作品のタイトルは全く不明だ。
とにかく1960年代から70年代の初めまで、P38はやたらとスクリーンやドラマに登場した。しかし、70年代にはポリスアクションがブームになり、映画のテイストは大きく変わっっていく。ほとんどはアメリカ映画で、一部例外もあるが、ヒーローガンはリボルバーというケースが大幅に増え、P38の出番は第二次大戦ものの映画だけになっていく。
大口径化にも、ダブルスタックマガジンにも、また薄型化にもP38が対応できなかったのは、すべてこのロッキングシステムを採用したからだ。もし、あの時、既にパテントが切れていたブラウニングのティルトバレルロックショートリコイルを採用していたら、P38は今も進化を続けていたのかもしれない。SIG SAUER P220シリーズやベレッタ90シリーズのように。


