2025/11/10
MGC HEAVY DUTY 44 MAGNUM【ビンテージモデルガンコレクション26】

Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2014年5月号に掲載
映画「ダーティハリー」のヒットを受けて作られたのがMGCのプラスチック製ヘビーデューティー44マグナムの6.5インチだ。その後映画は続編も作られ、どんどん盛り上がり、それと共にモデルガンの人気もうなぎ登りに上昇していく。当時、44マグナムといえばMGCのこの44マグナムのことだった。


諸元
メーカー:MGC
名称:ヘビーデューティー44マグナム(6.5インチ発売時)
主材質:耐衝撃性ABS樹脂
撃発機構:シングル/ダブルアクション
発火機構:シリンダー内前撃針
カートリッジ:インナーロッド方式
使用火薬:平玉紙火薬3~4粒(のちに7mmキャップ火薬)
全長:240mm(4インチ)、298.5mm(6.5インチ)、350mm(8-3/8インチ)
重量:430g(4インチ)、540g(6.5インチ)、560g(8-3/8インチ)
口径:.44
装弾数:6発
発売年:6.5インチ:1974年(昭和49年)
発売当時価格:¥4,900(6.5インチ)、¥5,500(8-3/8インチ:1976年)、¥5,000(4インチ:1978年)(カートリッジ別売)
オプション:カートリッジ6発¥700、大型グリップセット¥1,000-
※ smG規格(1977年)以前の模擬銃器(金属製モデルガン)は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※ 1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアー, イエロー等を吹きつけるなどの処置が必要です。
※ 全長や重量のデータはメーカー発表によるもので、実測値ではではありません。また価格は発売当時のものです。
映画「ダーティハリー」(1971)が日本で劇場公開されたのは1972年2月11日のこと。しかし当時はテレビのカラー化が進み、全国で映画館数が減り続けていた頃。そのあとで「エクソシスト」や「タワーリング・インフェルノ」、「大地震」などの話題作・超大作が続々と封切られて、どうにか減少傾向にストップを掛けるのだが、1972年当時はピーク時の7,457館に対して2,673館と1/3近くに激減していた。
ボクの田舎にあった映画館も1970年くらいになくなっていた。映画を見るには、電車に乗って大きな町まで行かなければならなかった。一番近い映画館は隣の町にあった二番館。上映作品は、封切館で上映が終わった古いものばかり。作品によっては回ってこないこともあった。
そんなわけでボクが初めて「ダーティハリー」のことを知ったのは、床屋さんにあった映画情報誌の「スクリーン」(のちに「ロードショー」も出た)とか、「中学時代」とか「中学コース」などの学年誌での紹介記事だったと思う。初めて見たのは、たぶん1978年の「日曜洋画劇場」でのTV放送時だったと思う。実際にスクリーンで見たのは東京の名画座で1980年代になってから。
大きな都市では「ダーティハリー」を見た男性客の多くがそのままモデルガンを買いに行ったらしい。ところが当時は44マグナムのモデルガンがなかった。アメリカの実銃だってカタログにはあってもほとんど流通していなかったのだから当然だ。それで、形が良く似ていたMGCの357コンバットマグナムの6インチが売れたらしい。ただし、すでにモデルガン第一次法規制後だったので、金色になっていた。
そこで、MGCではすぐに44マグナムの製作を決定した。黒くするにはプラスチック製しかなく、ちょうどNフレームの.41マグナム ハイウェイパトロールマン(ハイパト)があった。これをベースにすれば早く作れる。
この当時の「ダーティハリー」とモデルガンに関連する事項をザッとまとめると……
■映画
「ダーティハリー」(1971) 日本劇場公開1972年2月11日(ウィキペディアでは2月26日)
「ダーティハリー2」(1973) 日本劇場公開1974年2月9日
「タクシードライバー」(1976) 日本劇場公開1976年9月18日
「ダーティハリー3」(1976) 日本劇場公開1976年12月25日
「ダーティハリー4」(1983) 日本劇場公開1984年4月14日
「ダーティハリー5」(1988) 日本劇場公開1988年9月23日
「ダーティハリー」TV初回放送 日曜洋画劇場(テレビ朝日系)1978年4月23日
■MGCモデルガン
ハイパト41 ヘビーデューティマグナム:1972年発売
ヘビーデューティ44マグナム 6.5インチ:1974年発売
44マグナム8-3/8インチ:1976年発売
44マグナム4インチ:1978年発売
■背景
モデルガン第一次法規制:1971年10月20日施行
第二次法規制:1977年12月1日施行モデルガン製造協同組合:1974年12月設立
という感じになる。
本誌2012年7月号の「MGC製ハイウェイパトロールマン41」で、フレームに「SW/10」と「072910」の刻印があったことを書いた。これは設計を手掛けた小林太三さんによると、自身のデザインによるS&Wリボルバーの10番目のフレームで、1972年9月10日にすべての設計が完了し、金型の製作がスタートした日だそうだ。もちろん「ダーティハリー」の第1作はすでに劇場公開されていた。それでも44マグナムにせずあえて41マグナムにしたのは、第1作の「ダーティハリー」が最初は大ヒットではなかったからだろう。
一方、映画の盛り上がりを受けて製作された44マグナムの方の刻印は「SW/11」と「074128」だ。ハイパトはバレルとフレームが一体の設計で、単純にバレルを6.5インチ(MGCでは実銃同様6-1/2インチと呼ぶことは少なかった)に長くすることはできなかった。フレームとバレルを別々に作り、それを製造過程で一体化するしかなかったため、フレームも新たにデザインする必要があったのだ。スピードとコスト優先で作り込めなかったハイパトの細部にも修正を加えたかったと、小林さんは言う。それで、内部のパーツは共有でありながら、SW/11になったのだ。
「074128」は1974年1月28日の意。設計完了、金型スタート日だ。これは「ダーティハリー2」の公開日に近い。たぶん、その日からそれほど遠くないころに発売されているはずだ。そしてモデルガン唯一のダーティハリーの44マグナムとして大ヒットする。
バレル内のウエイトと真ちゅうカートリッジのおかげでそこそこ重く、銃腔も抜けていて、平玉紙火薬を3〜4粒も詰めて撃てば、大音響とマズルフラッシュが楽しめた。
すぐにマルゴーや国際からも類似品が発売された。おもしろいのは、実銃が1957年からモデルナンバー制を導入してモデル29と呼んでいたにも関わらず、MGCはあえてハイパトからのオリジナル名称「ヘビーデューティマグナム」で呼んだこと。実銃はモデル29となる前は「ザ.44マグナム」だった。MGCは積極的に輸出していたこともあり、商標権に配慮したのだろうか。
対抗上なのかマルゴーは「コンバットマグナム」、国際は「44コンバットマグナム」と、実銃の.357 M19のニックネーム「コンバットマグナム」を採用していた。
MGCは8-3/8インチを発売するときに、カタログでの名称を「44マグナム」で統一した。ハイパトは「ニューハイウェイパトロールマン44」となり、これものちに44マグナムの4インチとなった。
グリップはコストを抑えるためハイパトと共用のマグナ・グリップだったが、少しでも重さを増すため、亜鉛合金製のソリッドなグリップアダプターが標準装備された。
しかし「ダーティハリー」と同じオーバーサイズのターゲットグリップが欲しいという声が多かったため、コンバット・マグナム用の大型グリップを付けることにした。これもやはりコストダウンを考えてのこと。どうやら設計時点でコンバットマグナムのグリップを付けることは考慮されていたらしい。
ただし、さすがにKフレーム用のグリップはそのままでは装着できず、スペーサーというプレスで打ち抜いた1mmほどの厚さの鉄板をはさむようになっていた。それで、グリップ700円、グリップ・スペーサー200円、グリップスクリューカラーナットセット100円の、一式1,000円という大型グリップセットが発売された。
木製の大型グリップを望む声はボクの周りでもたくさんあったが、結局、最後までMGCからは発売されなかった。
類似品も発売されるほどの大ヒットとなった44マグナムは、いまだにグリップアダプター付きのスタイルの方がいいというコアなファンもいる名銃である。
Gun Professionals 2014年5月号に掲載
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