2025/10/31
ブラウニングバックマーク 22LR セミオートマチックピストル【動画あり】


1985年に登場したブラウニングのバックマークは、生産性を重視したユニークな構造をもつ.22口径自動拳銃だ。幾度かの改良を経つつ製造が続けられ、2025年で40周年を迎えている。
本記事では.22口径自動拳銃の重要モデルを振り返りつつ、バックマークの構造上の長所と短所を示し、バリエーション2種の実射を通して操作性を検証してみた。
*それぞれの画像をクリックするとその画像だけを全画面表示に切り替えることができます。画面からはみ出して全体を見ることができない場合に、この機能をご利用ください。
.22口径自動拳銃の始祖
ライフルでもハンドガンでも、実弾射撃の基本を学ぶには.22口径が最適だ。反動が少ないのでサイトピクチャーやトリガーコントロールに集中しやすく、弾薬費も比較的安価なので財布にもやさしい。年季の入ったシューターの中にも.22口径の銃器を好む人は多く、かくいう私もそのひとりだ。カジュアルなプリンキングからシリアスな競技、そして小動物のハンティングや野犬対策など.22口径が活躍する場は多く、米国の田舎では生活の一部とまでは言えずとも、実用品としての地位が確立されている家庭も珍しくない。
最初の.22口径自動拳銃は、1915年に発売されたコルト オートマティック ターゲットピストル(Colt Automatic Target Pistol)とされている。これを設計したのは偉大な銃器設計者であるジョン・ブラウニング(John Moses Browning)で、1927年には“Woodsman”(ウッズマン)という製品名が付与された(それまでの製品は慣用的に“Pre-Woodsman”、プリウッズマンと呼称されることが多い)。使用カートリッジは22LRでフレームは鋼材からの削り出し、作動方式はシンプルブローバック(ストレートブローバック)で撃発方式は内蔵式ハンマーだ。
今日、多くのメーカーが様々な.22口径自動拳銃を発売しているが、コルト社のウッズマンはそれらすべての始祖ともいえる。1915年の登場以来、1977年に製造が中止されるまでに2度の大きな設計変更が行なわれたため、ファーストシリーズ(1915~1947年)、セカンドシリーズ(1947~1955年)、サードシリーズ(1955~1977)に分類されており、シリーズ間でのマガジンの互換性はないが、装弾数はいずれも10発だ。標的射撃に適した6~6-5/8インチ銃身と、携行に便利な4-1/2インチ銃身の選択肢が用意されたほか、精密射撃を意識したスラブサイディッドバレルの“Match Target”(マッチターゲット)という上位モデルも製造された。その一方で、ウッズマンの廉価版として1950年に“Challenger”(チャレンジャー)が登場し、1955年にはその後継である“Huntsman”(ハンツマン)に更新されている。
米国文学にも登場するなど、ウッズマンには.22口径自動拳銃の代名詞ともいえる時期もあったが、競合他社の製品も増え、古い設計ゆえに製造に手間がかかって販売競争力が低下したこともあり、1977年に製造中止となった。62年間に製造された各バリエーションを合わせた数は、約690,000挺と伝えられている。
非コルトの.22口径自動拳銃
.22口径自動拳銃の黎明期に、コルト社のほかで製造されたものの筆頭はハートフォードアームズ社(Hartford Arms & Equipment Company)のモデル1925だ。そのシルエットはコルト オートマティック ターゲットピストル(プリウッズマン)に酷似しており、当時の広告によれば22LRに加えて22ショート版も用意されていたようだ。1925~1930年の5年間に、約5,000挺製造されたといわれている。
ハートフォードアームズ社は1932年にハイスタンダード社(High Standard Manufacturing Company)に買収され、その年にモデル1925はハイスタンダードのブランドからモデルBとして発売された。そのほか、同社は米軍向けに多くの.22口径自動拳銃を納入し、それらの大半は射撃訓練に用いられたほか、一部には消音機能が付与されてOSS(Office of Strategic Services、戦略情報局)で使用されている。
オリンピック競技においてもハイスタンダードの.22口径自動拳銃は活躍しており、1952年のヘルシンキ大会(フィンランド)では50mフリーピストル競技で、1960年のローマ大会(イタリア)ではラピッドファイア競技で優勝者たちの使用銃であった。それらの銃身は工具なしで容易に着脱が可能で、ハイスタンダード社がその後期に製造した.22口径自動拳銃の大きな特徴となっている。残念ながら1968年頃から業績が悪化し、1976年と1978年の工場移転を経た後、すべての設備は1984年に競売にかけられ、元祖ハイスタンダード社の歴史は幕を閉じた。
もうひとつ、.22口径自動拳銃の発展を語る上で外せないのがスターム・ルガー社(Sturm, Ruger & Co., Inc.)だ。1949年1月に設立された同社は、創設者のひとりであるビル・ルガーの設計した“.22 Ruger Pistol”をもって銃器業界に参入した。プレス加工と溶接によって製造されたグリップフレームや、筒状レシーバー内に配置されたボルトなど、コルトのウッズマン系とはまったく異なる構造をもち、他社製品より低い価格でありながら高い信頼性によって多くのユーザーを獲得してゆく。ヘビーバレルとアジャスタブルリアサイトを備えたターゲットモデルの登場を機に“Mark I”(マークワン)と呼称され、1982年にはホールドオープン機能が追加されてマガジン装弾数が10発に増加した“Mark Ⅱ”(マークトゥー)に更新された。1992年には1911のグリップ形状を踏襲したポリマーフレームの22/45が登場、2004年には金属フレームモデルのマガジンキャッチをグリップフレーム底部から左側面に移設し、マガジンセイフティやローディッドチェンバー インディケイター、そしてインターナル キーロックなどが追加された“Mark Ⅲ”(マークスリー)に更新されている。トリガーガード形状が変更された22/45シリーズもマークⅢ仕様となったほか、2012年4月には軽量バレルドレシーバーを標準装備した“22/45 LITE”(ライト)が発表された。
大ヒット作となったルガーのスタンダードピストルだが、通常分解が面倒であるという欠点があった。ツールなしで分解が可能といわれることもあるが、実際にはバックストラップ部に配置されたメインスプリングハウジングラッチを素手で起こすのは困難だ。メインスプリングハウジングの取り外しや組み込みにもコツと慣れが要求されることに加え、バレルドレシーバーとグリップフレームの組み合わせがタイトで、分解/結合には樹脂ハンマーが必要である場合が多い。
2016年に発売されたマークⅣはグリップフレーム後部にテイクダウンボタンを備え、バレルドレシーバーを簡単に分離できるのでメンテナンス性が大幅に向上した。撃発メカニズムや基本レイアウトに大きな変更はないが、従来モデルでは板金/溶接工法で作られていたグリップフレームは切削加工部品となり、熟練工の経験と技術に頼っていた部分をCNCマシニングセンターに置き換えることで、より正確な管理が可能となっている。マークⅣにもポリマーフレームの22/45仕様や、軽量バレルドレシーバーのLITE仕様が順次追加されていった。


