2025/10/14
最新型デザートイーグル .429DE 【動画あり】

Text and Photos by Yasunari Akita
Gun Professionals 2019年9月号に掲載

オートマグ登場以降、マグナム弾を発射するセミオートピストルは数多く誕生した。しかし、そのほとんどは製品として成功を収めていない。その中で唯一の例外といえるのがデザートイーグルだ。アメリカ国内で成功しただけでなく、世界各国に輸出されており、そのポジションは揺らぎようがない。今回はそんなデザートイーグルの最新モデルを取材すべく、ミネソタ州のマグナムリサーチを訪ねた。
Magnum Research Inc.
創業から今年40周年を迎えるマグナムリサーチ(Magnum Research Inc.:MRI)にとって、2019年は別の意味でも記念すべき年となった。2009年からミネソタ州ピラガー(Pillager)の工場で徐々に生産数を増やしてきたデザートイーグルが、完全な形でのアメリカ製となり、イスラエルでのデザートイーグル生産はついに終了となったのだ。
1979年、社長にジム・スキルドゥン(Jim Skildum)、会長/最高執行責任者にジョン・リスダル(John Risdall)が就任し、ミネソタ州ミネアポリス近郊にMRIが誕生した。このとき既にデザートイーグルの基本コンセプトはある程度まとまっていた。そしてその開発を進めるべく、技術者のバーナード・ホワイト(Bernard C. White)が同社に参加した。
試作モデルはEAGLEと呼ばれ、ジョージア州アトランタで開催された1982年のSHOT SHOWで第1号プロトタイプが展示された。この様子を報じた1982年のアメリカンハンドガンナー誌(May/June号)によれば、このプロトタイプは、.357マグナム口径でマガジン装弾数は7発、6つのロッキングラグを備える回転式ボルトと独自のガス作動方式を組み込んだモデルだった。ツールを使わずに容易に分解組み立てが可能で、スライドに備えられたアンビセイフティレバーを操作すると、ファイアリングピンを直接ブロックすると同時にトリガーの作動をディスコネクトする。さらにシングルアクションのトリガープルの微調整も可能なモデルだと紹介されていた。
全体的に丸みを帯びたデザインだが、基本的なパーツ構成は後の完成型のそれに近かった。この時の記事には「生産は国外…イスラエルで行なわれるのではないかと噂されている…」と書かれている。この試作機に関する最初の特許(US Patent 4,563,937)がホワイトの名前で出願されたのは、1983年1月4日のことだった。
試作研究の継続と量産ライン立ち上げに関しては、やはり新興企業のMRIだけの力では限界があったため、イスラエルにあるIMI(Israeli Military Industries, Ltd)に開発の協力と生産を依頼し、それ以降の試作開発はIMIの技師であるイーラン・セーレヴ(Ilan Shelev)により引き継がれた。1983年にIMIがMRIのサブコントラクターとして製造を担当する形でMark I が完成し、輸入・販売が開始された。
モデル名は製造国のイスラエルの風土のイメージを取り入れたのだろうか、"砂漠の"を追加した"デザートイーグル"となった(実際にイスラエルは渡り鳥が数多く見られ、南部ネゲブ砂漠などにも鷲や鷹が生息するらしい)。
この銃に関する特許は、発売されて少し経過した1985年12月19日に同技師の名で改めて出願され、登録されている(US Patent 4,619,184)。
実はその試作第1号と、出荷が開始される前の最終試作モデルと思われるモデルを、Turkさんは当時のSHOT SHOWで実際に見ている。1982年にアトランタで展示されたプロトタイプも見ているし、その翌年、ダラスで開催された第5回SHOT SHOWで展示されたサンプルを、旧Gun誌1983年4月号でご紹介している。当時の写真をご覧いただくとお判りの通り、この試作サンプルは、グリップパネルのデザインが異なっている他は、ほぼ量産モデルと同じところまで近づいていた。
この時の発表されていた情報は以下の通り。バレル長は基本の6インチ、8インチ、10インチ、14インチの4種(8インチは結局実現しなかった)で、6インチバレルの重量は約1.7kg(スチールフレーム)、または約1.47kg(アルミアーロイフレーム)で、軽量フレームが当初から計画されていたのだ。この軽量フレームモデルは、その後少数が生産されたものの、けっして主流にはならなかった。
.357マグナム(マガジン装弾数9発)からの出発になったが、バレル、ボルト、マガジン交換で.44マグナム(マガジン装弾数7発)に変貌する事もその時点で予告されている。Turkさんもこの36年前の記事で、普通のリボルバー用のリムドカートリッジが使用できる事が大きな魅力だと述べている。確かにその通りで、もし専用弾で製品化さえていたら、デザートイーグルはテイクオフできなかっただろう。デザートイーグルは以下、DEと略して表記する。
世界初の市販マグナムオートであったオートマグ(Automag)は、設計に多々問題がある上に、パーツ間の摩擦が強いステンレス素材を選択した事でさらに作動性能は低下し、オートジャムのニックネームまで頂戴したのだが、同時に専用弾を必要としたことの問題が大きかった。
銃の発売に併せて、.44マグナムのリムレス版である.44AMPを製造供給してくれるアモメーカーは現れず、オートマグのオーナーは、.308Winのケースをカットして自作するしかなかった。これは普通のユーザーには厄介なハードルであり、オートマグ普及の足を止めた。
リボルバー用のリムドカートリッジがそのまま使用できるDEのデザインは優れている上に、固定式バレルは命中精度向上にも繋がる。さらにスコープを直接バレルにマウントできる設計はポテンシャルが高かった。
何よりDEのガス作動は完成度が高く、十分な信頼性を備えていた。Turkさんはその後、発売された最初期の.357モデルを旧Gun誌で実射レポートした際、158gr以上の重い弾頭でないと作動が安定しないと書かれている。もっともこの問題は後に解決した。
DEの独特なデザインは、直ぐにエンターテインメントの世界で認められることになる。1985年8月に公開されたマイケル・チミノ監督、ミッキー・ローク主演映画『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(Year of the Dragon)で主役のスタンリー・ホワイト刑事が途中からクライマックスまで使用したのがDEの銀幕デビューだった。
続いて同年10月公開の映画『コマンドー』(Commando)」でシュワちゃん演じるジョン・メイトリックス元大佐がシルバーモデルを駆使し、最後の突入前に装備装着のギアアップシーンでは格好良く装填し(よく見ると叩き込むマガジンのフロアプレートが外れそうになっているが)、戦闘中にもバリバリ敵を始末する活躍を披露する。
ここで既に大型でいかついDEのデザインと肉体派アクション俳優の組み合わせという構図が完成し、シュワちゃんはそれ以降も『ラスト・アクション・ヒーロー』、『イレイザー』などでもDEを撃っている。
ブルース・ウィリス、ドルフ・ラングレン、ジャン=グロード・ヴァン・ダム、カート・ラッセル、トム・クルーズ、ジェット・リー、アントニオ・バンデラス、ジェイソン・ステイサム、ドウェイン・ジョンソンなど名立たる俳優は、少なくとも一度はDEを手にしているのだ。
メル・ギブソンはスクリーンでは撃ってないようだが、以前タラン・バトラーのレンジに来ていた時に筆者の.50AEを撃ってもらった。DEは数え切れない映画やドラマ、そしてビデオゲームなどに登場する事で世代を超えて世界中で知られる存在になった。


