2023年2月号

2025/08/11

コルト モデル1877 ライトニングリボルバー Part 6 コルト初期型ダブルアクションの系譜

 

Text by Masami Tokoi 床井雅美 

Photos by Terushi Jimbo 神保照史


ライトニングリボルバーを含めた初期のコルト ダブルアクションリボルバーの変遷をたどってみよう。当時のコルトがダブルアクションに対して、どのような姿勢で臨んだのかが見えてくる。

 

Gun Professionals 2023年2月号掲載

2025年8月 GP Web Editor 加筆修正

Part 3 “ライトニングのダブルアクションとシリンダーストップ”の加筆修正に伴い、記述の一部を修正しました。

 

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 コルトがガンメーカーとしてダブルアクションリボルバーにチャレンジしたのは、ライトニングリボルバーが初めてではない。この銃が開発された1876-77年から遡ること約35年前の1842年に、サミュエル・コルト(Samiel Colt:1814-1862)は最初のダブルアクションリボルバーの開発にチャレンジしていた。
 パターソンリボルバーの発売に、アメリカ海軍が反応した。海軍におけるピストルの位置付けは陸軍ほど高くない。しかし、当時アメリカ海軍は、以前の帆船時代から続く海軍の戦闘手法を基本としていた。海軍における戦闘は、敵艦に対する砲撃が基本だ。しかし、敵艦に対する攻撃は、砲撃戦だけではない。敵艦の側舷に突撃し、側舷を破壊し、穴を開け浸水させて沈める戦法もとられていた。そのため、当時の戦艦は、艦首部分の喫水線以下が前方に長く延長されており、これは敵艦に被害を与えるための設計であった。さらに敵艦に強行接舷し、兵士が敵艦に乗り移って甲板上で戦う移乗攻撃も想定されていた。
 この移乗攻撃用として、海軍でもピストルが用いられていた。当時のピストルはパーカッション式のマズルローダー単発が主流で、1発射撃すると、戦闘中の再装填はまず不可能だった。射撃した後のピストルは、重くてかさばるだけになってしまう。そこでアメリカ海軍は、単発パーカッションピストルのバレル下方に大きな戦闘用ナイフを付属させたものを採用し、支給していた。まず敵に向けて射撃し、その後に銃に付属する大型の戦闘用ナイフを用いた白兵戦に移行するという想定だ
移乗攻撃は混戦が想定されるが、そこですばやく銃弾を連射できれば戦闘を有利に展開できる。サミュエル・コルトは、海軍向けの特殊パターソンリボルバーを1842年頃に考案した。
 それはオリジナルのパターソンリボルバーとは大きく異なるものだった。このリボルバーには当時のアメリカ海軍が使用していた単発ピストルに倣い、大きな戦闘用ナイフがバレルの下方に装備されていた。相違点はそれだけではない。敵艦甲板上での戦闘ではすばやく連射することが有利と考えられ、この特殊パターソンリボルバーにはシングルアクションではなくダブルアクションの撃発機構が組み込まれていたのだ。それにはシングルアクションで射撃する機能はなく、常にダブルアクションで射撃するダブルアクションオンリーというものであった。
 組み込まれているダブルアクションのメカニズムは、トリガーの後端に長いバーが装備されていて、このバーがハンマー基部の左側面に突き出た突起に掛かっている。トリガーを引くとこのバーがハンマーをコックする。さらにトリガーを引き続けると、トリガーから延びたバーはハンマーの突起から外れ、ハンマーがフリーとなって前進し、撃発に至る。
 最終的にこのアメリカ海軍向けに考案された特殊パターソンリボルバーは、1844年にわずか1挺の試作品が製作されただけで、製品化されることなく終わった。

 

▲サミュエル・コルトが1842年頃にアメリカ海軍のために考案し、1844年に1挺だけ試作された特殊パターソンリボルバー ダブルアクションの構造図

 

 イラスト図をご覧頂くとお判りの通り、この銃のトリガーは驚くほど長く、引いて操作するレバーのようなものとなっている。通常のトリガーでなく、大きなトリガーレバーを装備させたのはダブルアクションでハンマーをコックし易くするためだが、リポーターはここにサミュエル・コルトの誤算があったように思う。一般にピストル射撃で命中精度を向上させるためにはグリッピングが最も重要とされている。手のひらにグリップがしっかりとフィットしていなければならない。しかし、大きなトリガーレバーを作動させることと正確なグリッピングを同時におこなうことは難しい。ルーズなグリッピングにならざるを得ないこの形式のトリガーレバーで命中精度を得ることは困難だ。
 当然、サミュエル・コルト自身も試作されたこの特殊パターソンリボルバーを試射してみたはずだ。この特殊パターソンリボルバーの命中精度が良好でなかったことは容易に想像がつく。リポーターは、サミュエル・コルトが特殊パターソンリボルバーを試射した結果、“ダブルアクションリボルバーは命中精度がよくない”と認識し、それが一生継続し続けたのだと思っている。
 1851年、アメリカ海軍はコルト製モデル1851ネービーリボルバーを選定採用した。海軍向けに考案された特殊パターソンリボルバーと異なり、このモデル1851ネービーリボルバーは、ウォーカーリボルバーを発展小型化させたベビードラグーンリボルバーをベースとしている、きわめてオーソドックスなシングルアクションリボルバーだった。
 そしてコルトはパターソンリボルバーを含めて、1847年に開発されたウォーカーリボルバー以降、生産するすべてのリボルバーにシングルアクションの撃発メカニズムを組み込み、ダブルアクションリボルバーから遠ざかった。

 コルトが再びダブルアクションリボルバーの開発に参入するのは、シリンダーを貫通させたリボルバーのパテントが失効し、各社から金属薬莢式リボルバーが次々と登場するリボルバーが全盛期を迎えてからだった。
 コルトが重要な輸出先と考えたイギリスマーケットでは、既にダブルアクションリボルバーが主流になっていた。加えて、ダブルアクションリボルバーの即応性が一般にも知られるようになると、コルトもダブルアクションリボルバーの開発に乗り出さざるを得なくなる。この間の細かい状況はPart 1の“ダブルアクションリボルバーの開発経緯”の章をお読み頂きたいと思う。
 ライトニングリボルバーの開発当時、コルトはこのリボルバーを自衛用、並びに警察用と位置付け、SAAリボルバーとの市場でのバッティングを避ける方針だった。すなわちライトニングリボルバーは威力が限定的な38口径や41口径で設計され、一方軍用向けには大口径の45 SAAリボルバーを最適とし、棲み分けた。
 しかし、多くのライバルメーカーから軍用向けの大口径ダブルアクションリボルバーが発売されたため、コルトはすぐに方針転換を余儀なくされることになった。
 ライトニングリボルバーが発売された翌年の1878年、大口径弾薬に対応させたダブルアクションリボルバー、1878フロンティア ダブルアクションが発売されたのだ。
 この1878フロンティア ダブルアクションは全体的なシルエットはライトニングリボルバーとよく似ている。しかし、全体的に大型化したため、重量の軽減の目的でシングルアクションアーミーやライトニングにあった半球状のシリンダーリコイルプレートを廃止した。代わりに軽量化された薄い円盤をカットしたようなシリンダーリコイルプレートがフレームに装備されている。

 弾薬の装填排莢方式は、従来と同形式で、薄い円盤をカットしたようなローディングゲートを開き、そこから1発ずつおこなうものだった。バレル右側面にエジェクターを装備させてある点もシングルアクションアーミーなどと同じだ。

 

GP Web Editor補足修正
 装備されたダブルアクションのシリンダーストップの形式はライトニングとは異なるものとなっている。1878フロンティア ダブルアクションにはライトニングのような、シリンダーストップノッチがシリンダーの後面に無い。
 回転するシリンダーをストップさせる機能は、シリンダーのラチェットに食い込んでシリンダーを回転させるシリンダーハンド(pawlともいう)に組み込まれた。シリンダーハンドにシリンダーを固定するためのボルトが装備されており、シリンダーを回転させると共にトリガーを引き切った時は、このボルトがシリンダーを固定する。
 ところがこれがうまく機能せず、シリアルナンバー6000以降は、ラチェットロックのためのパーツがローディングゲート内側に追加された。そのため、コルト1878はトリガーを引き切った時、一瞬ローディングゲートがごくわずかだけ動く。
 モデル1878は1907年まで51,210挺製造されたため、ほとんどがこの改良型ローディングゲート仕様ということになる。

 この後に載せているメイソンのパテント図、そのfig.3は、ラチェットと噛み合うローディングゲートの図だ。

▲1881年9月20日にウィリアム・メイソンが取得した、コルト モデル1878ダブルアクションフロンティアリボルバーに関するU.S.パテント247,374
▲コルト モデル1878ダブルアクション フロンティアリボルバー。ライトニングリボルバーの大口径版として開発された。

 

▲モデル1878ダブルアクション フロンティアリボルバーのダブルアクションメカニズム図。

 

 この時期、ウィリアム・メイソンは新型ダブルアクションシステムを数機種の考案し、U.S.パテントを取得している。このことから、おそらくメイソン自身、彼が開発したライトニングリボルバーが抱える欠点に気がついていたことを示唆している。しかし、彼が新たに考案したダブルアクションシステムは依然として複雑で、おそらく生産にも困難を伴う形状の部品が多く含まれていた。

 

▲1881年10月4日にウィリアム・メイソンが取得したU.S.パテント247,938。トリガー側にダブルアクションアクセルを組み込んだ新型ダブルアクションに関するもの。

 

▲1881年10月11日にウィリアム・メイソンが取得したU.S.パテント248,190。これもトリガー側にダブルアクションアクセルを組み込んだ新型ダブルアクションに関するものだ。

 

▲1882年8月29日にウィリアム・メイソンが取得したU.S.パテント263,551。このダブルアクションメカニズムは、先行するものよりかえって複雑化してしまっている。


 それらメイソンの考案したダブルアクションメカニズムの中でリポーターが注目するのは、ハンマーでなくトリガーにダブルアクションアクセルを組み込んだ考案だ。実用性はともかく、メイソンの設計者としての発想には注目したい。
 新型ダブルアクションの考案と同時に、彼はスイングアウトシリンダーシステムの開発も進めている。パテントから見ると、彼は最初モデル1878フロンティア ダブルアクションリボルバーにスイングアウトシリンダーを組み込むことを考えていたようだ。

 

GP Web Editor追記

 そして1889年、コルトはついにスイングアウトシリンダーのダブルアクションリボルバーを発売した。それがコルトモデル1889だ。
 このリボルバーもウイリアム・メイソンが中心になって開発したもので、シリンダーの回転方向がこれまでのコルトリボルバーとは異なり、左回転となっている。またこの銃もシリンダーの側面にシリンダーストップノッチがない。

 シリンダーの回転と停止は、またしてもシリンダーハンドを用いている。最大の問題は、このシリンダーの固定が不十分で、銃を携帯しているときにシリンダーが回ってしまう可能性があることだ。シリンダーにフル装填して携帯しているのであれば、あまり問題にならないだろうが、当時広くおこなわれていた、安全のために1発だけ空にして携帯する手法だと、勝手にシリンダーが回ってしまい、トリガーを引いても弾が撃てないというトラブルにも発展する。

 

▲コルト 1889ネービー ダブルアクションリボルバー

 

▲コルト 1889ネービーダブルアクションリボルバーのダブルアクション構造図

 

 そのため、この1889ネービーダブルアクションリボルバーをベースに改良を加え、4年後の1892年に発売されたコルト ニューアーミー&ネービーリボルバーは、シリンダーストップノッチをニューラインリボルバーより前と同様、再びシリンダーの側面に移動させ、シリンダーの固定を確実なものとした。
 やがてコルトの開発部に新星が現れる。Frank B. Felton(フランク・B・フェルトン)だ。彼がコルトの現代ダブルアクションリボルバーの基礎を築いたといっても過言でないだろう。フェルトンが1895年3月5日に取得したU.S.パテント535,097を見ると、まだ先行したコルト製のリボルバーの影響を残しているものの、ハンマーに装備されたダブルアクションアクセル、スイングアウトシリンダー、フレームに装備された後方に引くスイングアウトシリンダーラッチなど、その後のコルトのダブルアクションリボルバーに組み込まれることになる基本的なデザインを確立した。

▲1895年3月5日にフランク・B・フェルトンが取得したU.S.パテント535,097。その後のコルト ダブルアクションを方向付けたパテント。ハンマーにダブルアクションアクセルを組み込んである。

 

コルト ライトニングリボルバーという存在

 ライトニングリボルバーはコルトにとって、また、アメリカ社会にとってどのような影響を及ぼしたのかをリポーターなりに考察してまとめてみる。
 ライトニングリボルバーは、アメリカの西部、当時ワイルドウエストと呼ばれた地域で、伝説のアウトロー ビリー・ザ・キッドの愛用リボルバーとして広く知れ渡った。

 ビリー・ザ・キッドが使ったといわれる銃として、.41口径のサンダラーリボルバーが現存している。しかし、リポーターは、ビリー・ザ・キッドことHenry McCarty(ヘンリー・マッカーティ)がライトニングなり、サンダラーなりのダブルアクションリボルバーを愛用したという話は、当時の新聞記者の創作ではないかと思っている。現存するそのサンダラーリボルバーは、シリアルナンバーから見て彼が愛用したと考えるには、少し無理があるのだ。

 だがライトニングと呼ばれたコルト初のダブルアクションリボルバーは、そんな創作にも用いられてしまうほどの強烈な個性を持った銃であった。それまでシングルアクションリボルバーの生産一辺倒だったコルトが、大きく舵を切ってダブルアクションリボルバー生産に踏み出した最初の製品、それがライトニングだ。
 そしてこのリボルバーは、シカゴ警察などにいち早く採用された。その結果、中型ダブルアクションリボルバーは即応性が高いと評価され、アメリカの多くの警察が38口径弾とそれを使用するコルトの中型ダブルアクションリボルバーを標準リボルバーに採用するきっかけとなった。

 やがてこれが全米中に広まり、しっかりと定着する。これ以降、コルト製の中型ダブルアクションリボルバーと、これと類似の機能と性格を備えたS&W製の中型ダブルアクションリボルバーは、共にアメリカ警察用リボルバーとして不動のポジションに付く。

 アメリカ警察が中型ダブルアクションリボルバーを主力装備とする傾向は、グロックピストルが出現するまで100年以上続いた。

 コルト ライトニングリボルバーは、ダブルアクションリボルバーとしては未完成なものではあったが、アメリカ警察の主力装備の流れを作るきっかけとなった存在なのだ。

 

”Part 7:追加補足と伝説のアウトロー ビリー・ザ・キッド”に続く

 

Text by Masami Tokoi  床井雅美
Photos by Terushi Jimbo 神保照史

 

Gun Pro Web 2023年2月号

 

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