2025/05/23
コルト パイソン 357 1957年モデル 但し、難あり品
PYTHON 357
コルトの超プレミアムDAリボルバー
Text &Photos by Toshi
Gun Professionals 2015年10月号に掲載
2015年6月15日、コルトが経営破綻した。しかし自分にとってのコルトは、1999年10月にダブルアクションリボルバーを通常カタログから消した段階で既に終わっていた。今回はそんなコルト製リボルバーを懐かしむ意味で、パイソンをレポートする。これこそがコルト・ダブルアクションリボルバーの代表作だ。1957年製の初期のモデル、極めて貴重な逸品だが…、1ヵ所とても残念な部分がある。
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さらばコルト
今月は急遽、パイソンのリポートと相成った。急遽となった理由は、2015年6月15日のコルト経営破綻だ。
自分は、Yahoo Japanのニュースで知った。正直言って、特にショックも無い感じで、それこそ、MGCが消滅した時のほうが驚いたくらいのもんだ。レトロ趣味の自分はどうしても過去の作品を追い求める傾向が強く、現行のコルトからは気持ちが離れていた部分がかなりある。
個人的には、60~70年代頃のコルトがもっともお気に入りなのである。モデル展開の面でも、当時は筆者好みのDAリボルバーに勢いが感じられて楽しかった。勿論、職人の手作業の積み重ねで造られていたあの時代のクオリティを今に求めるのは、土台無理な話だ。人件費の高騰も、そして人々の趣向の変化も重々分かる。けれど、石頭の頑固オヤジである自分は、見果てぬ夢というか、ついつい昔の栄光ばかりに目が行き、今のコルトに夢を持てなくなっていたのである。
まあそれでも、破綻となればさすがに穏やかではない。軍需関係でうまくやっているのだろうくらいに思っていたが、ダメだったのか。ニュースでは、「2013年に米軍から大口契約を打ち切られたことが経営難に拍車を掛けた。今後も事業は継続し、裁判所の管理下でカナダと米国の事業売却の手続きを進める」とあった。ただし企業の場合、倒産は戦略的ディフォルトの可能性も拭えないのではないか。膨れ上がった借金をいったんチャラにし、ほとぼりが冷めた頃にちゃっかり出直す作戦だ。
アメリカ人にとって、そして全世界の銃器マニアにとって、西部開拓史にその名を残すコルトのブランドは、どう転んでも絶対的な価値を持つ。うまく回せば、必ずや莫大な利益を生み出す魔法の呪文だろう。このピンチが、将来的にチャンスに変わっていく展開を切に望みたい。いっそのことRUGERが丸ごと買い取っちゃえば、経営の健全化も計れるのではなんて、無責任に思ったりもして。


パイソン
やや情けない滑り出しとなってしまった。申し訳ない。ま、コルトがこの先どうなろうとも、とりあえず今回のネタのパイソンは、永遠不滅の銘銃には違いなかろう。
優美、華麗、それでいて勇猛。妥協のない、堂々たる風格と迫力。重厚、骨太、逞しさと頼もしさ。そして気品…幾らでも褒め言葉を並べられるのがパイソンだ。ベンチレーテッドリブがひたすらにクールでワイルド。コルトに有りがちな泥臭さを含んだ濃い目のライン取りも、このモデルでは珍しく良い方向に働いている。
パイソンが誕生したのは1955年だ。生みの親は、コルトのトップセールスマンだったBill Henry。新型銃のアイデアを模索していた彼が、視察に出掛けたNRAのブルズアイ競技の会場で、コルトのオフィサーズモデルにKing社のベンチレーテッドリブとアンダーラグのウエイトを装着したカスタムに遭遇。そのバランスの良さと精悍な佇まいに感銘を受け、さっそくコルトの上層部に提言したのが事の始まり、というのが定説だ。社内エンジニアのAdalbert“Al”Guntherが53年に試作品を完成。量産第一号は後にコルトカスタムショップのヘッドとなる敏腕エンジニアのAl DeJohnが手掛けた。
市場での反響は当初スローだったという。同クラスの他社モデルに比べて高価だったのが悪かった。ブルーイング前のていねいな下地仕上げやら、ハンドフィット満載のパーツ構成やら、ベンチレーテッドリブとかバレルの精度を維持するための加工に手間隙がひたすら掛かったせいだ。しかし、発売後3年目辺りから徐々に売れ始め、69年には生産10万挺を突破。75年には早くも20万挺の大台に乗せ、一説では96年に事実上の生産中止となるまでに50万挺を売ったと言われている。ハイエンド機種、別格の高額フラッグシップ・モデルがコレだけ売れ続けたのは、大変な事だと思う。
コルトは、パイソン誕生の2年前に、“357MAGNUM”というリボルバーを出している。それは、パイソンと同じI フレームに素バレルを差し込んだもので、バレル以外は両者は全く同じものだ。なので自分は、その“357MAGNUM”モデルがパイソンのベースとばかり思い込んでいた。が、実際の流れは少々違うようだ。



前述のパイソンの試作を手掛けたGuntherの証言に寄れば、パイソンは当初、生粋のターゲットリボルバーを目指していたため、口径はマグナムではなく、.38口径のオフィサーズモデルをベースに試作が進められていたのだそうだ。それが後半、.357マグナム弾の人気の上昇を受けて、口径が変更になったのだという。更にGuntherの証言では、試作段階のパイソンのバレルはなんとソリッド状態で、ラグ付きながらも肝心のクーリングホールは開いてなかったのだそうだ。その試作品を、前述のBill Henryが競技会を回って皆に見せたところ「重過ぎる」との意見が出て、軽量化の目的でリブに穴を開けることになった。それがあのクーリングホールの所以だと言うのだ! 空冷用ではなく、単なる肉抜きだった…ソレが事実とすれば、前述のKing社カスタム絡みのパイソン誕生話は、どうやら後から付いた尾ヒレということになる。
実際のところ、パイソンぐらいの銘銃となると、様々なウワサやら伝説が幾らでも沸いて出て来るってことなのだろう。ちなみにパイソンの名称は、社内のコンテストで選ばれたのだそうだ。名付け親となったのはPhilip Schwartzという人物(コルトの副社長。後にハイスタの社長に転身)らしい。ココにめでたく、コルトのヘビ名称第二号(一号は50年のコブラ)が誕生したのだった。



ア版として66年に登場したのがこのモデルだ。可愛くて小粋で、パイソンとはまた別の、独特な魅力を持っている。とりわけこの2.5インチは、パイソンの2.5インチよりもカッコ良いくらいだ。