2025/05/07
路地裏の銃撃戦 銀玉鉄砲SEKIDEN SAP.50【TimeWarp 1962】
Gun Professionals 2014年12月号に掲載
本誌読者で50歳以上の方の場合(2014年の時点で)、初めて手にした銃のオモチャは、銀玉鉄砲か、巻玉火薬ピストルのいずれかであった可能性が高い。1960年代、これらの玩具銃は子供達が手にするオモチャ銃の基本といえるものだった。ほとんどの男の子が、これらを手に近所の原っぱや公園、あるいは路地裏で銃撃戦ゴッコに興じた。
その後の時代は多様化が進み、銃のオモチャで遊んだ経験のない男の子も多くなったようだが、少なくとも1960年代まで、男の子にとってピストルは一種の通過儀礼だったように思う。その背景には非常に安価で面白く遊べるオモチャピストルが存在したことも大きい。
1950年代末期、マテルやヒューブレーなどの輸入ピストル玩具は米軍基地経由などの特殊なルートでしか手に入らず、子供に買い与える値段ではなかった。おもちゃの輸入解禁は1960年であったためだ。当然、代替品として国産のピストル玩具が登場する。コルク弾を飛ばすものが最初で、その後にプラスチック弾を飛ばすものが1958年頃、明光産業からコンドルブランドで発売された。銃の価格は400円から600円ぐらいで、ブレット形状のプラスチック弾は、1発3円〜5円程度だったらしい。
株式会社セキデンは1959年創業のプラスチック製品の企画・製造・販売する会社だ。最初に製品化したオモチャはマジックコルト(MC-50)と呼ばれるものだった。弾は球状で、スライド後部に突き出たバーを引っぱってコックするシングルアクションの単発だ。
翌年、弾が球状であることを利用して、自然落下式マガジンとダブルアクショントリガーによる連発モデル、MCA-300マジックコルト・オートマチックが登場した。この連発構造でセキデンは特許を取得している。
当時の子供、特に男の子の遊び場所は基本的に屋外であった。しかし、たとえ1発3円だったとしても、弾の紛失を恐れてだれも屋外で撃ったりはできなかった。撃てないのでは商品としても魅力は半減する。その問題についてセキデンはじゅうぶんに把握していた。プラスチック弾を止めて珪藻土を丸めて固めた土玉に変更、表面をアルミ粉でコーティングした。これにより弾の単価は50発入り1箱5円程度になった。1発0.1円なら弾は消耗品として、心置きなく撃てる。球状弾であることから、“弾”は“玉”と呼ばれるようになり、艶消しの銀色なので、その名は“銀玉:ギンダマ”となった。いわゆる銀玉鉄砲の誕生だ。
1962(昭和37)年、SAP50(Sekiden Automatic Pistol 50)が登場、これがベストセラーとなる。銀玉鉄砲で遊んだ記憶のある人なら、この形にも見覚えがあるだろう。

・フロントサイトはオーバーハングの特殊なもの。1960年代の少年達はこの銃を半ズボンのポケットに忍ばせていた。このフロントサイトがポケット内の布に引っかかるという失態を演じた少年は少なくなかったに違いない。
・スライド側面に刻まれた“SAP.50”の刻印、50の前のピリオドに注目。まさか50口径か?測定したところ、ダミーのマズルは0.429インチ。惜しい!
・ダミースライドストップはなんと右側面にまである。アンビデクストラウス化を先取りしたデザインだ。スライドに切欠きまで再現したことは脱帽ものだ。
・トリガーのドライブは約25mm。ダブルアクションオンリーでプルは2.3kg。レットオフ後、確実にトリガーを引く指を緩める必要がある。ショートリセットしようとすると上手くストライカーにシアが掛からない。素早い連射にはコツが必要だ。
・リアサイトは開閉式ローディングポートに配置されている。Vノッチでちょっと狙いにくい。サイトレディアスは73mm
・スパーハンマーもダミー。しかしけっこうコックしやすそうな形状だ。
・マニュアルセイフティは無い。しかしモールドでそれらしきものが表現されている。
・ワニ革をイメージした?グリップ。グリップセイフティやアーチド・メインスプリングハウジングまでダミーながら再現されている。それにしてもグリップが短い。子供用ではあっても、もう少し、グリップを伸ばした方が握り易いだろう。
正直な話…、カッコ悪い。なぜこの形かと思ってしまう。自然落下式のマガジンをスライド内に配置したことで発射メカは低い位置になり、その結果、銃口はバレル下部のリコイルスプリング部になった。上の銃口はダミーだ。間違ってもトリガーガードに指を掛けるダブルハンドホールドで撃ってはいけないが、1960年代、そんな射撃スキルを持った子供はいなかった。ピストルは片手で撃つのが当然、という時代だからだ。
この連発メカニズムはセキデンが特許を取ったはずだが、1960年代、他社も銀玉鉄砲を盛んに作っていたように思う。それらのいくつかは、実銃のデザインをある程度、再現したものもあった。ルガーやHScなどの存在を筆者は記憶している。特にHScはダミーマズルがなく、本来のマズルの位置から銀玉を発射した。セキデンと同じ構造のマガジンを持ちながら、それを実現したのは、バレルを斜め上方に向けに配置したからだ。その結果、水平に構えて撃っても、銀玉は大きな放物線を描いて飛ぶことになり、弾道とサイトが合わないものだった。またそれらはワイヤーバネを使用したもので、セキデンのSAP.50とはレットオフの感触が大きく違っていた。セキデンはコイルスプリングを使っていたため、レットオフ後の感触と音は、“ビィョヨヨヨ〜ン”というものだが、ワイヤーバネのものは、“カチッ”といった。どちらが良いかは個人差があるだろうが、セキデンの方が筆者は好きだった。実際、SAP.50は当時のベストセラーであり、ロングセラーでもあったことから、SAP.50の信者は多かったと推測する。
セキデンは銀玉鉄砲をアメリカ、カナダ、ドイツなどに多数輸出した。SAP.50をベースにしたバリエーションもあり、ダミーサイレンサーを装着、ルイスマシンガンのようなドラムパンマガジンを上に載せ、その上にスコープ(ただの筒で内側に短い突起が4ヵ所から出ていて、それで狙う)が付いたものもありU-200と呼ばれた。UはUltra、200は200連発を意味する。記憶は曖昧だが、1968年頃、SAP.50は100円、U-200は200円だったと思う。
銀玉鉄砲はセキデンにより1995年まで製造が続いた。正確な製造数は判らないが、セキデンの試算によれば約5,000万挺が製造された可能性があるそうだ。恐るべき数である。その半分は海外向けだ。
2009年、セキデンはSAP.50を復刻させた。ここに紹介しているモデルはその復刻版だ。これを使い、銀玉鉄砲の精度と威力をチェックしてみた。

このモデルに近い実銃はスペイン STARのモデルDだろう。1911のコンパクト仕様として1920年代に開発され、1928年改良型が登場、これは1983年まで生産された。セキデンがこんな“ドマイナー”な銃を知っていたとは思えないので、おそらく偶然に似たのだろう。1970年代になり、コルトはこれのパーツ供給を受け、自社製フレームと組み合わせ、Colt Ponyとして販売した。のちの時代のPonyとは全く別物だ。全長139mm、.380ACP。この初代Ponyを見たとき、筆者は銀玉鉄砲に似ていると思った。銀玉の横にあるイラストの銃、これが初代Colt Ponyだ。
実射性能
身長175cmの筆者が水平に構えた状態で撃つと、銀玉は5m程度の地点に落下した。子供の頃の記憶ではもう少し遠くまで飛んだ気がするがするのだが…。大気中の場合、約35°の仰角で射撃すると最大到達距離となる。その角度で撃ったところ、飛距離はやっと約9mとなった。
10発撃って弾速を測定すると、最小11.67m/s, 最大12.75m/s、平均12.14m/s、標準偏差0.57m/sとなった。平均値でのパワーは 0.018ジュール、0.013ft.lbsとかなりの低威力。グルーピングをチェックしようと思ったが、派手なフライヤーが多く、正確なデータを取るのは難しいと諦めた。目安でいえば3mの距離からシルエットターゲットを撃てば、概ね当たるというレベルだ。“概ね”ということは、外すこともあるという意味でもある。ちなみに3mの距離から撃たれても、まったく痛くない。子供のおもちゃとしては妥当な威力だといえる。しかしながら、眼に当たればダメージは大きいだろう。筆者が子供の頃、銀玉鉄砲で撃ち合うときは、顔は狙わないという暗黙のルールがあった。しかし当たってしまう可能性はじゅうぶんにあった。こんな低威力でも撃ち合うときはゴーグルなどで眼を守るべきだろう。セキデンの復刻版には、その注意書きが付いている。
セキデン SAP.50
株式会社セキデン |
Satoshi Matsuo
Gun Professionals 2014年12月号に掲載
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