2025/04/28
名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所 昭和十九年一月検定 十四年式拳銃
Text & Photos by SHIN
十四年式拳銃は日本陸軍が採用した最初の軍用自動拳銃だ。しかし、M1911A1のようなタフさは持ち合わせてはいない。その製造には、手工芸品を作るような丁寧さと職人技を必要とした。その意味では極めて日本的な拳銃であったといえるかもしれない。
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南部式自動拳銃
十四年式拳銃は1920年代に開発され、大正14(1925)年11月13日に仮制式制定された日本の軍用自動拳銃だ。ベースとなっているのは、南部麒次郎が明治37(1904)年に設計した南部式自動拳銃で、これを陸軍工廠である東京工廠小銃製造所がその細部を改変して完成させた。
南部式自動拳銃が設計された20世紀初頭は、自動拳銃自体の構造や威力、運用の基礎がまだ確立されていなかった時代だ。その中で南部式自動拳銃は、マウザーC96のロッキングシステムをパラベラム(ルガー)ピストルに似たシルエットの銃として見事にまとめ上げている。
1904年当時の軍用自動拳銃として、完成度の高かったものは、マウザーとパラベラム、そしてブラウニングが設計したコルトとFNの製品ぐらいだ。ウェブリー&スコットやグリセンティの自動拳銃は試作段階で、サベージもまだ形になってない。 シュワルツローゼ モデル1898やマンリッヒャーモデル1896、ベルグマンモデル1896などは先行していたが、これらの銃は優れていたとは言い難い。
従って南部式自動拳銃は、当時においては先端的な自動拳銃という存在であったわけだ。
十四年式拳銃
南部式自動拳銃は完成したものの、帝国陸軍に制式制定されることなく、少数が海外市場で売られた他、国内では海軍で使用されたに過ぎない。この時点で陸軍は、軍用拳銃の自動化が必要だとは考えていなかったからだ。しかし、第一次世界大戦を経て、各国の軍が装備する様々な兵器が大きく進化していることが判明、その一環として、帝国陸軍も軍用自動拳銃を装備する必要があると結論付けた。
そして新型拳銃の開発がはじまったのだが、その時点では欧米諸国においても自動拳銃のあるべき姿は確立されていなかった。
この時、M1911を参考にしていれば、より信頼性の高い軍用拳銃ができただろうが、まだブラウニングのパテントが有効だったし、日本の誇りとして1911のコピーなどあり得なかっただろう。結局、日本独自デザインの南部式を元に設計を始め、細部を修正しながら試製乙号自動拳銃が完成するに至った。
この特に作られたものが大正14年(1925)年に十四年式自動拳銃として仮制式制定され、翌年に製造を開始、帝国陸軍初の軍用自動拳銃となった。この時点における世界の列強国を、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ソビエト、そして日本とするなら、その中で自動拳銃を公式に採用しているのは、アメリカ、ドイツ、日本の3ヵ国でしかない。したがって、日本陸軍の自動拳銃採用はかなり早い時期に行なわれたといえるだろう。
十四年式拳銃は仮制式制定という位置付けであったが、実質的には制式制定と変わらない。その後何度も細部を改修(制式中改正)されながら、昭和20(1945)年の敗戦に至るまで20年間にわたって量産され続けた。その総生産数は約28万挺に及ぶ。
今回は、そんな十四年式について、昭和19(1944)年に名古屋の陸軍造兵廠鳥居松製造所で製造された個体を用いて紹介していきたい。



口径:8×22mm (8mm南部)
全長:231mm
全高:153mm
銃身長:117mm
作動方式:ショートリコイルオペレーテッド
重量:907g
マガジン装弾数:8発


右:トリガーガードは十四年式制定後の昭和13(1938)年の制式中改訂で修正され、大型化した。寒冷地での使用の際、手袋をつけた状態でもトリガーを引けるようにすることを目的としている。このダルマ型のトリガーガードは昭和13年5月以降に生産された十四年式拳銃の特徴ともなっている。

このスプリングの形状は昭和15年に変更が加わっている。

右:ボルトノブを引いた状態。ノブの形状は昭和9(1934)年にシンプルなものに変更された

