実銃

2024/06/07

【実銃】セミオートマチックハンドガン黄金時代の先駆けとなった銃「MAUSER C96 RED9」【前編】

 

 MAUSER 

 C96 RED9 
 

 

 19世紀末に紆余曲折の末リリースされたマウザーC96は、ドイツ帝国軍に制式採用されることを目指してデザインされた、ごく初期のセミオートピストルだ。オリジナルデザインの口径はこのモデルのために設計された7.63×25mmMauser(.30 Mauser)だがその目論見は外れ、ドイツ帝国軍が採用したのは9×19mm弾とDWMのP08だった。
 しかし、第一次大戦中にP08の不足を補うために、ドイツ帝国軍は9×19mm仕様のC96(後に「レッドナイン」と呼ばれるようになる)も使用していた。今回は、この銃のポテンシャルを探っていく。

 


 

実用セミオートハンドガン

 

Mauser C96 “レッドナイン”
使用弾薬:9×19mm
全長:297mm
銃身長:5.5(” 142mm)
重量:1,125g
装弾数:10発

 

 19世紀も終わりの頃、それまでリボルバーの独壇場であったハンドガン界に、いよいよセルフローディングピストルが登場し、ヨーロッパにおいてはその長い黄金期の幕開けを迎えることになる。


 ご存知のように、いち早く量産に成功した世界初の“セミオートマティック”ハンドガンといえば、ドイツのヒューゴ・ボーチャード(Hugo Borchardt)氏により1893年にリリースされた“ボーチャードC93”ピストルがある。このC93は、1884年にハイラム・マキシムによって考案された“マキシムマシンガン”のリコイルオペレーテッドシステムであった“トグルアクション”をベースとして開発されたものだ。

 

ピンやボルト(ネジ)を一切使っていないパズルのような構造を持っている。これはジャーマンテクノロジーの塊なのだ。タンジェントサイトには500mまでのノッチが切ってある(9mm仕様の場合)。

 

 専用の7.65×25mmBorchardt弾を使用し、ショートリコイルで作動する。但し、ハンドガンとしては大型で重量もあり、製造コストも高かったために、各国から注目はされたもののどの国も制式採用するには至らなかった。それでもドイツのLudwig Loewe&Company(ルドゥィック・ロゥーベ)やDWM(Deutsche Waffen und Munitionsfabriken:ドイツ武器弾薬製造社)によって少数とはいえ量産されたため、“セミオートマティックピストルの元祖”の称号を得ている。

 

 その後、トグルアクションメカニズムは、ヒューゴ・ボーチャード氏のアシスタントだったジョージ・ルガー(Georg Luger)氏によって引き継がれ、DWMにおいてモデル1900パラベラムとして開花する。

 

リアVノッチ、フロントは山型。100年以上前のサイティングシステムだ。この前後サイトで精密射撃をするのは骨が折れる。但し、慣れてくると、左右の隙間が見やすくなってくる。要は慣れの問題か…

 

 これら初期モデルの口径は7.65×21mmであり、ケースの全長を短くすることにより、トグルアクションのストロークを短くしてメカニズムを小型化し、グリップの前後長をも小さくすることに成功している。さらにモデル1902ではその威力不足を解消するために、9×19mm Parabellum口径が開発され、かの有名なPistoleModell 1908(P08)の誕生へと連なっていく。

 

 また“ボーチャードC93”がリリースされた1993年頃、同じくドイツのライフルメーカーである“マウザー(Mauser)社”でも、大型拳銃の開発がスタートしていた。

 

第一次大戦が勃発すると、ドイツ軍はルガーP08の供給不足を補うために、C96の9×19mm口径モデルを15万挺発注する。マウザー社にとっては念願のドイツ軍への納入であった。


マウザーC96ヒストリー

 

 マウザーC96は、マウザー社を創設したポール・マウザーのデザインによる製品ではない。1993年当時、ルドゥィック・ロゥーベ社の子会社であったマウザー社としては、親会社がボーチャードC93を製造している関係上、ライバル関係となるミリタリー向けセミオートマティックハンドガンの開発に着手する訳にはいかなかった、という背景がある。

 

 それでもマウザー社のFeederle(フィードリ)兄弟は非公式に大型ミリタリー向け拳銃の設計開発を進め、1895年にはマウザー社によって独自のピボッティングロッキングブロック機構によるパテントが取得され、同年夏には完成したモデルがドイツ帝国軍に制式サイドアーム候補としてオファーされる。C96の誕生だ。

 

タンジェントサイトを500mにアジャストするとこのくらいリアサイトが上昇する。いくら何でも500mというのは盛り過ぎだと思うが…。今回の実射では、このタンジェントサイトのアジャストボタンがヘタってきていることもあり、発射の衝撃で移動してしまうことがあった

 

10発を撃ち終わるとこの状態でホールドオープンする。サイトベースの直前にある半月型の切り欠きにローディングクリップを差し込み、カートリッジを押し込むことによって装填する。クリップを引き抜くと、ボルトが第一弾をくわえて閉鎖、装填完了となる


 口径は7.63×25mm(別名.30マウザー)となり、ボーチャードC93のオリジナル口径(7.65×25mm)と比べると、カートリッジ各部のサイズはほぼ同等ながら、弾頭重量と銃口初速を向上させ、約20%ほどのパワーアップを果たしている。具体的にいうと、7.65mm ボーチャード弾が85gr弾頭を約1,300fpsで飛ばし、312ftlbsのマズルエナジーを発生させるのに対し、.30マウザー弾は、86gr弾頭を1,450fpsまで加速し、約400ft-lbsのパワーを発揮していた。

 

ストックを装着したグリップ部分。この状態で深く握ってしまうと、ハンマーが後退してきた際、フレームとの間に挟まれて痛い思いをすることになる

 

 いわゆる高速軽量弾であり、弾道もよりフラットなので、長距離射撃に向いていたともいえる。だからというわけでもないが、C96には50mから1,000mまでが刻まれたタンジェントサイト(仕様違いあり)を装備しており、まあ1,000mは大げさながら、200mくらいまでは着脱式のショルダーストックと組み合わせると有効射程といえそうだ。

 

ここで、C96の特徴をリストしてみると


● トリガー前方に固定式の10連マガジンを備えている。当時のピストル装弾数としては段違いに多く、今でいうダブルカラアム式の装填であった。後年、着脱式20連マガジンを備えたフルオートモデル“Schnellfeuer/M712(シュネルフュワー:ラピッドファイアの意)”を生み出す要素の一つであっただろう。


● メカニズムにピンやボルトが一切使われておらず、すべてパズルのようなパーツの組み合わせによって構成されている。


● ホルスターとして内部に銃を収容できる木製着脱式ショルダーホルスターを備えている。


● “ブルームハンドル(BloomHandle:箒の柄)”とニックネームされたグリップは、マガジンを内包しないので、手の小さなシューターにもフィットしやすいサイズに収まっている。


● 通常のハンドガンより長いバレル(5.5インチ/142mm)を持つため、遠射や精度面でのアドバンテージが高い。

 

同時期に誕生したルガーP08(右)とマウザーC96(左)。ルガーの方はアーティラリーモデルで、銃身が長い


 何よりも特徴的なのは、ボルトアクションライフルのようにトリガー前方に固定式のマガジンを設置した点で、実弾を装填するには10連のクリップをエジェクションポートにあるスリットに差し込んでカートリッジを押し込む必要がある。着脱式のマガジンに比べると、そのリロードにはかなりの時間がかかるが、他社のパテントに抵触しないよう苦心惨憺した結果のデザインであったのは想像に難くない。

 

 しかしながらこの構造がC96に強烈な個性を与えており、20世紀初頭には一般のマーケットでポピュラーとなり、ハンターや自費購入のミリタリーオフィサーなどに広く受け入れられていく。

 

ニックネーム“ブルームハンドル(ほうきの柄)”のキッカケになった、西洋箒(ほうき)そのものの外観を持つグリップ。ここに大きく9の文字が彫り込まれ、赤い塗料が塗ってある

 

各パーツにはシリアルが打たれ、摺合わせによって各パーツが仕上げられていた事がわかる。いわゆるマッチングナンバーだ

 

 残念ながらドイツ帝国軍による制式採用は見送られたが、1897年には、1,000挺とはいえトルコ国軍の軍用拳銃として契約を交わしているし、1899年にはイタリア海軍で5,000挺が制式採用されている。また当時の英国では着脱式ストックを備えたC96はハンターや将校の私物としても好評で、中でも騎兵将校だったかのウィンストン・チャーチル(のちの英国首相)が、1898年の“オムダーマンの戦い(Battle of Omdurman)”や“Second Boer War(第二次ボーア戦争)”に、このC96を携えて参戦したというエピソードも有名だ。


 その後、第一次世界大戦が勃発し、1916年にオーストリア/ハンガリー政府からC96 7.65×25mmを5万挺を受注するという、マウザー社にとっての吉報が舞い込んでくる。

 

初期のセミオートマティックピストルであるこの2挺に、どちらもピストルカービン仕様があるというは、やはり驚きに値する。どちらもRDS(レッドドットサイト)を搭載できれば、現代でも通用するポテンシャルを持っている

 

 マウザー社では、ドイツ帝国海軍が1904年、陸軍が1908年に9mmパラベラム口径のルガー拳銃を制式採用したため、独自のモデル1906/1908という9mm口径に特化した試作品を作ってはいたが、自国ドイツにおける制式拳銃の栄誉を授かる可能性は完全に潰えてしまっていた。しかし、ルガーP08の生産が予定より遅れていたため、ドイツ帝国軍から、口径を9mmパラベラムに変更可能なら、という条件付きとはいえ、C96の15万挺もの導入が決まったのだ。


 この9mmパラ口径C96のグリップには、大きく9の文字が刻み込まれ、すでに一部将校の間で使用されていた7.63mm口径と一目で判別できるようにしてあった。この9の数字はさらに目立たせる目的で赤く塗られていたため、“Red Nine(レッドナイン)のニックネームが冠されたのである。

 

「メカメカしい」という言葉が浮かんでしまった。映画『スター・ウォーズ』のハン・ソロが持っていたDL-44 ブラスターのベースモデルでもある


 マウザーC96は1896年のファーストモデルを始めとして、他口径、長/短銃身モデル、フルオート、トレンチカービン等、ありとあらゆるモデルが存在するが、反面、当時最もコピー/レプリカの多いモデルとしても知れ渡っている。中国をはじめとして、スペイン、ロシアなど、数多くの国でコピーが生産された。

 

 マウザー社におけるC96のライフスパンは1896 ~ 1941年で、約百万挺が生産されているが、はっきりとは判っていないものの、これらのコピー/レプリカはその何倍もの数が存在するといわれている。
 

このマガジンベースプレートを外すには、ブレットの先などで下部のボタンを押し込めば良い。着脱式ボックスマガジンのパテントが失効した後も、1932年までずっとC96は固定マガジンを採用し続けた。

 

ロックスイッチを解除すると、撃発メカニズムをボルトと一緒に引き出すことができる。

 

通常分解。125年も前にこのメカを作り出したことは驚きに値する

 

 

TEXT&PHOTO:Hiro Soga

 

 

この記事は月刊ガンプロフェッショナルズ2022年1月号に掲載されたものです

 

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