2025/08/23
元祖アメリカンDA9 S&W モデル39/59
Gun Professionals 2014年07月号に掲載
S&Wオートといえば現時点ではM&Pが筆頭にくるだろう。M&Pは優秀だし、数多く売れている。LE機関での採用も多い。しかし、今回はあえてファーストジェネレーションである モデル 39/59を採り上げよう。
多くのガンナッツが モデル 39/59こそS&Wらしさに満ちたオートだと感じている…はずだからだ。ユーザーのニーズに応え、バリエーションを拡大、混乱の落とし穴にハマって消滅したサードジェネレーションとは本質的に違う、市場に媚びたりしない強烈な個性が モデル 39/59にはある。
S&Wオート
S&Wが、トラディショナルなDAオートの生産を中止して久しい。トラディショナルなDAオートとは、モデル39/59系列のオートのことだ。
正確な時期はわからないが、自分がそれに気付いたのは2011年頃。その段階でLE向けのカタログに少々残っていた程度で、一般向けからは綺麗に消えていた。ひっそりと、一つの歴史が幕を閉じていた。
正直言うと、サードジェネレーションの末期モデルは、自分は距離を置いて眺めていた。幾つかは目ぼしいモデルもあり、購入のチャンスもあったが、結局すべて見送っている。
昔からS&W社は、LE機関を始めとするユーザーのニーズを積極的に取り込み、意欲的な商品展開を行なう会社ではあった。しかし、末期のサードジェネレーションはあまりに多様化が進み、そのクセ没個性化も顕著で、ナニがドレだか分からないまでに間口が広がっていたように思う。
ぶっちゃけ、客に媚び過ぎちゃってた感が無きにしもあらずなのだ。媚びると、やはり離れる。企業としては、少々腰が重いくらいのほうが製品に厚みも出て、じんわり定着する場合もあるのではなかろうか。
その点で言えば、ファーストジェネレーションであるモデル39およびモデル59は、実に腰が重いモデルだった。
モデル39は1954年に登場後、61年にモデル52、72年にモデル59の派生モデルを生みつつも、79年のセカンドジェネレーション誕生までの実に25年間をマイナーチェンジだけでやり過ごした。モデル59も、セカンドまでの10年近くをほぼ変化無しで通した。
S&W社も、かつては腰が重かったのか? いや、コレには事情があった。9mmDAオートへのユーザーの反応が、イマイチ低かったのだ。ヨーロッパと違い、当時のアメリカはまだまだ全然45ACPが幅を利かせていたのである。
その呪縛たるや相当なもので、ヨーロッパの各メーカーもアメリカ向けモデルには極力45ACP口径を噛ましていたし、本格的にそれが緩み出したのは、実際、ガバメントに代わる米軍次期制式拳銃XM9のトライアル(78~85年)でベレッタが採用された後なんじゃないかってほど根深いものだった。
つまり、S&Wのファーストジェネレーションは、早過ぎたのだ。先駆過ぎたのだ。販売も延び悩み、従って変化のしようが無かったのである。
ただその事で、ファーストジェネレーションの姿が、長く強くそして深く、ガンナッツの心に浸透したのは確かと思う。恐らく現在でも、S&Wのオートといえば、多くのご年配ガンナッツが瞬時にモデル39 またはモデル59を思い浮かべるに違いない。
筆者自身も、心が一番ときめくのはファーストジェネレーションだ。
S&W モデル59
無論、筆者の場合は日本において、TVドラマやらモデルガンを通じてゾッコンになったクチである。
79年にMGCがモデルガン化したモデル59の人気たるや、メディアでの露出の後押しもあって、ホントに凄かった。その怒涛の渦の中に自分は完全に飲み込まれ、モデル59信者となった(大ゲサ)。
今でも自分は常日頃、MGCのツートンモデル59をSPEED製のバックサイドホルスターに入れ、デスクの目の届く場所にしっかり置いている。それを眺めれば、力が沸いてくる。
おっと、モデルガン絡みの話で脱線する前に、実銃のバックグラウンドを少しは書いておかねばなるまい。
モデル59は、モデル39の多弾数化モデルであり、且つアメリカ初の多弾数9mmDAオートだ。登場は72年と既に述べたが、64年頃から軍の注文を狙って社内でモデル39を試験的に多弾数化していたものを、コマーシャル用に展開させたのがコレという。脅威の15+1連発(実銃の説明書にはマガジン容量14発とあるが、15発が難なく入り作動する)は、当時としては文字通り比類なきファイアーパワーを誇り、“Wonder Nine”と称された。モデル39登場当時とはさすがに時代も違って、警察方面からの引き合いも多く、当初は生産が追いつかないといった状況もあったらしい。アルミ合金の軽量ボディにデコッキング付きのユースフルなDAメカ、そしてS&Wオート独特の寸詰まりの先細りスタイルの軽快感などもウケた模様だ。
モデルガン少年だった自分も、この独特なデザインに限りないロマンを抱いたものだ。それは今も変わらない。多弾数でややポッテリとしたボディを、ストレートでシャープな雰囲気の黒ナイロングリップが引き締めている様もまたイイ。
ご覧の1挺は77~78年時期の製品だ。当時の価格は208ドル。自分は99年に450ドルで購入し、以来後生大事に持っている。これほど馴染み深くて思い出深く、即感情移入ができるオートも少ない。
スタさんの腰溜めダブルタップに、ドック刑事のウィーバースタイルの構え…シビレタもんだ。
ところでご年配の読者の貴方は、スタさん派だろうか、それともドック派か?
スタハチが日本で始まった77年12月当時、自分はまだまだ銃の知識も浅い中学生で、どっちかといえばモデル59よりもハッチ刑事の派手なパイソンに気持ちが傾いていたように思う。そして高校生となった自分が、ドック刑事の登場(80年7月)を目の当たりにした時の衝撃は凄まじく、あのツートンモデル59が心に鮮烈に焼き付いた…ということで、正直多分、自分はどうやらドック刑事の分量が多いかも(ああ、言っちゃった)。