2025/06/16
江原商店(東京CMC)COLT FRONTIER 【ビンテージモデルガンコレクション 10】
Vintage Model-gun Collection -No.10-
江原商店(東京CMC)
COLT FRONTIER
(1962年)
Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2013年1月号に掲載
1960年ころから始まった第一次ガンブームでは、まだ西部劇人気が高く、みなカウボーイや流れ者、保安官や賞金稼ぎにあこがれて輸入SAAを買い求めた。そして、その完成度に飽き足りない人々が出てきて、カスタムが始まった。そのカスタムをベースに量産化したのが江原商店(後のCMC)だった。モデルガン黎明期に、モデルガンの方向性を示した貴重なモデルだった。

諸元
メーカー:江原商店(1966年からCMC)
名称:コルトフロンティア(のちにピースメーカー)
主 材 質:亜鉛合金、クルミ(グリップ)
撃発機構:シングルアクションハンマー
発火機構:カートリッジ内発火
使用火薬:平玉紙火薬、グリーニーキャップ
カートリッジ:ブレットとケースの2分割式(ニコルス・スタリオン式)
全長:29cm
口径:.45
重量:700g
装 弾 数:6発
発 売 年:1962年(昭和37年)
発売当時価格:¥5,500(カートリッジ6発付き)、のちに¥3,000まで値下げ
※smG規格(1977年)以前の模擬銃器(金属製モデルガン)は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアーイエローを吹きつけるなどの処置が必要です。
※全長や重量などのデータは発売当初のメーカー発表によるものです。また価格は発売当時のものです。
早くから海外のトイガンを扱っていた中田商店が、1960年から始まった貿易の自由化で大量にトイガンを輸入して販売を始めると、ガンブームが起きた。
しかし当時は1ドル360円で、しかも大卒の初任給が13,100円という時代だ。2012年度の大卒初任給は204,782円(労務行政研究所調べ)だというから、1挺1,800~2,600円もした輸入トイガン(扱う会社によって価格が違った)は、単純計算すると1挺あたり現在の28,138~40,644円に相当する。高いものでは3,000円(46,897円相当)だ。これが飛ぶように売れたという。
人気があったのは西部劇に登場するコルト シングルアクションアーミー(SAA)。マテル社の「マテル45」(2,500円)、同「ファンナー」(1,800円)、ニコルス社の「スタリオン45」(2,100円/クロームめっき)、ヒューブレー社の「リコシェ」(2, 600円)などだ。
ちょうど日本では1959年から「ローハイド」(NET/現テレビ朝日)のTV放送が始まり、1960年からは「ララミー牧場」(NET/現テレビ朝日)の放送も始まって、西部劇人気はますます盛り上がって行った時期。相乗効果で大人気となったらしい。
当たり前のことだが、輸入トイガンはもともと子供向け。それを大人向けに販売するのだから、実銃の情報がほとんどない日本でも、その完成度に飽き足りない人々が次々に出てきた。
トイガンを買い、興味を持って実銃のことを調べる。実銃について調べれば調べるほど、違いが気になってくる。悪循環のようなものだ。プロポーションがおかしい、ダブルアクションになっている、発火できない(発火に迫力がない)……などなど。
そこで登場するのがカスタムだ。ボクは父親が持っていたヒューブレーだかマテルを見た記憶がある程度で、ほとんど当時のことを知らない。しかし、カスタム化などは東京だけだったのではないだろうか。すべては輸入トイガンのメッカである東京 アメ横の「中田商店」を中心に動いていたような気がする。地方にそんな情報は回ってこなかったのではないだろうか。





当時、アメ横にはトイガンを扱うお店が「中田商店」を中心に、「江原商店(1966年からCMC)」、「ホビース」、「丸郷(1980年からマルゴー)」などたくさんあった。アメ横に来れば輸入トイ・ガンの最新情報が得られた。
京都からときどき上京して、映画を見たりアメ横のお店をのぞいていた小林太三さんによると、アメ横には、そんな輸入トイガンをリアルにカスタム化した人たちが、自作モデルを披露するために集まっていたという。
そういうマニアというか上級者に、プロポーションで評価が高かったのがマテル社の「マテル45」だそうだ。しかし「マテル45」はシューティン・シェル(Shootin' Shell)というものを使って弾を飛ばして遊ぶのがメイン。カートリッジの底にグリーニーキャップを貼り付けて発火音を出すこともできたが、サイズが小さく、底に火薬をセットするため銃口からガスが抜けなかった。そして何より、シリンダーがプラスチック製で軽く、しかも1946年に開発されたABS樹脂は当時まだ高価で、スチロール系のシンナーに弱い樹脂が使われていたため、リアルにしようと塗料を塗るとヒワヒワになってしまったという。
そこで流行ったのが、ニコルス社「スタリオン45」のシリンダーを「マテル45」に使うこと。誰が思いついたのか、これがピッタリ。これならニコルス社のリアルなカートリッジが使え、黒色に塗装することもできた。もちろん重量も少しだが増した。
ニコルス社のカートリッジは、全長、直径ともに、ほぼ実弾と同じサイズだった。カートリッジケースと、ブレットの2ピース構造で、ブレットにはセンターに貫通する2.5mmほどの穴が開いている。ケース内に火薬粒を入れてブレットをそっともどし、装填して撃つと、ケースとブレットにはさまれた火薬が発火、ブレットの穴から発火ガスが前方へ抜け、バレルを通って銃口からリアルなファイアリングが楽しめた。
つまりこのカートリッジが使えれば「マテル45」もリアルな発火が楽しめるようになる。一石二鳥だった。
ただし、当時パーツ販売などはないから、これは2挺とも買わないとできない技で、大人でもかなり金銭的に余裕のある人にしかできないカスタムだったという。






さらに、「マテル45」にはダブルアクションもあったので、トリガー位置がリアルではなかった。ここにも手を加える。小林さんによると、「マテル45」はモナカ構造の左右張り合わせカシメ留めで分解できないから、ほとんどの人はフレーム下部からトリガー前方に割り箸などを削った詰め物をして、トリガーがシングルの位置で止まるようにしていたという。幸運なことに、「マテル45」はこれだけでダブルアクションがキャンセルされ、シングルアクションは正常に作動した。
これらのカスタムは、アメ横界隈に集まるファンの間で情報交換され、自分でやったり誰かに頼んで作ってもらったりして広まっていったという。
パッと見には「マテル45」だが、よく見ると細部が違っている。見分け方はトリガーの位置と、シリンダーのフルート。オリジナルの「マテル45」のフルートはハンマー側のカーブが尖っていたのに対して、「スタリオン45」のそれは丸みの強いずんぐりむっくり型だった。
この「マテル改SAA」に目をつけたのが江原商店で、アイディアを買い取って、量産化することにしたという。左右のフレームをねじ留めにして分解できるようにし、プラスチックのスタッグホーンタイプ・グリップを本格的な木製グリップに換装した。プラスチック用の金型を作ると高く付くから、あえて少数製作でも単価を抑えられる木製にしたらしい。シリンダーとカートリッジはもちろん「スタリオン45」のものを使う。内部パーツなどはほとんど「マテル45」のものが使える。1挺丸々新規で作るよりは安上がりだった。
価格は販売店によって違いがあったようだが、国際ガンクラブでは5,500円で発売された。これは現在の86,000円くらいに相当し、「マテル45」と「スタリオン45」の2挺を買うより1,000円も高い。それでも自分でカスタム化する知識や技術のない人にはありがたいことで、本格派を求める人たちにかなり売れたらしい。
「マテル改SAA」と「江原SAA」では、ファンの人たちがもうひと工夫をして、さらなるカスタムが作られたそうだ。それは主にカートリッジで、より確実で迫力のあるファイアリングを楽しむため、違った発火方式が考え出されていったという。
有名だったものに、根本式、国本式、六人部式などがあったらしい。いずれも後にモデルガン・ビジネスに関わることになる人たちで、銃の知識もアイディアも豊富だったことがわかる。みな近くにあった挽き物屋さんに個人で依頼して、独自のカートリッジを作っていたのだとか。






「江原SAA」の木製グリップは当初、普通の木工所に発注されていたらしい。しかしあまり出来が良くないということで、後に六人部登さんのルートで、田中木工(後のタナカ)に出されることになった。田中はもともと木型を作っていた会社で、普通の木工屋さんとは技術に大きな差があり、倣いフライスなどの工作機械もそろっていたという。
江原商店はバリエーションとして、バントライン、フロンティア スタンダード(フロンティアをピースメーカーとした時シビリアンサイズをこう呼ぶことにしたらしい。しかしシビリアンの箱も存在するのでややこしい)のほかに、フロントサイトとリア・サイト、グリップのメダリオンを替えたブラックホークも発売した。ブラックホークがどの程度売れたのかは明らかではないが、西部劇人気を考えると、発売がちょっと早過ぎたのではないかという気もするのだが……。
実は同じ時期にMGCも「マテル45」ベースのカスタムでブラックホークを作っている。ほとんど小林さんの手作りだったようで、シングル・アクションにし、サイトも作り込むなどしていたものの、発火ができずダミー弾の装填だけで、オリジナルのシューティン・シェルも使えないためか、あまり数は出なかったそうだ。
江原商店は、純国産のモデルガンが誕生し自社もオリジナルモデルガンを作りながら、CMCとなった後も結局1968年の2代目(オリジナルとしては初代)SAAの発売まで販売を続けた。
おそらく、1967年にMGCがファストドローやガンプレイにも向く本格的なモデルガンのSAAを発売するまでは、マテルやニコルス、ヒューブレーなどと共に日本のウェスタン人気を陰から支えていたはず。ファンによって作り上げられ、その後のモデルガンの方向性を決めた貴重なモデルガンだったと言えるのではないだろうか。







MGC製PPK2について 読者のmaimaiさんからMGCのPPK1とPPK2はサイズが同じだというご指摘をいただきました。PPK2(ニューPPK)の当時のチラシに実寸とあったため、それを小林太三さんにお見せし、「実寸」という前提でお話を伺いました。そのため小林さんも当時エジェクションポートを延長するなど設計変更をされていたので、実寸にしたためだっただろうと混乱されてしまわれました。実際に実寸になったのはPPK3(SS PPK)からでした。公に発表されたスペックもそうなっています。お詫びして、訂正します。なお、なぜ当時のチラシが実寸となっていたかは現時点では不明です。 |
●Vintage Model-gunとは
本コーナーにおけるヴィンテージ・モデルガンは、原則的に発売されてから20年以上経過した物を対象としています。つまり2015年の現時点で1994年以前に発売されたモデルガンということになります。
参考文献
昭和タイムズ/ディアゴスティーニ・ジャパン
拳銃ファン1962年8月号「モデルガン教室 コルト45ピースメーカー」ほか
酒楽昭三/小出書房
MGCカタログNO.1 /日本MGC協会
Text & Photos by くろがね ゆう
協力:タニオ・コバ 小林太三
撮影・資料協力:maimai
Gun Professionals 2013年1月号に掲載
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