装備

2026/10/16

GEAR PHOTO 〜Extra edition 〜:Kelly.D.Venden

 

Kelly.D.Venden

 CIA工作員救出作戦に参加した伝説のオペレーター 

 

 

 「タクティカルギアフォトセッション」は、仕上がった軍装スタイリングでサバイバルゲームや撮影会を行なう装備好き達を交えて、話題のミリタリートレンドを紹介するコーナーだ。今回は番外編ということで、1989年に実行され成功裏に終わったCIA工作員救出作戦「アシッド・ガンビット作戦(Operation Acid Gambit)」に参加したオペレーター、ケリー・D・ベンデンについて解説する。

 

 

 

母国を守る輝かしい軍歴

 

 ミスター・ケリーの軍歴は、アメリカ軍と世界情勢の動きを反映したものとなっている。第75レンジャー連隊とデルタフォースというアメリカ陸軍が誇る最高峰の部隊に所属し、そこで数多くの特殊作戦に参加。この間についての詳細は後述する。
 特殊作戦司令部(USSOCOM)では、複数の特殊作戦部隊の戦闘任務要件文章の策定を担当。4つの特殊任務部隊司令部および特殊作戦部隊のオペレーターから指揮官レベルまでと連携し、過酷な特殊作戦環境や低強度紛争環境における作戦上のギャップについて、作戦分析および批判的評価を提供した経験をもつ。
 国土安全保障省においては、アメリカ航空産業の安全を確保しつつ、国際法規を遵守しつつ統合的な対テロ作戦を実施。同時に2001年同時多発テロでの航空機を使ったテロを教訓として、訓練の改善と向上を行った。
 国防情報局(DIA)では、派遣戦闘技能教官として平時と有事の両方において、多岐にわたる戦略的・国家安全保障支援作戦やその他の高リスクな特殊作戦活動に従事する10の特殊作戦部隊の訓練分野専門家を務めた。あらゆる作戦環境(陸・海・空)および訓練の優先事項(世界規模の通信、兵器、戦術、医療)が、実戦的な不測の事態に対応できるよう展開準備が整っていることを確保するため、訓練を開発して作戦部隊を監督した。
 ミスター・ケリーが持つスキルは、アメリカ国内のみにとどまらず海外でも大きな影響を与えている。アフガニスタン南部ヘルマンド州にあった大規模なアメリカ海兵隊の主要基地キャンプ・レザーネック(Camp Leatherneck)では、特殊作戦の専門知識を活かした対反乱作戦顧問・評価チームとしての任務を遂行し、在アフガニスタン米軍司令官を直接支援した。
 アフガニスタン中南部の都市カンダハールでは、アメリカ、アメリカの特殊作戦部隊およびアフガニスタン軍部隊に対し、基地の対テロ・部隊防護活動、および即席爆発装置(IED)対策を含めた戦術計画、技術的専門知識、評価、および作戦準備態勢訓練を行った。米国アフリカ軍(USAFRICOM)では、アメリカ、NATO、および欧州諸国の軍事合同参謀本部向けに特殊作戦部隊の活動、能力、戦略を反映した、相互に有益かつ作戦・戦術に重点を置いた演習を実施するため、特殊作戦部隊の演習計画担当者を統括。
 その後、米国アフリカ軍司令部を支援する35名以上のDTRA要員を統括するオペレーションズ・マネージャーとして、危機対応および緊急作戦における戦闘指揮部の情報要件を6年以上にわたり直接支援を行った。
 そして現在、欧州特殊作戦司令部(SOCEUR)合同火力アドバイザーとして、航空・陸上・海上兵器を含むあらゆる物理的および非物理的攻撃、ハイブリッド脅威への対処、作戦計画を支援する情報作戦を担当。NATOを支援するため、NATO最高司令部との調整・連携を行うほか、NATO傘下の特殊作戦部隊を統括する特殊作戦司令部を支援している。
 米ソの冷戦時代から対テロ戦争、その終結後から始まった新しい戦争、その時々で対応する任務に携わっていることがわかる。多くの専門知識を持ち、長年の特殊作戦に従軍した経験があるからできることだ。

 ミスター・ケリーことケリー・D・ベンデンは、レンジャーやデルタフォースなどに在籍し、長きにわたり活動してきた中で、1989年12月20日のパナマ侵攻時に行われたCIA工作員救出作戦に参加した『伝説の23人』のひとりだ。現在もアメリカ軍で勤務をしているが、一部情報公開許可が出たことから、記事作成にあたって貴重な写真や資料を貸し出していただくことができた。師であり友人のミスター・ケリーについて、在籍した部隊や参加した作戦と合せてご紹介する。

 

ケリー・D・ベンデンの略歴

 

●1982年5月〜1988年6月
  第75レンジャー連隊第1レンジャー大隊(ジョージア州、ハンター陸軍飛行場)


●1988年6月〜2003年4月
  第1特殊戦作戦分遣隊デルタ(ノースカロライナ州、フォートブラッグ基地)


●2003年2月〜2008年4月
  連邦法執行官および認定訓練教官(国土安全保障省)


●2008年4月〜2011年11月
  特殊作戦部隊要件、アメリカ特殊作戦司令部教義・訓練・部隊開発局(フロリダ州タンパ、マクディル空軍基地)


●2010年11月〜2011年11月
  ウェックスフォード・グループ対反乱作戦上級顧問、対反乱作戦顧問・評価チーム(アフガニスタン・ヘルマンド州、キャンプ・レ
ザーネック)


●2011年11月〜2017年7月
  派遣戦闘技能教官(テキサス州サンアントニオ、国防情報局)


●2017年7月〜2019年9月
  ウェックスフォード・グループ合同遠征チーム、合同即席脅威対処組織(アフガニスタン・カンダハール州)


●2019年7月〜2022年12月
  合同演習計画官、アメリカ・アフリカ軍(ドイツ・シュトゥットガルト)


●2022年12月〜2025年9月
  オペレーションズ・マネージャー、国防脅威削減局戦闘司令部代表チーム アメリカ・アフリカ軍(ドイツ・シュトゥットガルト)


●2025年9月〜現在
  欧州特殊作戦司令部合同火力アドバイザー(ドイツ・シュトゥットガルト)

 

 

U.S.Army 75th Ranger Regiment

 

 ミスター・ケリーの軍歴は、アメリカ陸軍第75レンジャー連隊第1レンジャー大隊から始まった。第75レンジャー連隊は、短時間(18時間以内)で世界中に展開できる緊急即応部隊として、主に敵支配地域や機密保持が必要な場所での直接行動による襲撃を担当し、重要標的の殺害または捕獲を行う。他の任務としては、飛行場の制圧、特殊偵察、救出任務、秘密潜入と現場調査がある。幅広い任務を行うアメリカ陸軍の中でも柔軟性のある部隊として有名である。連隊での訓練は、あらゆる環境下で実施される現実的かつ革新的なものであるという。特に連隊訓練があったからこそアーガント・フューリー作戦(Operation Urgent Fury)*において成功を収められたという。
 アメリカ陸軍第75レンジャー連隊第1レンジャー大隊の軽歩兵部隊小隊長となった際には、統合特殊作戦部隊(JSOC)と連携して活動を行ったのであった。

 

*アーガント・フューリー作戦
 グレナダで起きたクーデターによって孤立した島に住むアメリカ人とアメリカ人医学生の救出を目的とした1983年10月25日から8日間にわたり行われたアメリカ軍の軍事作戦である。

 

レンジャー年鑑の表紙と、その中の若き日のミスター・ケリーの写真である。年鑑は集合写真や訓練写真などが掲載されており、隊員たちの思い出深い品になっている

 

イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)に交換将校として勤務した経験を持つチャールズ・アルビン・ベックウィズによって、直接行動および対テロ任務のために幅広い特殊技能を持つ、高度に適応力が高く完全に自律的な小規模チームとしてデルタフォースが創設された。テロの脅威に対するため、室内での近接戦闘や建物への強襲のやり方などを構築し、現在の特殊部隊の強襲作戦の基礎を作り出した

 

 

 

1st SFOD-D

 

 1st SFOD-D (The 1st Special Forces Operational Detachment-Delta)は、一般
的にはデルタフォースという名称で知られているが、世界情勢に影響がある大型作
戦が行われた場合のみ、公式発表で名前が出るアメリカ陸軍所属の極秘部隊である。
 ミスター・ケリーはチームリーダー時代に100件以上の多様な高度な対テロ作
戦、秘密監視、機密プロジェクトに従事。内部効果と部隊能力を活用した標的選
定・計画立案・実行、および高リスク特殊作戦活動の成功に向けたプロセス策定を
担当した。狙撃・観測チームの活動においては、アメリカ本土および本土外におけ
る許可・非許可の侵入・脱出、標的の選定と優先順位付け、計画の統合、および合同
射撃の実行調整が含まれた。特殊作戦航空部隊の作戦上級曹長として、回転翼お
よび固定翼のガンシップの任務計画を策定し、作戦中の空域管理における調整お
よび確保を行った。そんなミスター・ケリーがこの高度に専門化された特殊作戦
部隊のアサルターとして参加した有名な作戦が「アシッド・ガンビット作戦
(Operation Acid Gambit)」である。

 

 

Operation “Acid Gambit”
1989-12-20 Carcelo Modelo

 

 アシッド・ガンビット作戦は、1989年12月20日に行われたパナマ国防軍に拘束されていたCIAアセット(情報提供者)のカート・ミューズを救出した際の作戦名だ。アメリカ生まれのカート・ミューズは、1950年に両親とともに北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を結ぶ地域(パナマ地峡)に位置するパナマ共和国に移住。1989年にはパナマ市街で実業家として生計を立て、結婚して15歳の娘と12歳の息子を持つ父親であった。同時にパナマの独裁者マヌエル・ノリエガ将軍の政権を転覆させようと活動するグループのメンバーでもあった。パナマ共和国がアメリカとの関係が悪化していく中でCIAへの情報提供者であったカート・ミューズは、軍事独裁政権を率いていたノリエガを批判する地下ラジオ放送を流して政権批判を行っていた。ところが、これが政権関係者に露呈してスパイ容疑と国家転覆罪という汚名を着せられ、悪名高いモデロ刑務所に9か月間収監されてしまった。
 当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、パナマ防衛軍によるアメリカ海兵隊隊員殺害を機に隣国コロンビアの麻薬組織であるメデシン・カルテルとの麻薬関連容疑で起訴されたノリエガを追放するためにパナマ侵攻の許可を出した。こうして1989年12月20日、アメリカの侵攻に対して人間の盾とされるカート・ミューズの救出作戦となるアシッド・ガンビット作戦がパナマ侵攻に合せて行われることとなった。

 

 

何カ月もかけて現地の情報部員が、モデロ刑務所やパナマ国防軍について弁護士と医師の協力を得て入念に調査していた。その情報をもとにモデロ刑務所のモックアップを作り、強襲訓練と合わせて侵入経路や敵の配置などの検証が行われた

 

 

Six Minutes to Freedom

 

 AC-130Hガンシップ2機とAH-6キラーエッグの支援を受けた23名のデルタ隊員を乗せたナイトストーカーズのMH-6リトルバード4機が飛びたった。MH-6ヘリコプターのパイロットがデルタ隊員達をモデロ刑務所の屋上に迅速に降下させると、屋上のドアを突破して2階の独房に監禁されていたカート・ミューズを救出するために階段を駆け下り、独房入口に着くまでに複数の敵を排除しひとりを拘束した。独房の鍵をミスター・ケリーがショットガンで2回撃つも壊れず、ブリーチャーが小型爆弾で解錠させた。
 『中に入ってカートの無事を確認し、彼の手錠を自分が持つワイヤーカッターで切った』とミスター・ケリーは言う。
 カート・ミューズにヘルメットと防弾ベストを着せて、屋上に登ってヘリコプターに載せた。突入から離脱までわずか6分間の出来事であった。
 カートとミスター・ケリーを含めたデルタ隊員が乗ったMH-6のパイロットは、MH-6が刑務所の屋上から離脱すると、左側面に機関銃の集中砲火を浴び、ローターからテールブームまでが撃ち抜かれた。ミスター・ケリーは腹部を、パット・サヴィッジは脚を撃たれた。MH-6に搭乗していた7人のうち、墜落で4人が負傷した。墜落した場所の近くにある建物に避難をしてカート・ミューズを守る防衛陣地を構築。そして第5歩兵師団のM113装甲兵員輸送車が全員を救出した。
 この作戦は、アメリカ特殊部隊史上初の人質救出作戦の成功例として高く評価され、現在も伝説として語り継がれている。この時の体験を記したカートの自伝がNetflixで映像化の発表がされた。映像化によって当時の状況が取りわかりやすくなると思う。

 

アシッド・ガンビット作戦はCQBの基本と言われる「スピード/サプライズ/バイオレンス オブ アクション」を表すかのような作戦である。現地にいた情報部員からの情報でカート・ミューズのいる独房の場所や建物内部の構造がわかっていて最短ルートを通れたとしても、突入から屋上に戻るまでの時間の速さ、作戦遂行までの敵の排除などはデルタフォース隊員たちの凄さを物語っている

 

 

 

世界で活躍するエキスパート

 

 

 ミスター・ケリーは、アメリカ国外においてもその才能を発揮していた。2010年と2017年のアフガニスタンでの職務は、当時のアメリカのアフガニスタンへのアメリカ軍の増派のタイミングと重なっている。2010年は、バラク・オバマ大統領(当時)によるアメリカ軍の大増派により在アフガニスタン駐留アメリカ軍が過去最多の約9万人規模に達し、タリバンとの戦闘で軍や民間人の犠牲が深刻な水準で増加した激動の年であった。2017年には、ドナルド・トランプ大統領(当時)のアフガニスタンへのアメリカ軍増派と空爆拡大による『勝つまで戦う』方針を打ち出した年でもあった。

 

 

 2010年の派遣先となったキャンプ・レザーネックは、アフガニスタンのヘルマンド州にあった1,600エーカーの面積を持つアメリカ海兵隊基地であった。そこでアメリカ軍とNATO軍を含めた8つ以上の多国籍軍に随伴して複雑な計画や任務の調整、情報主導型の作戦レベルでの作戦展開、および計画や命令に関するアメリカとアフガニスタン両軍の参謀部間での連絡調整を行った。2017年のカンダハールへの派遣の際には、アメリカ駐留軍とアフガニスタン軍関係者に対して防衛計画や命令系統の連絡調整を行い、相互有益な関係を構築している。両年ともに行われたのが、特殊作戦で培った技術によるIED対策と軍事部隊の戦術的専門知識、評価、訓練である。IEDがアメリカ軍や同盟軍にとって大きな脅威であったからだ。

 

 

駐留部隊に同行してアフガン軍や地元住民と交流を深めることや駐留部隊の射撃指導を行うなど幅広く任務を遂行していた

 

 

Criterion Tactical

 

 在米時は自らが主宰するタクティカルシューティングスクールであるクライティリアン・タクティカルのインストラクターとして軍や法執行機関及び民間に射撃を指導している。ちなみにミスター・ケリーは、デルタフォース内の射撃競技大会において優勝経験を持つほどの射撃の腕前を有している。

 

 『ベストな選択をするなら1911で、9mmならSIG P226を使う』
昔、ミスター・ケリーとの会話でピストルの話題が出たときに最良のピストルについて話を聞いた時の答えだ。SIGについては9mmピストルの中で最も精度と信頼性が高いと言うのが理由だった。ミスター・ケリーの使う1911は、デルタフォース時代にラリー・ビッカーズがカスタムしたモデルだ

 

 

 ミスター・ケリーが使うカスタムAR-15は、アメリカ軍特殊部隊出身者が創業したシチズン・アームズ製で、顧客には元デルタフォース隊員のジョン“シュレック”マクフィーがいる。精度の高いカスタムAR-15のセットアップは極力シンプルにすることを推奨し、光学機器はEO-TECHを推す。EO-TECHの視界の広さと独自のレティクルによる素早いサイティングのしやすさがその理由だ

 

 

モデロ刑務所での救出作戦に関わった人達の中にミスター・ケリー(左から2番目)とともに作戦に参加したラリー・ビッカーズ(右端)の姿もある。

 

ミスター・ケリーのご令嬢(写真左)は、幼少期から父親に銃を学び、競技会で優勝経験を持つ腕前だ。現在はアメリカ軍に在籍している

 

ミスター・ケリーの自宅の壁には、数々の思い出の品が飾られており、その中にはデルタフォース隊員として記念に受領したものもある

 

 

 ミスター・ケリーとの思い出として残っているのが、彼がドイツに転居した知らせを受けた時だ。ハンドガンの感覚が鈍るのを防止するため、1911スタイルのエアガンをヨーロッパで買えるところを教えて欲しいという質問だった。ハンドガンのグリップ方法について写真を送って指導をしてくれるほど、常に銃を扱う訓練を行うべきであると提唱する彼らしいと質問だと思った。日本の桜の写真を見て、ワシントンで見たのと同じだと言い、いつか日本で一緒に見ようと話をした。来日したら、彼から学べることを多くの方にお伝えできたらとは思っている

 

 

TEXT:Ghost(Ghost in the Dark)
SPECIAL THANKS:Mr.Kelly and Families

 

この記事は月刊アームズマガジン2026年11月号に掲載されたものです。

 

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