2025/01/02
モデルガンと振り返るリボルバーが主役だった時代 「テレビ~刑事」 03/03
モデルガンと振り返るリボルバーが主役だった時代

若い人にはわからないかもしれない話。かつてスクリーンやTVのヒーローはみなリボルバーを持っていて、いつの間にかショルダーホルスターから抜いて、狙いを付けていた。リロードしなくても無尽蔵に弾を撃ち、スナブノーズでも遠く離れた敵を100発100中で仕留めた。サイレンサーを装着すれば撃発音は消え、強大な敵も一撃で倒した。リボルバーは無敵だった。
テレビ
日本の映画館のスクリーン数は、日本映画産業統計(一般社団法人日本映画製作者連盟)によると、TVの影響もあって1960年をピークに急激に減少し、1970年には半数近くにまで落ち込んでいる。実際ボクの地元、新潟のど田舎の町のたった1つの映画館も、1960年代後半にはピンク映画ばかり掛けるようになり、たしか1970年ころに閉館してしまった。ロードショーで新作を見ようと思ったら、新潟市まで列車を乗り継ぎ小1時間くらいかけて行くしかなくなった。よほどの話題作か大作でもないと見に行けない。
なので、前出の1960年代のハードボイルド映画のほとんどはリアルタイムで見ていない。ガンファンの間で伝説となっている.44マグナムのモデル29を大ヒットさせた『ダーティハリー』(1971年)も、初めて見たのは1978年だったかのTV放映時。
TVは映画よりも大きな影響力を持つようになってきていた。


ボクが当時はまっていたアメリカのTVドラマは、『警部マクロード』(1970〜1977年。NHKでは1975〜1977年)と『西部二人組』(1971〜1973年。NHKでは1972〜1973年)。マクロードは田舎からニューヨークに研修に来た保安官補で、愛銃はNYPDの上司が大砲と呼ぶ.45口径のSAA。『西部二人組』はアクションコメディといった感じだったが、数少ない西部劇で、毎回SAAを見ることができた。
モデルガンが大いに盛り上がっていた1971年、思わぬ大事件が起こる。法律によってモデルガンが規制を受けたのだ。それは1971年10月20日から施行され、拳銃タイプの黒色禁止、銃身(銃腔)の閉塞が義務づけられた。違反をすると重い罪に問われる。

そこで登場したのが規制対象外となるプラスチック製モデルガン。開発したのはMGC。S&Wハイウェイパトロールマン(1972年)は、黒くて銃腔も開いていて、スタ管が使えて、頑丈で、スムーズに作動し、大人気となった。唯一の欠点は軽いこと。
日本の映画界でも、この法規制を受けて、金属製の小道具の銃(プロップガン)がなくなった。そこで急きょMGCから大量のハイウェイパトロールマン(ハイパト)を仕入れて使ったという。このころ制作された日本映画やTVドラマでは、敵も味方もハイパトを持っていて、それで撃ち合うなんていうシーンも多かった。


望月三起也の原作漫画を実写化した伝説のTVドラマ『ワイルド7』(1972〜1973年)も、MGCが全面協力したのでモデルガンを使ったリアルな銃撃戦が売りの1つだったが、撮影の途中で法規制となったため、それまでのハンドガンが使えなくなり、後半はハイパトばかりというような状況に陥っている。
ちなみにMGCのハイパトは最初のプラスチック製リボルバーで、普及させるための様々な工夫を盛り込んだ実験的モデルだった。だからいろんなモデルの寄せ集めのような側面もあり、いわば架空のモデルに近かった。のちに実銃のハイウェイパトロールマンの詳細が専門誌でリポートされた時、その違いの多さに驚いた人も多かった。そして1981年に国際産業改めコクサイがプラスチックのニュー・ハイパトを発売した時、皆がこれが本当のハイパトかと感心させられたもの。ところが、2024年にタナカから本格的なM28ハイウェイパトロールマンが発売されると、それもまた違いがあることがわかり、リボルバーの奥深さを思い知らされることになった。

刑事
その後もMGCはプラスチック・モデルガンの開発を進め、リボルバーは1974年にS&Wの.44マグナムM29を、1975年にコルトのMk IIIシリーズ、ローマンとトルーパーを発売する。そして、それらのモデルガンは大ヒットとなりファンを魅了するとともに、日本のTV・映画界も席巻していくことになる。


そんな1970年代はリボルバーが活躍する名作刑事ドラマがいくつも登場している。これは日米ともにそうで、犯罪の増加、凶悪化で、警察に対する期待が高まっていたのかもしれない。そういう時代だったのだろう。

一部を挙げると、アメリカのドラマではまず『刑事コジャック』(1973〜1978年。日本では1975〜1979年)。銃はS&Wのモデル49ボディガードとモデル15コンバットマスターピースだったようだが、たぶんそれより有名だったのは棒付きキャンディだろう。アルバイト先の先輩も真似して仕事中にくわえていた。その後に始まった『刑事スタスキー&ハッチ』(1975〜1979年。日本では1977〜1981年)はスタスキーのS&Wモデル59もさることながら、ハッチのパイソン6インチがカッコよかった。2人ともショルダーホルスターで吊っている。これも時代だなあ。


MGCはすでに1969年に金属製のパイソンを完成させていたが、1977年にプラスチック製のニュー・パイソンを発売する。そして続くように国際産業とマルゴーも1978年に金属製パイソンを発売している。
日本では、『太陽にほえろ!』(1972〜1986年)や『噂の刑事トミーとマツ』(1979〜1982年)、『大都会』(1976〜1979年)、『西部警察』(1979〜1984年)などに若いガン・ファンが夢中になった。ボク的には寺尾聰がS&Wの.44マグナムM29で、沖雅也がコルト・パイソンというイメージが強い。2人とも撃ち方がうまくてカッコよかった。たぶんファンそれぞれにお気に入りのキャラクターと銃があったはずだ。


それらのリボルバーはどれも無敵だった。容赦なく悪人をバッタバッタとなぎ倒していった。しかし今では銃撃戦が話題になるようなドラマは作られなくなった気がする。オートマチックが主流になるとともに、コンプライアンスとかリアルさとかが重視され、なかなか銃を抜かない。当時の雰囲気を残しているのは、かろうじて映画で『あぶない刑事』が生き残っているくらい。若い人にはこの一抹の寂しさはわからないだろうなあ。
リボルバーが主役の時代だった。
TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2024年10月号に掲載されたものです。
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