2025/01/02
モデルガンと振り返るリボルバーが主役だった時代 「はじまり~ウェスタン」 01/03
モデルガンと振り返るリボルバーが主役だった時代

若い人にはわからないかもしれない話。かつてスクリーンやTVのヒーローはみなリボルバーを持っていて、いつの間にかショルダーホルスターから抜いて、狙いを付けていた。リロードしなくても無尽蔵に弾を撃ち、スナブノーズでも遠く離れた敵を100発100中で仕留めた。サイレンサーを装着すれば撃発音は消え、強大な敵も一撃で倒した。リボルバーは無敵だった。
はじまり
日本でモデルガンが生まれたのは昭和のことで、西暦でいうと1960年代の初め。
まずアメリカなどから持ち込まれた子供向けの銃のおもちゃから火が付いてガンブームが起きた。子供向けとはいえ、ほぼ実物大に近いサイズで、ホンモノと似たような操作をして火薬を詰めて撃って遊ぶことができた。高価だったから、気軽に子供が手にすることはできなかったが、これに娯楽に飢えていた大人たちが群がった。

やがて貿易が自由化され、もののない日本に輸入品としてトイガンもどんどん入って来るようになる。輸入品は「舶来品」などと呼ばれ、高級品だったにもかかわらず、よく売れたらしい。
ボクはその後の世代なので、当時の熱狂ぶり、盛り上がり具合はよくわからない。先輩から話で聞いたり、記事などで読んだりして知った。

モデルガンは、この輸入玩具の銃をベースに、大人が楽しめるようによりリアルにしたカスタムとして誕生し、最初のメーカーであるMGCによって命名された。単なる玩具、おもちゃとは違うという意味合いが込められていたのだろう。
創成期、MGCが作ったのがヒューブレー・ベースのオートマチック、コルト・スペシャルで、江原商店(後のCMC)が作ったのがマテル・ベースのリボルバー、コルト・フロンティア(SAA)。うまく棲み分けができていたようだ。

その後、純国産のモデルガンが作られるが、ほぼ同時に誕生した2機種とも、意外なことにオートマチックだった。ハドソンが作ったのがモーゼル大型軍用自動拳銃で、MGCが作ったのがワルサーVPⅡ。
モーゼルは手動式で、1発撃つごとに手でボルトを操作しなければならなかったが、VPⅡは指アクションで、トリガーを引くだけで装填排莢ができ、連射が可能だった。そんな撃つ面白くもあり、VPⅡはアクション派に大受け。大ヒットとなった。
モデルガンの時代が始まった。
ウエスタン
第18回オリンピック東京大会が開催されたのが1964年。それまで一般家庭にTVは普及しておらず、話題の番組が放送される時は、近所のTVのある家へ見せてもらいに行っていた、そんな時代。それがオリンピックの開催で一気に普及したとされる。
だから、日本のウエスタンブームのきっかけともなったという伝説のTVドラマ、クリント・イーストウッドの出世作『ローハイド』(1959〜1966年)は、リアルタイムではギリギリ最後の方が見られたという人が多いはず。スティーヴ・マックィーンの出世作『拳銃無宿』(1958〜1961年。日本では1959〜1961年)にいたっては、リアルタイムで見たという人は、ボクの友人にはほとんどいない。当時、TVの受像機(死語?)もなかったが、ボクの田舎の新潟は民放放送局が1つしかなく、放送されない番組も多かった。ボクは『拳銃無宿』の存在すら知らず、マックィーンが使ったというランダルカスタムもMGCがモデルガンを発売するまで知らなかった。
ついでに書いておくと、『ララミー牧場』(1959〜1963年。日本では1960〜1963年)もリアルタイムでは見られていないし、『ボナンザ』(1959〜1973年。日本では1960〜1965年)も『カートライト兄弟』と改題されてから見た。

ハリウッド映画の西部劇は、1950年代が黄金期で、1960年代に入ると衰退していったとされる。それでも『荒野の七人』(1960年)や『リバティ・バランスを射った男』(1962年)、『勇気ある追跡』(1969年)『明日に向かって撃て!』(1969年)などの名作が作られてはいる。
代わって台頭してきたのがイタリア製西部劇、マカロニウエスタンだ。『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『夕陽の用心棒』(1965年)などが次々と公開された。歴史的な正確さやリアルさより、過激なバイオレンス表現や、アクロバティックなガンアクションが受けて大ヒットとなった。

そんなこともあり、1960年代、日本ではまだまだウエスタン人気が高かった。そしてウエスタンといえば、リボルバーのキングと呼んでも差し支えないだろうSAAが定番。当然、銃も大人気で、子供はもっぱらブリキのモナカ銃(ひもの付いたコルクを飛ばすものだったような)と、ビニールのぺらぺらガンベルト。同じようなテンガロンハット(カウボーイハット)もあったかもしれない。当時の子供たちはその格好で町内を走り回っていた。そして大人が輸入トイガンかCMCのフロンティアだったが、彼らがどうやって遊んでいたのかはよく知らない。ファストドロウ大会などはすでに始まっていたようだ。

本格的なSAAが登場するのは1967年になってから。まずMGCがファストドロウ競技やガンプレイなどのハードな使用にも耐えるSAAを発売する。日本人の手になじみやすいちょっと小ぶりなサイズではあったものの、大ヒットになった。カートリッジは火薬の装填口が大きく、当時まだ入手可能だった大型紙火薬のスタート用雷管(スタ管)も使えるようになっていた。

その翌年、元祖SAAのCMCも完全新規設計の、リアルサイズ・モデルガンを発売する。発火全盛時代だったので、MGCへの対抗意識からだろう、通常の紙火薬で、より迫力のある撃発が楽しめる新型カートリッジが使われていた。
ウエスタンファンでなくても、モデルガンファンなら、必ずどちらか1挺は持っていた。もちろん2挺、3挺と持っている猛者もいた。
TEXT&PHOTO:くろがね ゆう
この記事は月刊アームズマガジン2024年10月号に掲載されたものです。
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