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2025/03/23

『東京湾要塞』の一角を担う謎残る要塞『千代ヶ崎砲台』【かつて軍港の町だった地】

 

 

 横須賀市 都心から京急で約1時間、横須賀の中心地を超えその先に今回の目的地はある。 

 都心から京急で約1時間、前回の浦賀ドックと同じく横須賀の中心地を超え浦賀駅にたどり着き、さらにバスに乗ってその先に今回の目的地はある。
 最寄り駅である浦賀駅からバスに揺られて最寄りのバス停で降り(京急久里浜駅行きだと一番近い場所で降りられるので楽です)、急な坂を上ると今回の目的地である『千代ヶ崎砲台跡』の入口が見えてくる。
 

 

 前回とは変わり、今回は「軍港の町 横須賀」として、前編では史跡認定された要塞である『千代ヶ崎砲台跡』。後編では横須賀でもっとも気軽?に見学できる要塞『観音崎公園』と現代の軍港を見られるクルーズを紹介して行きましょう。

 

 


 

  • 千代ヶ崎砲台の歴史

 

 

 簡潔に千代ヶ崎砲台千代ヶ崎砲台の歴史を解説していこう。
 横須賀市には現在一般人でも見学できる砲台跡は6個あり(第二海堡は千葉県管轄なので除く)、最盛期には30以上の砲台が東京湾の入口である浦賀水道に帝都防衛のため『東京湾要塞』として配備されていた

 

 島国である日本の防衛は古くより諸外国から海岸線を守備することであり、江戸時代後期になり日本近海に頻繁に出現するようになった外国船に対して徳川幕府は江戸湾海防政策の一つとして台場の建設を行った。
 幕府を倒した明治政府も考えは当然同じで、列強からの脅威に備え台場建設から西洋の築城技術と建築資材を導入した沿岸砲台建設にシフトした。これが前述した『東京湾要塞』であり、日本で最初に建設された要塞で明治10年代に着工された唯一の要塞になる。

 

 

 

 今回紹介する千代ヶ崎砲台跡も1848年 江戸幕府によって『千代ケ崎台場』が建設され、その後東京湾要塞として1892年に千代ヶ崎砲台の建設開始、1895年には完成させている。任務としては観音崎砲台群の側防と浦賀湾前面海域の防御で、対岸に建設された富津元洲砲台と共に援助砲台として位置づけられた。
 要塞建設期の後半に作られた事もあり、猿島や観音崎の設計からフィードバックを得て設計変更されることなく完成させられ、当時の日本要塞建築の粋が随所に見受けられる
 

2007/04/14撮影の航空写真 
写真中央にあるのが千代ケ崎送信所。よく見ると第三砲座は埋め立てられアンテナが置かれ、他にも施設が見受けられる
出典:国土地理院の空中写真


 しかしこの砲台…というより帝都の水上防衛を担った東京湾要塞は実戦を行うことなく抑止力のまま終戦を迎えた。連合軍に接収され大蔵省財産となった千代ケ崎は1951年に開拓財産(農地解放)として農林省へ所管が移され、その後1960年に防衛省が買収して『海上自衛隊:千代ケ崎送信所』として運用される。
 そのため今でも見学すると随所に海上自衛隊時代の名残が見られる。

 

 2010年に送信所の機能停止と返還が行われ、2015年には千代ヶ崎砲台跡と猿島砲台跡が近代日本の軍事および築城技術を後世に残すため国史跡に指定される。
 

 


  • 今なお謎残る砲台


 この『千代ヶ崎砲台跡』は前述した通り、日本築城技術の粋として要塞内に雨水を利用した導水システムや関東大震災にも耐えた優れた建築技術など多くの技術が使用されている(関東大震災の震災ニ関スル調査並研究でも震災被害軽微と記載されている)。
 しかしこの砲台跡は設計図などが見つからないだけでなく、使用されていた資料や写真も見当たらない資料が大変少ない砲台跡になる。
 

 

 小高い丘の頂上に千代ヶ崎砲台は位置している。この砲台跡に訪れると最初に目にするのは道の左右に設けられた石積とその奥に見える土塁だ。
 砲台跡の一部地下空間を見学するには安全のためツアーに参加しなくてはいけない。そのツアーで最初に訪れるのは砲台跡のメインストリートとなる通路、塁道だ。この砲台跡はかなり小型なので唯一の塁道であり、この道からほぼすべての施設にアクセスできる。

 

 塁道の壁は石積とレンガ造りになっており、この石は横須賀の対岸にある鋸山から砕石してきた凝灰質礫岩で作られていると推測されている。
 塁道を進むと鉄扉とコンクリート壁で閉じられた部屋が見えてくる。これは海上自衛隊所属時代に改変されたもので、この砲台跡随所にそういった名残が残されている。
 
※塁道(るいどう):砲台内の各施設を連絡する主要な交通路
 

この砲台跡は常に人が待機しているわけではなく、練習や敵艦船が現れた場合のみに人が派遣され使用される。そのため人が過ごすための施設は最低限しかなく、それもあってかコンパクトな造りをしている

 

凝灰質礫岩で作られている石積

 

海上自衛隊時代に作られた物。ちょっとアンバランスな雰囲気を感じられるが、これも砲台跡が辿った歴史の一つなので残されている

 

 前述した通りこの砲台跡には砲台内部で完結する雨水を利用した導水システムが設けられている。そのため砲台内の地面をよく見てみると左右に石の蓋が見受けられる。
 この砲台施設で雨水を集水・ろ過する集水系統と、汚水を砲台の外へ排水する排水系統がそれぞれ独立して設けられており、この砲台跡が数多くの要塞建設から経験を得た設計の一つになる。
 

右側が集水系統、左が排水系統。当時はこのシステムが画期的であった

 

手前が沈殿池、奥がろ過池。ここで雨水をろ過する

 

ろ過した水はこの貯水所に送られる。このろ過・貯水のシステムは砲台跡南北二箇所に設けられている。それだけ水というのは砲台を運用するにあたり重要だった

 

現在でもろ過された水が流れ込んでいるのか、貯水所の中にはかなり綺麗な水が貯水されている

 

壁に残された海上自衛隊時代の名残。ここまでそのまま残されていることに驚いた

 

 レンガにも特徴がみられる。
 ここで使用されるレンガの多くは小菅集治監(刑務所)に併設された煉瓦工場で作られたレンガである(桜の花の刻印が押されているのが特徴)。レンガの積み方は有名な『猿島』や以前紹介した『浦賀ドック』とは変わりイギリス積みだ。

 

 各部屋や通路の出入り口側にはこげ茶色のレンガ、内側には赤茶色のレンガが使用されている。これは装飾ではなく、こげ茶色のレンガは雨が当たるため浦賀ドックと同様に撥水性の高い焼過レンガ、室内では雨が当たらないのでコストの低い通常の赤茶色のレンガが使われている。

 

理由は分かっていてもオシャレに感じるツートンカラーのレンガの使い方

 

猿島や観音崎を見た後に来るとこの砲台跡は保存状態の良さに驚く

 

 

この砲台跡では高度な煉瓦組積工法が用いられている、それがこの「斜架拱(しゃかきょう 通称:ねじりまんぽ)」だ。この工法は鉄道・水路では使われているが軍事施設で使用されるのは珍しい。砲台跡内には三か所あるので訪れた際は是非とも注目してほしい。
時間帯的に影が強く少し見にくい写真なのはご愛嬌

 

この砲台跡はレンガの脚壁は奥壁約75cm、天井を支える側壁が約1.5m、無筋コンクリート造のヴォールト天井は最も厚いところで約2mもの厚みがある。このコンクリートは現代のコンクリートトンネルに必要とされる強度と同等の数値で、かなり堅牢な施設であることがわかる


 塁道から砲座へと続く通路に入っていく。
 ここのレンガは白く塗装されている。これは外や点燈室からの光を反射させ少しでも室内を明るくする為の工夫がなされている。
 点燈室の光を少しでも活用する為、部屋は弾薬庫と掩蔽部の真ん中に作られ両方の部屋に明かりを届けられるようにしている。そして弾薬庫では火元が厳禁であるため小窓にガラスを設置し(現在は撤去されている)明かりのみを届ける工夫がされている。

 

※点燈室・点灯室(てんとうしつ):この部屋に明かりを置き、火元を持ち込めない弾火薬庫を明るく照らすための部屋
 

塁道からみる点燈室に隣接した掩蔽部。奥に小窓が三つ設けられているのが見える。真ん中の汚れている個所は通気口として設計された

 

弾薬庫から点燈室の小窓を覗いてみた。塁道までよく見える

 

弾薬庫から砲台へここから揚弾井で昇降させていた。一つの弾薬庫に二つ揚弾井があるのはこの砲台跡の特徴

 

 暗いので長く見えるが意外と短い通路を進み階段を上ると高塁道にたどり着く。ここは三つの砲座を連絡する通路であり、地下の弾薬庫から砲弾の提供も行う重要な通路だ。今では特に何の変哲もない通路だが、かつては砲弾を運搬したであろう器具が取り付けてあったであろう跡が見られる。

 現在公開しているのは第一砲座のみなのでそこに上がってみよう。
 

砲弾を砲座へと輸送するための器具が取り付けられていたであろう跡

 

高塁道から第二砲座を見る。奥に隣の高塁道、そして第三砲座と続く。
今は砲台がないので第一砲座から第三砲座までこの通路から見ることができる。

 

 砲座…といっても砲台はすでにない。部屋の地面に空く大きな穴二つと独特な壁面がここに榴弾砲が置かれていたことを思い起こさせる。
 この砲座には28cm榴弾砲が備えつけられていた。「大砲を撃つのに敵が見えない場所でいいの?」と思われるかもしれないが、使用される榴弾砲は放物線を描くように撃ち目標に対して上から攻撃する為の砲台になる。その為敵艦船から見えないよう深い穴の中に砲座を設けている。

 

 現在では隣の観光農園敷地内にあるので見ることはできないが観測所があり、そこから目標の情報が伝えられ砲撃を行う。砲台建設時には無線というものが砲台に使用できるほどなかったので、伝声管を通じて観測所からの情報が砲座に伝えられた。
 

この中に砲弾が格納されており、現役時代は扉が設けられていた。装飾の為に設けられたように見えるが実用性の為なのだ

 

上から見た砲座。これは第三砲座になるが、海上自衛隊時代に土で埋め立てられアンテナが建っていたので保存状態が良く下に敷かれていた石組が残っている

 

 砲座を上から見られる場所に上がってみよう。ここは公開日であればツアーに参加しなくても見学できる場所だ。
 敵から射撃位置を特定されないよう隠蔽しているだけあって、上がっても野原に穴が開いているだけで砲座を視認することはできない。空いている穴を覗いてやっと視認できる。そしてこの穴が結構深い。この土の下に砲台跡が埋まっているとは想像していても一瞬忘れるほど。

 

 この場所からは浦賀水道と対岸の房総まで見渡せ、ここで行きかう船を眺めていると東京湾要塞の大半が横須賀・三浦側にあることが理解できる。敵艦船が浦賀水道に現れた場合、水深の深い三浦半島に近い場所を航行するので狙いやすいのだ。
 

砲台跡上の広場から見ると、ここですら砲座は視認できず隠ぺい力の高さに驚く

 

対岸に見える特徴的な山が鋸山。鋸山石切所で採石した石をこの砲台まで運んで使用している

 

 この場所からは浦賀水道と対岸の房総まで見渡せる。船は原則右側通行をするため、千葉県側を北航船(東京湾行き)、三浦半島側を南航船(太平洋行き側)が航行する。ただ、三浦半島側の方は水深が深いため北航船がかなり三浦半島寄りを航行している。その為横須賀近辺に要塞を作ると敵艦船を狙いやすいので多く要塞が作られた

 

 砲台跡の状態も猿島や観音崎と比べて良く、数多くの要塞建築から得たフィートバックを反映された設計の為建築としてもかなり見ごたえがある。そして何よりコンパクトな砲台跡なので見学がかなりお手軽にできて「要塞を見てみたい!」といった人には『千代ヶ崎砲台跡』はかなりオススメな場所です(駐車場から砲台まで急な坂があるのだけは頑張りましょう)。
 

 後編では自然に飲まれる廃墟らしさを味わえる要塞と現在の軍港を巡れるクルーズを紹介します。
 


 

千代ヶ崎砲台跡

 

 

  • 場所:横須賀市西浦賀6
  • 営業時間:土日祝(年末年始除く)
            10-2月 9:30-15:00

      3-9月 9:30-16:30

  • 料金:入場・ツアー共に無料

 

横須賀市の観光情報はこちら
 

 

PHOTO&TEXT:出雲

取材撮影協力:横須賀市
       横須賀市観光協会 
     
  横須賀市教育委員会

 


 

 

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