2020/12/17
ソ連のアサルトライフル近代化の足跡【カラシニコフ博物館】
前回のレポートでAK-47誕生の経緯をご紹介した。今回はその後のアサルトライフルの近代化の模様をレポートする。カラシニコフ博物館ではリニューアルオープンにあわせて、60年代からソ連崩壊に至る時代の試作アサルトライフルに関する特別展が開催されていた。その写真と共に歴史的な流れに沿って解説していく。
※このレポートは月刊アームズマガジン2020年5月号に掲載されたものを再編集したものです
1960年代の試作銃①
AL-2
- 口径:5.45mm×39
- 全長:680mm
- 重量:2.7kg
AL-2は、Y.K.アレクサンドロフとP.S.ポヴァリオンキンらによって60 ~ 70年代に開発されたブルパップ式アサルトライフルである。当初は7.62mm×39口径で開発されたが、5.45mm×39弾の採用により同口径に改められた。リコイルスプリングの位置を低くすることで、全体的に小型にまとまっているが、小型軽量にこだわり過ぎたため、5.45mm口径化にあたって不具合が生じたと言われている。
1960年代の試作銃②
LA-4
- 口径:7.62mm×39
- 全長:670mm
- 重量:2.8kg
LA-4もブルパップ方式を採用した意欲作。プロトタイプは64年にA.I.ネステロフによって設計された。プレス加工の多様により軽量化を実現。また、AKシリーズと違い、セーフティとセレクターが別々になっている。上部にはハンドル一体型のアイアンサイトが取り付けられ、中国の95式歩槍(アサルトライフル)を彷彿とさせるシルエットとなっている。
中央科学精密機械研究所の特殊ライフル
AO-27/AO-25
- AO-27特殊ライフル(写真上)
- 口径:7.62mm×63
- 全長:890mm
- 重量:2.3kg
- AO-25特殊ライフル(写真下)
- 口径:7.62mm×63
- 全長:900mm
- 重量:2.8kg
60年代以降、中央科学精密機械研究所(テニトシュマッシュ)はさまざまな特殊ライフルを開発した。これらの銃もそうである。
AO-27、AO-25はD.I.シリャエフによって61年に開発されたアサルトライフルである。戦車砲のサボット弾の理論をもとに、小羽根のついた7.62mm×63フレシェット・サボット弾を採用している点が注目される。弾薬の重量は10.5g、弾頭重量わずか2.4g。この実験弾薬の開発にはシリャエフのほか、V.P.グリヤゼフ、P.A.ファデルエフ、A.G.シブノフなどテニトシュマッシュのガンデザイナーたちが参加した。弾丸の銃口初速は1060m/sと高く、有効対人射程もAKMを大きく凌駕していたとされている。
新型小口径ライフルの開発
アメリカ軍による5.56mm小口径高速弾の採用を受けて、ソ連軍もまた国内の主要な武器設計局に5.6mm新型小口径高速弾(のちの5.45mm弾)を使用するアサルトライフルの開発を命じた。これはのちにAK-74へと繋がるのだが、ここでは試作ライフルを見ていこう。
- AO-35
テニトシュマッシュのA.I.シリンによって開発されたライフル。ストックやグリップ、ハンドガードを合板にすることで、軽量化を図っている。5.45mm口径モデルが68年のAKM後継銃器トライアルに参加した。
- AG-02
AO-35を改良したモデルであり、A.I.シリンによって70年代に設計されたライフル。前述の反動抑制機構を備えたことで射撃性能が良く、特にフルオート射撃時の安定性が向上したという。
- AG-038
バースト射撃の安定性を念頭に、76年から78年にかけてP.A.トカチェフ指導のもと設計されたライフル。ガスピストンを改良し、シングルショットと3ラウンドバースト、2つの射撃モードを備える。AK-74と同程度の重量ながら、射撃精度で1.7 ~ 2倍という高性能を示した。
このようにソビエトのガンデザイナーたちはさまざまな挑戦を試み、経験と知識を積み重ねてきた。その足跡がカラシニコフ博物館には多く存在する。この他にも博物館には数多くの銃器がある。「月刊アームズマガジン2020年5月号」で詳しくレポートしているので、そちらもぜひ参考にしていただきたい。
次のレポートでは最後にこの数多くの銃を見せてくれたカラシニコフ博物館をご紹介しよう。
Report:笹川英夫
Special thanks
- Ms.Dilya Khaliullina
- Mr.Anton Kislyakov
この記事は月刊アームズマガジン2020年5月号 P.124~131より抜粋・再編集したものです。