2020/07/30
【試し読み!】二丁目のガンスミス -恋わずらいの銃弾-【小説】
二丁目のガンスミス -恋わずらいの銃弾-
柊サナカ
第一話 恋わずらいの銃弾
小手川京介は、はたきで絵本のほこりを丁寧にはらう。ここにあるのは、誰かの大切なプレゼントになるかもしれない絵本だ。一冊の絵本が、赤ちゃんのための最初の本になるかもしれないし、疲れた大人を癒やす大事な一冊になるかもしれない。まあ、そうは言ってもお客さんは、ほとんど来ないのだけれど。
京介は、店番をするのがここ、絵本のひまわり堂で本当によかったと思うようになっていた。最初はあまり関心のない絵本だったが、店番の合間、勉強の合間に一冊一冊そっと手に取って読んでみる。たまに、絵だけの絵本もあって、想像力をかきたてられる。悲しい結末のものも、美しいものも、それぞれの世界を完結させて、棚に静かに収まっている。
何より、ずらっと並んだ絵本を選ぼうとしているときのお客さんは、綺麗な石を選び出す子供みたいな目をしていて、好きだなと京介は思う。
ここ、絵本店ひまわり堂の店主は白藤美夜、ひょんなきっかけから一緒に住むようになってもう一年以上にもなる。いつも長い黒髪を後ろで一つに縛り、よくわからないセンスのだぼっとした服を着て、黒縁眼鏡をかけて、というのが美夜のいつもの出で立ちだ。
黒縁眼鏡の中の眼は、いつもひやりとしていて感情を見せない。
絵本店も一応は客商売なのだから、ちょっとはにこりとでもしたらいいのに、店主がそんな風だからか、店はいつも暇だった。おとなしいとか無口というレベルではなくて、最初に出会ってから、まだ一度たりとも笑った顔を見ていないほどなのだから筋金入りだ。何とか笑わせようと思って、いろいろ面白いことを言ってみたりしたけれども、眉一つ動かさないので、心が折れてやめた。
でもいつか、美夜に世界一、いや宇宙一のおいしいごはんを作ってみせる。「ああ、これ、本当においしい」って頬がゆるんで、自然とにっこり笑える日が来るように。
歳は京介が十七、美夜が二十五なので、美夜の方がいくぶん年上のお姉さんだけれど、無表情のいまでさえ、こんなに可愛いのだ。にっこり笑ったらどんなに綺麗だろう――そんなことを考えて、ぼうっとしていたら、扉の外に人影を見つけた。
この絵本ばかりのひまわり堂には、絵本なんて、とても不似合いな人間もやってくる。
今日みたいに。
入ってきた男はまだ若いけれど、眉も、テカリのある派手な服装も、見るからに「わたくし、カタギではありませんから」という主張をしている。こういう人が前から来たら、とりあえず道を空けるなあ、と京介は思う。
この男、とにかく落ち着きがなくそわそわしている。もう、絶対あやしい用件の客には違いないのだけれど、例の符丁が出るまで、京介も会釈して黙っている。
「あのさ」
呼ばれた。
「店長いないの?」
符丁のない者には、外出していると言って、絶対に居場所を明かすなと言われている。
「今、外出しておりまして。すみません。伝言ならお預かりいたしますが」と、メモを出した。
「あ」
何かを思い出したようだった。
「赤と黒! 赤と黒! そうでしょ?」
符丁は、アリスの初版、表紙が赤と黒のものだ。惜しい。
「すみません。赤と黒の、なんでしょうか」
「ほら、表紙が赤と黒のやつだよ、あんた知ってんだろ、なあ」
符丁が合うまで、通してはいけないのだ。
「何の表紙だったか、覚えていらっしゃいませんか」
さりげなくヒントを出してやる。
「俺、本読まねえんだよ、本の題名なんか覚えてられるかってんだ」
男は、苛立っているようだった。
しばらくぶつぶつ言って中空を眺め、「なんだっけ……」と眉間に皺を寄せること数分。がんばれ、と思いながら眺めている。
「アリスだ! なんか最初のやつ、それで、表紙が赤と黒」
正解! と言ってやりたかったけれど、黙って机の陰のボタンを三度押した。地下の工房にいる、美夜を呼び出す合図だ。
――お客が来ましたよ、と。秘密の仕事の。
地上まで上がってきた美夜は、いらっしゃいませ、と挨拶して、店の外に臨時休業の札をかけ、シャッターを下ろした。
「美夜さん、ご無沙汰してます」
男が、礼儀正しく頭を下げる。
その客が来たのはずいぶん久しぶりのようで、「……お久しぶり」と美夜が小さく言った。
「今日は何のご用でしょうか」
「弾丸をいただきたいんで」
美夜はいつもながらの無表情だが、いつもよりも速い瞬きの間隔から、この客を不審に思っていることがわかる。
客は、「えーと。これと同じのを、五個? 五本? お願いします」などと言って、ポケットから、ころん、と一発の弾丸を出した。
「五発? 確かにそう言われましたか? 間違いはありませんか」
「えーと。とりあえず、お前行って五つ、買ってこいと言われまして」
美夜が、じっと男の顔を見る。男が、ちょっと視線を泳がせた。
「確かにそう聞きましたか」
「ええ……」
男が曖昧に頷く。
美夜がスマートフォンを取り出した。「失礼、ちょっと確認します。うちは銃の整備はしますが、弾丸は誰にも卸していないので」
そう言った途端。
「すみません! かんべんしてくださいっ!」
男が床にものすごい勢いで土下座した。土下座を見るのは初めてだったので、驚いて声も出せなかった。
美夜はさして驚いた顔もせず、冷ややかに男の後頭部を見下ろしている。後頭部には、変わった位置につむじがあった。
「どういうこと、小今井。あなた今、無断で名を騙って弾丸を手に入れようとしたの」
「すみません美夜さん! このことはどうか上にはご内密に!」
脂汗って本当に出るのだなあと思った。この小今井という男、汗だくになっている。その汗だくさと怯えように、とんでもない失敗をやらかしたようなのはわかった。
もしかして、こういう人たちって、何か失敗したら、たしか小指をどうこうするんじゃなかったっけ……どうか穏便に事が済むように、京介はこの小今井という男のために、心の中でちょっとだけ祈った。
「どういうことか説明してくれる」美夜は冷ややかな表情のまま言った。「返答によっては――」
小今井は心底ぞっとしたようだった。立ち上がると、最敬礼して直角になった。
「まず美夜さんに嘘をついたこと、たいへん! 申し訳ありませんでしたっ!」
直角のまま動かない。
「でもこれには理由があって……その……」
「説明を」
美夜は、椅子に腰掛けて腕を組み、話の続きを待った。ちょっと長い話になりそうなので、京介はとりあえずコーヒーを淹れようと準備した。
小今井は、コーヒーが卓に置かれると、京介にも礼をした。
ぽつりぽつりと話し出す。事のあらましは、妙な話だった。
「あの。管理している弾丸が消えたんです」
「消えた。溶けてなくなる物でもないし、ないのは五発だけ?」
「そうです」
美夜は、妙だなと思ったようだった。京介も妙だと思う、もしも盗るなら、もっとたくさん盗るだろう、半端な数だ。
「誰かに恨まれていて、弾丸の管理をしている小今井を困らせようとわざと隠した。違
う?」
「ええと。実は違うんです」
もじもじしはじめた。
「実は盗った人はもう、わかっていて……」
「内部の人間?」
「外部の人です」
「誰」
美夜の目が鋭くなる。
「あの。うち、よくピザをデリバリーするんです、わりとみんなピザ好きなんで、週に二回くらいとったり。うまいんですよ。シーフードのやつとか。バジルもきいてて」
なんでいきなり、ピザ屋の話が出てくるのかわからない。
「それで……あの……毎回、決まった子が配達に来るんです」
「女?」
うんうん、と頷く。美夜は、大きくため息をついた。
「最初は慣れないみたいで、緊張してて。でも俺、ちょっとずつ話しかけたりして、仲良くなって。飴あげたり、ジュースあげたり」
「弾丸、目につくところに置きっぱなしにしてたの」
「まさか。そんなわけないですよ。ちゃんとしまってましたって、金庫に」
「鍵は」
うっ、とつまる。
「鍵は、まあ、机の上に……」
「じゃあ整理すると、そのピザ屋が来た、帰った後に弾丸が減っていた。犯人はそのピザ屋。これでいい?」
小今井が頷くと、美夜はスマートフォンを取り出した。どこかに電話をかけようとするのを、小今井が「それはかんにんしてください! かんにんしてください!」と、美夜の腕をとろうとする――その一瞬で、眉間にホイットニー・ウルヴァリン、美夜の愛銃。
美夜は無表情のままだった。
京介も心拍数が上がる。
小今井は眉間に銃口を向けられたまま、両手を挙げていた。その指が小刻みに震えている。
「すんません美夜さん……これには、これには深いわけがあるんです……聞いてください……お願いします……」
それでも美夜は銃を下ろさなかった。
「甘いことを。弾丸の出所が世に知れるとどうなるか、想像くらいつくでしょう」
「これには深いわけが……最悪、俺、俺がこの始末、かぶったっていいんです。でも、あの子だけは見逃してやってください……頼みます。こんな気持ちになったのは俺、初めてなんです。あの子だけは守りたいんです。どうか……」
美夜が、ふうっと苛ついたようにため息をつくと、銃を下ろした。小今井はうなだれ、京介も力が抜けたように椅子に座り直す。
「今から五日前のその日は、ピザの子が配達に来て、おつりがないって言われて。他の奴だったら、何考えてるんだ下で崩して来いよ馬鹿野郎がってすごむんですが、まあ、その子だったので。それで、誰か万札を崩せるやつがいないかって、奥へ行ったんです」
「そこで、鍵から目を離したと」
「あとで、弾丸の数チェックしてるときに気がついて。こんなことがバレたらえらいことだから、とりあえず帳簿の数だけ合わせておいたんです。うまくやれば、ちょっとの間はバレない。だから追加で美夜さんのところから弾丸を調達したら、ごまかせるんじゃないかって」
「銃は」
「別のところで管理してました」
「盗られたのは弾丸だけ?」
「そうです」
京介は、じゃあ、安心なんじゃないかなと思う。銃が消えたなら問題だけど、弾丸だけなら、素人が使えるとも思えない。
「どんな子なの」
「そうですね……ひとことで言って、天使」
また美夜がスマートフォンに手を伸ばそうとするのを、「すんませんすんません」と必死になだめる。
「美術系の大学を卒業して、でも生活が苦しいらしくて、バイトをいっぱいしていました。俺も話が合うように美術、ちょっと見てみたりとかしました。ゴーギャン最高ですねとか。なんていうか、あんな知的で純粋な子、俺、ちょっといままで見たことなくて」
「純粋な子は弾丸を盗まない」
「まあそれはそうなんですけどね。何か深いわけがあるに違いないんですよ」
「ピザ屋のアルバイトはどうなったの。それで名前は何」
「姫野里沙って言う名前です。バイトは辞めたみたいです。別の奴が来てました」
寂しそうだ。
「住所もわからないの」
「あ。現在地は、今もわかりますよ」と、意外なことを言い出す。「里沙ちゃんの、自前の財布もあったんですが、あんまりボロボロだったから、これあげるよ、ってブランドものの財布を、俺、あげたんです。いえ、こんな綺麗な財布、もらえませんって言ったんだけど、いいからとっときなよって」
「財布?」
「まあ、その中にですね、GPSのタグを仕込んでですね」
美夜と京介の顔色を見たのか、「いや、違うんす。こうやってGPSが移動する度に、ああ今日も、里沙ちゃんはこの地球で元気に生きてるんだな、ってほっこりするというか。ストーカーとかじゃないです」と胸を張る。
しん、と部屋が静まりかえった。
「いやいや、ほら、そこのお兄さんもわかるでしょ。好きな人がこう、元気に行き来して
いたら心が和む気持ちは。ああ点滅している、里沙ちゃん、今、青梅からお出かけして渋
谷にいるんだなって。仕事にも張りが出るし」
京介はいきなり話を振られて、「まあ……わからないでもないですけど」と言った。
「ほらね」
「ほらね、じゃない。現在地もわかっておきながら、なぜさっさと取り返しにいかないの」
そう言われて、小今井は口ごもる。
「嫌われたくないんです……。怖がられたくもないし」
乙女みたいなことを言い出す。
「小今井、あなたね、自分の立場を、」
「だから。もしも事が明るみに出たら、俺が潔く罪を被る覚悟はできています。弾丸を紛失したのは俺だと」
「そんなことをしたところで、その里沙とか言う女にはなにも通じていないし、感謝の一つもされない」
しばらく小今井は黙っていたが、口を開いた。
「いいんです。俺はどうせ産まれたときからのはぐれ者です。誰かのために生きたいとか思ったことなんてなかった。里沙ちゃんのためなら、俺はこの命だって捨てられます。たとえ里沙ちゃんが俺のことを何も知らなくても、それでも。里沙ちゃんには幸せでいて欲しいんです」
そう言ってまっすぐに、小今井は、美夜を見た。
この、どうみても下っ端のチンピラという出で立ちの小今井の口から出てきた、混じりけのない恋心にたじろいだのは、京介だけではなかったようだ。
「……とにかく、わたしが知った以上、見過ごすわけにはいかない」
美夜の言葉に、小今井がうなだれる。
「現在地はどこ」
美夜が言うと、小今井の表情が少しだけ明るくなる。「ってことは……」
「手伝うのは、これ一度きりだから」
小今井は男泣きに泣き出した。「泣くのは無事に弾丸を取り返してから。行きましょう」
紺のカングーに乗り込む。行き先は東京の一番外れ、青梅のあたりだった。
「うまくやれば、その子を脅してどうとでもできたし、付き合うなりなんなり、小今井の
思うようにできたでしょうに」
美夜の言葉に、首を横に振った。
「そういうことが許される子じゃないんです。それに俺は、そんな風に、野に一生懸命咲いてるちいさな花を、無理矢理に手折ったりしたくない。俺の手の中で、枯れていく様子をただ見る。そんなの、何より悲しい光景だと思いませんか」
恋は、チンピラも詩人にするようだった。
「ほら、見てください」
京介にもその里沙という女の子の写真を見せてくれた。どれも斜めだったり遠くからだったり、監視カメラ越しだったりしてよく顔がわからない。美夜もちらりと見て、「顔が全然わからない」という。
「そうですか。まだあるので……」
膨大な写真の量に驚くが、どれもみんな隠し撮りみたいだった。
「正面からのはないの」
「無理です、写真撮っても良いですか、なんて言ったら嫌われるかもしれないし、用心して配達に来なくなるかもしれないじゃないですか」
「まあ、でも、好きな人の写真が欲しいのはわかります。撮れない気持ちも」
京介が言うと、「でしょう? わかるでしょ、男同士ならわかるんですよこの気持ちが」などと言って、うっとりとGPSの地図の画面を眺める。「こうやって、ああ、ここにいるんだな。山の方面に向かっている、この速度は自転車かな? きっといまから、眺めの良いところでスケッチでもするのかなって。ね? わかりますよね?」
いきなり同意を求められたので、「いや、そのGPSまではちょっと……」と返した。
どうやら、里沙は山に向かっているらしい。もうすぐ日も暮れるかもしれないというのに、女の子が山に向かうには、時間的にちょっと変だなと思った。
「でも。盗られたのが弾丸の方でよかったです」京介はつぶやいていた。「逆で、銃だったら、もっと大事だったでしょうから。売るとしても、五発なんて売れないでしょうし。多分」
弾丸だけなら、いくらなんでもこの女の子には、何もできないだろう。
美夜が首を振る。
「いえ。銃か弾丸、どちらか片方だけを盗られるのだったら、銃だけの方がまだ、よかった」
「え。弾丸より、銃の方がいいんですか。どうしてですか」
意外な気がした。
「じゃあ、もしも、ここに銃だけがあったとしましょう。弾丸は?」
問われて、考え込む。
「ええと。例えば、花火をですね、こう、ほぐしたりとかして、火薬をあつめて作って……」
「それをどうするの」
「導火線で火をつけたりしたら、パチンコ玉とか、飛んでいきませんかね」
「それを本当にやったら、爆発する」
意外な気がした。ただの花火なのに。
「でも、銃ですよ。鉄で、あんなに丈夫で硬そうなのに、花火で爆発なんて」
「花火の火薬は一気に爆発する。銃はその一気の爆発には耐えられるようには作られていないの」
意外な気がした。
「じゃあ、銃は、何の火薬を使ってるんでしょう」
過去に、美夜が火縄銃を使ったときに、黒い粒のような火薬を入れていたことを思い出した。
「弾丸の火薬は、徐々に燃焼して、銃が耐えうるくらいの圧力をうまく生み出すように調整されているのね。正確に言うと、火薬と言うより、発射薬と表現した方がいいくらいのもの。無煙火薬は一般ではまず手に入らないし、特殊な知識がなければ合成することも配合も難しい」
「じゃあ、逆はどうですか。今みたいに、弾丸だけがある場合……」
美夜が考え込む。
「正確に当てたり、連射を考えないで済むと仮定した場合、銃の原理を知っていれば、簡易式の発射装置を作れる人間はいると思う。それこそ、弾丸を作るのに比べたら、いくぶん簡単かもしれない。手製の銃。ジップ・ガンとも言う」
そういえば、以前に美夜は、傘そっくりの銃も作ったのだ。
「美夜さんも、傘になる銃、作りましたものね」
「あれは精度も出さなくちゃいけないので、バレルも取り寄せたものを使いました」
美夜が、ミラー越しに後部座席の小今井を見た。
「その、里沙っていう女の子は、旋盤やフライス盤、バンドソーとかは扱えそう? たしか美術系の大学だったとか」
「いや、専攻は日本画って言ってましたから、知ってる限りでは、そういう金属加工はできなかったと思います。でも日本画だけじゃなくて、いろいろなことを学んだって言ってました。デザインとか、CAD? とかも」
その子は、弾丸なんかを盗んで、一体、どうするつもりだったんだろう。
「何かを加工して撃てそうな技術は身近にあると思う? 例えば親が旋盤工だとか」
「親御さんとは仲があんまりよくないみたいで。おばあちゃん子みたいでした。おばあちゃんも、絵の先生やってたって、おばあちゃんのことを話すときは、ちょっと誇らしげでしたね」
「銃好きの彼氏のために、弾丸がとりあえず要るとかはないの」
「それは絶対にないです。だてに一年以上も監視してません。SNSのアカウントは裏アカウントも合わせて五つ押さえてるし、玄関に男が現れたこともありません」
小今井が胸を張る。
「盗撮……してたの」
「まさか。きょうび女性の一人暮らしは危険じゃないですか。だから心配で、玄関だけ見守ろうと思って」
なんだかんだ言って、この人が一番危ないよな、と思っていると、「いちばん危ないのは小今井」と美夜が言うので、ですよね、と京介も深く頷いた。
日本画を学んでいたというその子は、五発の弾丸を手に今、どうしているのだろう。
誰かに売ったのだろうか。
ただ、見つけて急に欲しくなったのだろうか。
もしくは日本画の絵のモチーフに?
いや、火薬を絵の具に?
よくわからない。
正面の写真がないからはっきりしないけれど、ほっそりした、可愛い感じのお姉さんのように思える。銃や弾丸からは、もっとも遠いような人種だ。
だんだんGPSの地点に近づいてくると、小今井がそわそわしはじめた。手鏡で髪のチェックなんてしている。
山道をちょっと上がったところ、崖のように切り立った山並みを背に、ぽつんと一軒の家があった。別荘のようで、デザイナーがセンスのかぎりを尽くして建てたようなおしゃれな造りとなっている。形は、サイコロのように真四角。前は、大きくガラス張りになっていて、中が見える。絵が飾ってあるようだった。
こんな民家も何もない、へんぴなところに、ギャラリー?
普通、ギャラリーと言えば街の真ん中にあるものだと思っていた。
ギャラリーの前、道を挟んだところに、女の子が立っていて、じっとそのギャラリーを見つめている。ショートカットで、パーマでふわっとなっている髪が明るい。なるほど、小今井がめろめろになるのもわかるくらいの可愛さだ。アウトドア用の、古びたピンクのパーカーを羽織っているようだった。自転車、いわゆるママチャリが側にあるところを見ると、ここまで山道を自転車で上がってきたらしい。大きめのメッセンジャーバッグを斜めがけにしている。思い詰めたような、暗い目つきだった。
山道に突然入ってきた紺のカングーにぎょっとなったようだが、運転しているのが美夜だと見て、何気なく自転車に乗って、その場を立ち去ろうとする。
美夜も降りるので、慌てて小今井も降りた。京介も続いた。
「里沙ちゃん!」
小今井の声を聞いて、少なからず驚いたようだったが、そのまま自転車で逃げようとする。「待ちなさい」
美夜が言う。
それでも里沙は止まろうとはしない。
無造作に美夜がホイットニー・ウルヴァリンを出すと、小今井の「撃たないで!」という悲鳴の中、二発撃った。急に自転車はバランスを崩して、横倒しになる。「きゃっ」という声がして里沙の身体は道に投げ出された。自転車が坂道を少し滑る。
「里沙ちゃん!」
駆け寄ろうとした小今井に、美夜が、「近寄ると小今井も撃つ」と鋭く言った。
里沙は、横倒しになった時に膝を少しすりむいたようだったが、身体は無事のようだった。前後のタイヤだけを狙ったらしい。
美夜の方を向いて、その手に拳銃があることを見ると、一瞬ひるんだようだったが、そのまま美夜を睨み付けた。
お尻を地面につけたまま後ずさりして、後ろ手で鞄を探っている。
「手を上げなさい」
美夜が近づくと、里沙は鞄の中から何かをとりだした。白いプラスチックの塊のように見える。おもちゃとしても不格好な形、前半分が白く、ずんぐりとしていて、握るところがある。
美夜につきつけているのは――プラスチックの銃だった。
「愚かな。3Dプリンターで作ったのでしょう。素人の浅知恵、そのプラスチックの貧弱なバレルが、どれだけの圧に耐えられると思うの」
女同士、銃をお互いに向けたまま、五メートルほどで対峙する。
「銃を下ろしなさい」
実銃の銃口に照準を合わせられている恐怖か、唇を真っ青にしながら、それでも里沙は両手で銃を構え、下ろさなかった。燃えるような目でこちらを見ている。
銃口を前にして、そんな目ができることに驚く。
「ライフリングも切ってない銃で、狙えるものなら狙ってみなさい。二度目の警告をしま
す。銃を、下ろしなさい」
「里沙ちゃん、頼むから銃を下ろして、これ本当だから。本当に撃たれちゃうから、ね、
銃を下ろして。ね」
小今井が懇願する。
銃声が何発も響いた。
里沙のすぐ近くの地面が弾けていく。里沙は「ひっ」という引きつった声を上げて地面にうずくまった。無造作に乱射したのかと思いきや、里沙の周りに落ちていた松ぼっくりが、全部木っ端みじんになっている。この間、数秒。
うずくまってなお、里沙が銃を放さないのを見て。
美夜は、両手で構えたまま淡々と言う。
「銃を手から放しなさい。次は当てます」
里沙は、まだ何事かを迷っているようだった。
「里沙ちゃん!」
小今井が駆け寄ろうとする。
美夜は、そのまま銃を構えて――
撃った。
木の上から、松ぼっくりがひとつ落ちてきて。
里沙の頭の上で、こつんと跳ねた。
その途端、急に感情のたがが外れたようになって、はあはあと肩で息をすると、里沙は、わっと声を上げて泣き出した。美夜が、近くまで寄り、銃を構えたままその3Dプリンターで作られた銃を、こちらに蹴り飛ばしてきた。
その銃を持ってみると、見える範囲は全部が本当にプラスチックでできているようだった。にわとりの頭のようにずんぐりしていて、くちばしみたいに銃身がつき出ている。バランスはお世辞にもいいとは言えない。安全装置らしきものもなさそうだ。でもよく見ればトリガーもあるし、おもちゃみたいだけれど、銃としては、一応形にはなっているようだった。
小今井も駆け寄る。「里沙ちゃん。もう大丈夫だから」と肩をさすってやっている。
美夜は、まだ里沙の頭に銃を突きつけたままでいた。
「弾丸はどこ。すべて出しなさい」
二発だけを鞄から出した。あと一発は、この3Dプリンター製の銃に装填されているのだろう。では、残りのあと二発は?
「ここには、ないです」
涙混じりの里沙の声は、可愛らしい声だったが、「ない」とはっきり言い切っている。
この人、見かけによらず、すごい度胸だな、と京介は思った。
「ないとは、どういうことですか」
里沙が、ぐいと涙を拭った。
「今の、このやりとりはみんな、録画しました。撮影と同時に、もうクラウドにアップされているタイプのものです。ほら」
よく見れば、里沙の腰のベルトの所に、四角い小型のカメラがつけられていた。京介もそのカメラについては知っていた。それは、動画配信をする人たちが撮るような、小型のカメラだ。
いつも無表情の美夜の顔色が、あきらかに鋭く変わった。里沙が降参せずに、これだけ粘りに粘ったのは、こちらの決定的な証拠映像を撮るためだったのだ。
「この映像は、一定期間ログインがないと、自動的に公開されるよう設定しています。わたしが死んだりすれば、警察と各マスコミにこの映像がすぐ行きます。嘘じゃないです。なんなら今、音声入力だけでもすぐに公開が始まります。試しますか」
美夜が、里沙の頭に、正面から拳銃を押し当てた。里沙の呼吸がはやくなる。
何か言おうとした美夜だったが、里沙の言葉に遮られた。
「ねえ。銃を持っているあなたは、いくらで雇われているんですか。わたしと取引をしてください。お願いします。あなたが雇われたお金の、二倍は出せます。悪くない話だと思いませんか」
両手を挙げながら、里沙が言う。
この場には、あきらかに里沙に風が吹きはじめている。非力で武器もないけれど、最後に大きな武器を隠し持っていたようだ。事務所から弾丸を盗んだのだ、武装した男達が、盗まれた弾丸を取り返しに来ることも、あらかじめ予想できていたのだろう。下手すれば、すぐになぶり殺しにされていたかもしれないのに。
「交渉不成立ですか。わかりました。じゃあこの録画分を公開します。今からわたしをたとえ拷問して殺したとしても、位置情報もつけてあるから、すぐ警察はここに来るでしょう。もうあなたがたは、逃げられない、誰も。二倍の金を得るか、警察にお縄になるか、選んでください」
美夜が、銃を懐に収めた。
「取引は、何」
「あなたを、雇ってもいいですか」
「わたしは高いです」
「わかります。銃、うまいし。報酬はどのくらいですか。撃ってほしいものがあるんです」
京介は、思わず話に割り込んでいた。「えーと。物によります。人はだめです。人は撃ちません。人は絶対だめ」
あなたは誰、というような顔で里沙に見られた。「僕は……あの、マネージャー兼、調理長なので」
「殺し屋の人って、コックを連れて歩いてるんですか」
「わたしは殺し屋じゃない」美夜が言った。「まあ、話は聞きましょう、あなたがいったい、事務所から危険を冒して弾丸を盗んでまで、何を撃ちたがっていたのかも」
前輪と後輪が派手にパンクした自転車を紺のカングーに積み込んで、全員で車に乗り込んだ。少し車を移動させる。
里沙が慣れた手つきでスマートフォンを操作した。録画した映像を辿って、さっきのギャラリーの正面図をどんどん拡大していく。カメラが高性能なのか、とても大きく拡大できることに驚いた。
ギャラリーは、真四角でガラスがふんだんに使われており、ちょうど漢字の「回」の漢字のような造りになっている。真ん中にはやはりガラス張りの中庭があるため、真上からも自然光が美しく入るようだ。どうやら、建てられたばかりのようで、まだ公開はされていないらしく、看板等も出ていない。
小今井の話では、か弱い女の子としか思えなかったけれど、交渉を成立させるだけの胆力も、頭の切れもあるようだ。小今井もそんな一面は初めて見るのか、なんだか隅で小さくなって、里沙の姿を盗み見ている。
「表にはこの位置、右上に監視カメラ、中にも監視カメラがあるので、潜入すれば証拠が残ります。三メートル以内には近づけない。ガラスは強度があるので、石を投げた程度では壊せませんでした。銃弾で木っ端みじんにしたいのは、ギャラリー中央の、この絵です。陶板に描かれている絵なんですが」
「絵」
美夜も、意外に思ったようだった。
その絵は、一番正面の真ん中、「回」の漢字で言うと中の四角の部分のガラスの中庭の壁に、浮いたようにかけられている。
京介は、その陶板の絵をまじまじと見て、なんだか妙だな、と思った。こんなにも命を賭けて交渉して、銃を撃つ位なのだから、もっと歴史的にすごい絵とか、賞を取ったような絵であるはずなのに、どうもしっくりこない。何がどうおかしいのか説明できないけれど、なんの迫力もない平凡な絵のように思えた。ただの花の絵だ。いうならば、暇なお母さんが、日曜日にのんびり描いた絵みたいな……
「この絵。誰か、有名な人の絵なんですか。あんまりそうは見えないんですが」
京介がそう言うと、「でしょう? こんなの、ぜんぜんたいしたことない」と里沙が憎々しげに言った。
里沙は、その絵の画像を指で弾くようにすると、消し去った。
「これは、わたしの戦争なんです。どうしても譲れないもののために、闘うことってあると思います」
里沙は、ゆっくりと話し始める。
――わたしは、父母が教師で。当然わたしも教師になるものとして、厳しく育てられました。絵を描いていたら、勉強をしなさいと言って取り上げられる。でもわたし、子供のときから、何よりも、絵を描くことが、とても好きだったんです。わたしの絵を評価してくれて、喜んでくれたのは祖母だけでした。祖母は、美術の教師をしていて、若い頃には賞もとって、画家として食べていけるほどでは無かったかも知れませんが、好きな絵で生計を立てていました。わたしはそんな祖母を、心から誇りに思っていました。 わたしが美大に進みたいと言ったときも、父母はお前を絵描きにするために育てたんじゃないと大反対しましたが、祖母だけが、好きな絵を描けるようにと、かばってくれました。お金だって、用立ててくれたんです。
父母とは険悪なままです。父母にしてみれば、わたしなんて失敗作なんです。
祖母も年をとって絵の先生を辞め、家でのんびりするようになっていました。
そこで、里沙は、辛そうにぎゅっと目を閉じた。
――おかしいな、と気付いたのは、祖母の家に見慣れない絵が増えていることでした。どれもこれもいまいちで、なんでこんなものを増やしたんだろうと不思議に思っていました。祖母の絵に対する審美眼は、誰よりも鋭かったはずなのに。
祖母は近くの喫茶店に通っているようでした。ギャラリーも一緒になっているタイプの喫茶店です。どうやら、そこに通って、何枚も絵を買ってきているようなのです。祖母も年をとって、趣味が変わったのかな、と思っていました。
ひさしぶりに祖母の家をたずねると、壁に飾りきれないほど、また絵が増えているのを見て、嫌な予感がしました。
通帳を見れば、残ったお金はほとんどありませんでした。
祖母は軽度の認知症を発症していたようなのです。わたしは、すべての絵を持ってその喫茶店に、返品をしに行きました。でも、まったく取り合ってもらえなかったんです。領収書もない、妙な言いがかりはよしてくださいと。通帳を持って警察にも行きました。でも警察にも、弁護士にも、味方してくれる人は誰もいませんでした。
喫茶店の方では、祖母をいいカモとして、搾り取れるだけお金を搾り取ったようでした。
でも。わたしが許せないのは!
里沙はそこで声を張った。心底許せないようだった。「この絵を見てください」と言って、画像を見せられる。それは、キャンバスに雑に描かれたへのへのもへじだった。
――まだ、下手でも精魂込めて描いた絵なら、我慢はできました。でも、この絵を見てください。この絵も、この絵もそう。これも。雑に油性ペンで描いた、こんな、へのへのもへじとかの落書きを、現代美術として、ありえないほどの高額で祖母に売りつけていたんです。説明を求めても、この絵は現代美術です、という一点張りで。警察に行っても、現代美術と言われたら、もうどうにもできませんって。キャンバスを切り裂いた絵だってあるし、絵の具をぶちまけたみたいな絵だってあるんでしょう? って。たしかにそうです。でもそれは芸術としての高みが、その線と色に込められているからこその値段であって、こんな雑な落書きに高値をつけるなんて絶対どうかしてる。
こんな、ただのへのへのもへじを、おばあちゃんに売りつけて……おばあちゃんがコツコツ絵の教室で貯めてきたお金も、全部だまし取って……
祖母は、亡くなりました。あれだけ老後の蓄えがたくさんあったのに、すべて吸い取られたこともあって、親族達にも疎まれて、本当にわびしい老後でした。
もちろん、全てをSNSで拡散することだってできるのでしょうが、祖母の、アーティストとしての今までを、全否定するみたいで。人間、年取って頭がぼんやりしたら終わりだな、って、みんなから哀れまれるのは絶対嫌です。
あのギャラリーは、祖母からだまし取った金で建ったようなものなんです。こんなことが、許されていいはずがない。
「では、許せないから、あの絵を壊して、憂さ晴らしをしたい。お祖母さまの敵をとりたい。そういうことなんですか」
美夜が静かに聞いた。
「そうです」
美夜が、少しだけ首をかしげる。
「それだけですか」
「それだけって何がですか」
里沙が、まっすぐに美夜を見た。
「お祖母さまのことだけなら、怖い事務所から弾丸を奪ってまで、絵を壊すことには執着しないのでは。違いますか」
里沙は、ただ、瞬きを繰り返している。
「あなた、今、仕事は」
「わたしの仕事が何か関係あるんですか。ピザ屋の新しいところと、ファーストフード店です。かけもちしてます」
小さく言った。
「絵は、描いていないんですか」
「今はわたしの話じゃなくて、祖母の――」
「わたしが聞いてるのは、あなた自身の絵の話です」
里沙が、目を逸らして、しばらく黙る。
「絵だけで生活なんて、できないです」
美夜が、じっと里沙を見つめた。
「で、あの絵を描いた人は、喫茶店の人なんですか」
「そうです。誰かの愛人みたいで、わたしより少し年上くらいですけど、店だっていくつも任されてて。絵が趣味で、ギャラリーも。でも、それとこれとは」
「関係ありませんか」
「もういいじゃないですか、そのあたりで」
小今井は、助け船を出したいようだった。しばらく黙っていた里沙だったが、顔を上げた。
今までと打って変わった、ぎらついた目だった。
「そうですよ。わたしよりずっとド下手で、才能だって無ければ努力の一つもしていないくせに、こうやって店も任されて美術やってますって顔で堂々といて、売れっ子作家としてあちこちに売り込まれていて、こんなに下手なのに常設ギャラリーだって建ててもらって。何がお披露目パーティーだ。何が若手新進画家だ。おばあちゃんにも下手な絵を堂々と売りつけておいて恥も罪の意識もない、あの女が、どうしても! 許せないんです!」
可愛い女の子が、すべての建前や理性の鎧を取り払って、隠していた本心を――それも、どろりとした狂気を晒す姿を見るのは、少し怖い。
たぶん、絵だけで生活するのはとても大変なことなのだろうなと、里沙の荒れた指先と、裾がほつれた服を見ながら思う。
美夜が、頷いた。
「わかりました。言った通り、わたしを雇うのは高いです。それでもかまいませんか」
一発にあたる金額を聞いて、里沙はひるんだようだった。それでも頷いた。
「留学のためにお金を貯め続けていたんですが、そのお金を充てます。成功したら、手持ちの弾丸もすべてお返しすることを約束します。映像のデータも、消去するので」
「里沙ちゃん……」
小今井は、心配げにしている。
「いいんです。これはわたしの決めたことですから」
「では〝一発”承りました。交渉成立です」
美夜は、どこかに電話をかけはじめる――隠語なのか、わけのわからない会話が続いている。「では。釣り具の手配を」としめくくった。
二日後。
家の前に大きな車が停まったと思ったら、よく見れば助手席には、しわしわの顔をした老婆のトメがいる。トメが降りるのを、運転手の若い男が手を引いて手伝った。腰がやっぱりエビみたいに曲がって、杖をついている。
運転手の男が、大型のクーラーボックスと、長いケースを取り出してきた。ケースには、竿と魚のマークがついている。
「あらいいわね。釣り、楽しみね」
トメがにこにこ言う。どう答えようと迷っていると、トメが低い声で「このボンクラ、〝ええ楽しみですね”ぐらいアドリブで言えよ」とすごんだ。
「あ、え。はい。いろいろ釣りたいですね。何が釣れるかなあ」
クーラーボックスは死ぬほど重い。キャスターで曳ける形でよかった。
竿のケースを受け取る。それもびっくりするほど重いが、肩にかついで、あまり表情には出さないように頑張った。
トメは、やはり手を引かれて車に乗り込むと、窓を開けて「それじゃあ、気をつけて行ってきてね、最近は風もないし、お天気もいいからいいわねえ」と言う。ゆらゆら手を振って、最後に「大漁を」と付け足した。
決行日は、ギャラリー開館イベントパーティーの前々日だった。
三時に起きて準備し、まず小今井を車で拾い、里沙も拾った。全員、キャップを被り、釣りに行くようなアウトドア系の格好をして、山へ。
小今井と脚立、クーラーボックスをギャラリーの近くで下ろすと、美夜は大きく車をUターンさせ、山を下り始めた。
「え。美夜さん、撃たないんですか。ギャラリー、こっちですよね」
もしかして、小今井に撃たせるのだろうか。里沙も不審げな顔をしている。
「わたしたちはこちらへ」そのまま車を加速させる。小今井だけを置いて、山を下りきってしまった。
どうするのだろう、と思ったら、隣の山へと向かっていく。山の中腹まで登ると、車を停めて、「京介くん、釣り竿を持ってくれる」と頼まれる。
美夜は、魚の網やら小型のクーラーボックスを持ちながら、ガードレールをまたいだ。
道なき道を進むと、急に視界が開けた。クーラーボックスから二つ双眼鏡を出すと、手渡される。見れば、その双眼鏡にも小さな三脚がついていた。ピントを合わせるのに戸惑ったけれども、しばらくいじっていると、朝焼けの薄もやの中、鮮明にピントが合った。
ギャラリーが、正面に見える。
里沙も、同じく双眼鏡を覗いている。「あの。小今井さんが、今から何をするんでしょうか」
「裏には監視カメラがないので、登ってもらった」
「屋根に登ってどうするんですか」
見れば、小今井が屋根に登っているところだった。靴あとを用心してか、分厚い靴下みたいな靴に、ビニールをかぶせて履き、ふんばって、何かを紐で引き上げている。見れば、あのクーラーボックスをロープでたぐりよせているのだ。体重をかけて、斜めになっている。人間ひとり分くらいの重さはありそうだったので、とにかく大変そうだ。
屋根の上までなんとか引っ張り上げると、腰をさするのが見えた。
小今井が足で押して、「回」の漢字の中の四角、中庭にそのクーラーボックスを蹴落とすのが見える。
見れば、大きく手で丸を作っている。成功らしい。大急ぎで屋根を降りて、脚立を肩に担ぎ、森の中を早回しみたいな速度で走って一目散に逃げている。
「小今井さん、あの人、いったい何やってるんだろう……」里沙が呟いてこちらを見かけて、ぎょっとした顔で、背後を見る。
美夜が、平らな岩の上に、見た目からしても、凶悪な大きさをした銃を設置しようとしているところだった。ボルトを引いて、薬室を覗き、弾丸が入っていないことを確認している。
「美夜さん、それってもしかして、バレットM82っていう銃ですか……」
「違います」美夜が三脚のようなバイポッドを開いた。「バレットM82はわたしの身体には大きすぎるのと、反動が強すぎる。これは引き金より後ろに機関部や弾倉があるブルパップ方式だから、撃ちやすいの。このGM6 Lynxは」
「リンクス……“山猫”?」里沙が言った。
「ハンガリー語ではゲパード。チーターのこと」
慣れた手つきでマガジンも出してくるが、マガジンの中身を見て絶句した。
弾丸が縦につまっているのだが、弾丸一つでも万年筆くらいはありそうだ。手のひらにもにぎりこめそうにない長さ、その太さに息をのむ。そんな弾丸なんて見たことがない。
「この弾丸は416TYR。弾頭は50口径よりも小さいけれど、50口径の弾頭は重量がありすぎて、一・五キロを超えたら急激に落ち始める。この416TYRは、二キロ先でも命中精度を保てるから」と、淡々と言いながら、マガジンをセットした。
「京介くん。命中したか確認を」
「僕がですか」
美夜がボルトを引く。つまみを触って、安全装置も解除したようだった。
「狙撃手と、観測手が一緒に行動するのは、観測者が、的確な指示を与えるためでもあるけれど、命中のその瞬間を確認するためでもあるの。撃ったら、反動でスコープが跳ねて見えなくなることもあるから」
「わかりました」
初めての役割に、緊張する。
そのまま、美夜は地面に伏せて、スコープを覗いた。
「撃つのは一発だけです。いいですか」
スコープを覗きながら、美夜が静かに言う。
「その右あたりにいると、ちょうど薬莢が飛んでくるから、左側の、もっと後ろに」と言われた。「京介くん、目標を」と言われて、慌ててギャラリーを双眼鏡で覗く。
すると――
耳が一瞬どうにかなったと思うほどの銃声。
「きゃっ」と里沙が悲鳴を小さく漏らす。
同時に山肌から轟音と衝撃波。地面さえ揺れた気がする。
もうもうと上がる白煙と共に、一斉に山から鳥が飛び去った。
「何あれ、何なんですかあれ」
キインという耳鳴りの中、まだ爆発音がこだましている。煙は空に広がり続ける。
「TANNERITEという爆薬。あれは、着弾すると爆発するようにできているので」
上がっていた煙が消えていくと、もうギャラリーどころか、山肌までえぐれて消し飛んでいるのが見えた。
「いかがでしょう」
一帯がふきとんだ隣山を見て、里沙は、奇妙な表情を浮かべた。笑おうとしても、あまりのことに表情がひきつってしまって、うまく動かせないようだった。
「では、戻りましょう」
てきぱきとGM6 Lynxの脚を畳むと、元通りケースにしまった。
車の中で、里沙に、「これ、弾丸の入ってるロッカーのキーです」と、キーを渡される。駅前のロッカーの位置を口にした。映像データを消去したところも見せてくれた。
「あと、お金の受け渡しはどうしましょう。現金化は、もうしておきました」
「今回、現金ではもらわないことに」
美夜は意外なことを言い出した。紺のカングーを発車させる。
「絵を。あなたの」そう言って、美夜がちらりとミラー越しに後部座席の里沙を見た。
「でも」
「自分の絵には、それだけの金銭価値はないと、もう自分自身で決めているんですか」
里沙が目を伏せて、黙る。
「それほどの自信もないようなら、現金でいただきますが」
「いえ」里沙が目を上げた。「では、絵で」
絵が描け次第、小今井を介して届けてもらうこととなった。連絡には公衆電話を使うようにと念を押しながら、美夜が、小今井の連絡先を渡した。「この後、小今井に連絡して受け渡しの約束を」
美夜が、ちょっと迷ったようだったが、付け加える。「一応、言っておくと、弾を盗まれた小今井は、それでも、あなたのために命を張った。彼女だけは見逃してやってくれ。自分が罪をかぶってもいいと」里沙はうつむいたまま、しばらく黙る。
里沙は、今日もいつも通り、アルバイトに出勤なのだという。車を降り際に、小声で里沙が聞いた。「そうだ。3Dプリンターのあの銃は、どう処分するんですか」
「あなた自身が処分先を知らなければ、ばれようがないので。誰にも」
里沙が頷いた。
降りるときになって、しばらく迷っていたようだったが、里沙が、口を開く。
「あの。せめて。お名前だけでも」
「わたしの名前を知らなければ、ばれようがないので。誰にも」
そうですね。と里沙がちょっと笑って、車を降りる。
「今日の釣りは、いかがでしたか」
窓を下ろして、美夜が言った。
「――大漁でした」
里沙が、頭を下げた。
*
小今井をピックアップすると、遠くの山まで車を走らせる。
山は不気味なほどに静まりかえっている。その中で、シャベルで土を掘る音だけが響いていた。
京介は、山肌にシャベルで穴を掘り続けていた。土は硬く締まり、草の根も絡まって、最初は、シャベルの先すら入らなかった。何度もシャベルをたたきつけるように土にさし、足で体重をかけ、少しずつシャベルを土の中にめりこませていったのだ。汗が目に染みるのをぐいとぬぐって、また掘り始める。深く、深く。
下に深く掘らないと、何かの拍子に出てくることもあるのだそうだ。警察に見つかれば、間違いなく、めんどうなことになる。
こんなところ、山菜をとる人も入ってこないだろう山奥だから、こんなに掘らなくてもいいのではないかと思うけれど。念には念を入れて掘らなければと、京介はシャベルをふるい続ける。
ようやくできた穴に、ばらした3Dプリンターの銃を入れた。土をかけて踏み固めていく。
小今井は、まだすすり泣いていた。
「もう元気出してくださいよ……女の人はたくさんいるんですから」
「でも里沙ちゃんが……里沙ちゃん……」
あのあと、正式に連絡先は聞けたのだけれども、〝今回のことでは、小今井さんにはとても感謝していますが、小今井さんを恋愛の対象に考えたことは今のところ、ただの一度もありません。ごめんなさい”と、実に、はっきりと、百パーセント断られてしまったのだそうだ。
そうだ、と京介は、鞄を探った。ウエットティッシュで手を綺麗に拭く。
「小今井さん、元気出してください」
箱を取り出す。緩衝材として入れた色とりどりのペーパーのおかげか、ほとんど型崩れしていなくて良かった。ペーパーにクッキーを一枚載せると、ビンから、クリームをスプーンですくい取ってクッキーにこんもりと載せる。クリームは、小豆とクリームチーズを混ぜて味付けしたものだ。もう一枚上からクッキーを載せてちょっと指で押さえ、手作りクッキーの小豆クリームサンドにした。もう一つ手早く作って、美夜にもペーパーをくる
りと巻いて差し出す。
小今井が「……美味しい。こんなに悲しいのに美味しい……俺は……」と、また泣く。
「塩味になっちゃいますよ。たくさんクッキー焼きましたから、まだまだあります」
「これ焼いたの、あんた?」
「ええまあ」
「野郎の焼いたクッキーがこんなにも美味い」と、なんだかまた泣いた。
「美夜さんも、もう一つどうです」と言うと、手を出すので、そっと手に載せてやる。京介も食べると、口の中で香ばしいクッキーがほろりと崩れ、中から小豆とクリームチーズの甘みと塩気が広がった。昨日、急いで焼いた甲斐があったというものだ。
「あ」小今井が、気のない態度でスマートフォンを取り出すと、通話を始め、「あの」「はい……」「はい……」「わかり、ました」と頷いて、そのまま地面にあおむけに倒れた。顔を覆って、死んだように動かない。
「小今井」と美夜が声をかけると、ぐふふふふふ、と地面に寝たまま、気味の悪い笑いを漏らす。とうとう完全におかしくなったかと、二人で目を見合わせた。「何もかもが、全部済んだ、一年後の、今日」「ごはんにでも」「行きませんか」「ですって」
もうすぐ日が完全に昇る。今日も良い天気になりそうだった。
「里沙ちゃん……」「はやく埋めなさい」
*
あの後、大爆発を起こしたギャラリーの件はニュースになったが、爆発よりも話題になったのは、ギャラリー地下に隠されていた現金だった。その額、なんと十一億円。もともと脱税した資産を隠すために、カモフラージュで建てられたギャラリーなのだという。彼らの栄華もここまで、といったところだろう。
京介も、しばらくはびくびくしてニュースを見ていたが、恨みに思っていた人間も多いらしく、爆発との繋がりも掴めないのか、ここまでは警察も追ってこないようで安心した。
しばらくして、小今井を介して一枚の絵がやってきた。それは、地面に腹ばいになり、GM6 Lynxのスコープを覗く美夜の姿だった。実に正確に描けている。美夜は何も言わなかったけれども、気に入ったのか、絵を工房の、一番よく見える壁に掛けた。
その後、何気なくニュースを見ていたら、「銃を構えた美人画シリーズで一躍有名になった姫野里沙さん」と音声が流れて、京介はソファーにがばっと身を起こした。見れば、日本画の手法で金箔も用い、美しい女性達が、着物姿でいろんな拳銃を手に持ったり構えたりしている。海外からの人気も高く、個展も大盛況だそうだ。
「着物の女性に銃とは、ずいぶんとっぴな取り合わせのようにも思えますが。どこからアイデアが」
「ええと」里沙は、少し笑った。「ただの思いつきです」
第二話 熊の森で少女は踊る
二丁目の家と家との間に挟まれるようにして、ひっそりと存在するその絵本店「ひまわり堂」は、たいてい静かで、物音すらしない。京介は店番の傍ら、いつものように高卒認定試験の参考書にアンダーラインを引いて、ノートに練習問題を解いていた。
店の前の道もほとんど車通りや人通りはない。壁にびっしりと収められたたくさんの絵本が、あらゆる音を吸い込んでいるからか、店は図書館のように静かだった。
京介は、美夜に言われたとおり、試験のための勉強は続けていた。わからないところは「?」マークをつけておいて、あとでまとめて美夜に質問する。
そんな静かな店に、いきなりピシャーンと音を立てて扉が開いて、はあはあと息をつく女の子が駆け込んできた。京介は慌てて顔を上げる。どこから走ってきたのだろう。このあたりは小学校も近くにはなく、駅からもバス停からもかなり遠い。
年の頃はまだ小学校高学年くらいなのだろう、季節も寒いのにサイズの合っていない服を着て、肩で息をしている。ショートカットにした髪の間の耳が赤い。
「い、いらっしゃいませ……」
近所でこんな子は見たことはなかったし、お客さんの中でもいなかったはずだ。
女の子は、しばらく息を整えている。
「美夜さん、いますか」
女の子のアクセントには少し訛りがあった。
ええと……と迷う。この子がまさか〝秘密の仕事”を依頼しにきたわけはないだろうけれど。「アリスの初版、表紙が赤と黒のものを」という符丁のない、すべての来客は断るようにと言われている。
「お願いします。プーや、みんなを助けてください……おねがい……」
ひっくひっくと声を上げ始める。みるみるうちに涙がふくれあがって、わああああんと大声で泣き始めた。勢いよく開けた扉が半開きになっていて、ちょっと近所の目もあるので、「うん、わかったから。わかったから泣かないで。美夜さん、すぐ呼んでくるからね」と女の子をなだめた。
泣いている女の子に椅子をすすめて、今日のおやつにするはずだった、手作りの生キャラメルを差し出してみる。「食べてて。呼んでくるから」
おずおずと生キャラメルを口に入れた女の子は、甘みにちょっとだけ気持ちが落ち着いたようだった。
机の陰でボタンを三度押して、地下の工房にいる美夜を呼んだ。
扉の外に気配がしたので、そっと扉を開けて身体を滑り込ませる。後ろ手で扉を閉めた。
「美夜さん、あの、お客さんなんですけど様子が変なんです。ひどく泣いちゃって。お知り合いですか。まだ小学生くらいの女の子なんですが。美夜さんの名前を知っていました」
小声で言う京介に、美夜はちょっと首をかしげる。
「わたしの名前を出して訪ねてくるような子供はいないはず。とにかく出てみます」
美夜は、店に出ると「こんにちは」と声をかける。その戸惑ったような間から見ても、この子とは、直接、面識はないらしい。
女の子は、涙の跡を残したまま、すがるような目で美夜を見つめた。
「わたし、石光葵です。あの、父は、石光浩一です」
「ええ……」
名前を聞いても、美夜の方ではぴんとこないらしい。
「“なかよし熊パーク”、ってわかりますか。もう三年も前に閉園しちゃったんですけど」
そこでようやく、美夜の中で何かがつながったらしい。
「あ。熊の動物園ですよね」と言い、東北の某県を口にした。
「そうです、そう。そこ、お父さんがやってて。山の奥で」
ということは、この子はここまでひとり、「ひまわり堂」を探し当てて、やって来たことになる。片道何時間くらいになるのだろう。大冒険には違いない。
この子がどうやってひとりでここにたどり着いたのか。ここまでの道のりと、「助けて」という言葉を思うと、今からの話の内容はかなり深刻なものに違いなかった。京介は、ジュースを用意しながら、心配げに葵を見つめる。
葵は、つっかえつっかえ話し始めた。
――なかよし熊パークは、熊を集めた動物園です。サファリバスから餌をやったりできるし、お父さんは熊をとても大事にしていて、一頭一頭が家族だっていつも言ってました。わたしも餌をやったり、掃除したり、パークのお手伝いをしていました。
でも、お父さんは、癌で……だから、パークも閉園して。
そこで、葵は声を詰まらせた。
「亡くなっちゃったんです。二年前でした」
重い沈黙が降りる。
「お母さんもお金をなんとかしようと、パークを施設ごと売ることにしました。でも、なかなか買い手が付かなくて、熊たちはたくさん食べるし数も多いから、お世話も大変で……引き取り手を探したりもしたんですが、どこも熊は困るって」
京介は、熊を思い浮かべる。熊の種類はわからないとしても、熊と言えば、一頭だけでも、犬とは比べものにならないくらい、餌を食べそうな体格をしている。まさか安売りのドッグフードばかり食べさせるわけにもいかないだろう。となると生肉とか? 一番安そうな鶏むね肉でも、いくらくらいするだろうと、京介は頭の中で計算を試みる。
「えーと。いま、熊は何匹……何頭? くらいいるのかな」
京介が聞いてみる。
「今、残っているのは九頭です」
ええっ、と驚く。一頭でも毎日かなり食べるだろうし、鶏むね肉に限ったとしても、破産しそうだ。しかも閉園しているから、収入もないとなると。
「お母さんも、パートをかけもちして頑張っていたんだけど、倒れちゃいました。入院したり、退院したりのくりかえしです。全部貯金もなくなって、もうだめだってときに、ある人が現れて、困っているなら、熊ごとパークを買い取ってあげるって」
葵はうつむいている。
良い話じゃないか。どうしてそれが駄目なんだろう。
「最初は良かったね、もうこれで大丈夫だねって、母も喜んでいました。だから、プーにも、もう大丈夫だからねって伝えに、わたし、パークにいる熊たちにこっそり会いに行ったんです。プーの好きなリンゴも持って」
葵が、ぎゅっと目をつぶった。
――プーはわたしをちゃんと覚えていました。プーは小熊のときからわたしと一緒だったんです。ずっと一緒だったから、幼なじみと同じようなものです。おじぎも忘れていなくて、ちゃんと、餌をもらう前にぺこりって。他のみんなも元気でほっとしました。餌もたくさんもらっているみたいで、みんな毛もつやつやしているし、うちが管理してたときより、ずっと生き生きしていて。ほんとうによかったなあって思っていました。
そのとき足音が聞こえて。どうしようかなって思いましたが、わたし、勝手に合鍵で入ってるし、叱られちゃうかなって。だから掃除道具入れに隠れたんです。そうしたら、男の人たちの声がして。〝なかなか状態が良い。楽しめそうだ”って喜んでいるから、ああ、熊たちのために、あたらしくパークを開いてくれるんだろうって、ほっとしていました。でもそうじゃなかった。
そのまま黙り込む。
「大人たちは、どの弾で撃つか、どの銃を使うか、楽しそうに話し合っていました。わたしにもようやくわかりました。熊たちをゲームみたいに撃って殺す遊びのために、ここを買い取ったのだと」
ゲームみたいに、熊を殺して遊ぶ……京介はその話を聞いて、どこかのセレブが、自分で撃ちとった大きな雄ライオンの死体に足をかけ、誇らしげに写真を撮り、SNS上で大炎上した記事を思い出していた。
「パーティーは来週の金曜の夜です。サファリバスに乗って、みんな自慢の銃を持って、熊を撃ち殺して回る遊びをするんだそうです。熊たちは、昔、サファリバスからお客さんにいっぱい餌をもらったり、お客さんが手を振っていたこともきっと覚えていると思います。みんな、人間が好きです。それなのに、みんなもプーも殺されちゃう。あの子はとても優しい子なのに。大事なわたしの友達です。そんなことのために売ったんじゃない、そんなひどい遊びのためにパークを手放したんじゃない!」
葵がまた泣き始める。
「お父さんは、死ぬ前に、〝ひまわり堂のお姉さんがきっと助けてくれる”って」
美夜の表情は変わらない。
「お父さまは確かにそう言いましたか」
「ええ。ちゃんと言ったから。わたし、だからここまでの道を調べたんです。お母さんにも心配かけたくなくて、誰にも言えなくて。こんなこと、知ったらよけいに体調が悪くなる。パークの経営が傾き始めてからは、親戚の誰ともつきあいがないので、頼れる人はいません。お願いします。頼めるのはお姉さんしかいないの。どうか熊たちを助けてください。お願いします!」
頭を下げる。
しばらく黙っていた美夜だったが。静かに口を開いた。
「ごめんなさい。そうなってしまえば……他人に権利が移ってしまえば、わたしにできることはありません」
「でも!」
言いながら、葵は、鞄から、ビニールにたくさん入った小銭を出してきた。
「お願いします! お金は少しだったらあります。もうちょっとしたら、わたしも新聞配達のアルバイトができるから、だからお金はそれまで待ってください。お願いお姉さん、プーとみんなを助けて!」
動物園の熊たちに迫る魔の手。はたして、美夜の下した決断とは。
他にも脱出困難な地下迷宮、開錠困難な金庫を相手に、京介と美夜は銃片手に挑んでいく。そして、単行本書き下ろしの最終話「ハロウィンの青い花」も収録。
二丁目のガンスミスの謎が、ついに紐解かれる。
京介と美夜に訪れる、衝撃のクライマックスを見逃すな。
銃器監修:櫻井朋成
イラスト:SAA
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