2026/01/27
ウェブリーフォズベリー オートマティックリボルバー【動画あり】

今から125年前、大口径の“セミオートマティックリボルバー”が市販されていた。ここでいうセミオートとは、発射のリコイルでアッパーフレームが後退し、これによって、シリンダーの回転とハンマーのコッキングを完結させ、シングルアクションのトリガープルで6連射ができる、という機構を指している。その製造数は約4,500挺で、いまではコレクター垂涎のレアモデルだ。そんなウェブリーフォスベリ―オートマティックリボルバーを実射をも含めて紹介したい。
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セミオートリボルバー
今や少数派となってしまったリボルバーだが、日本語で回転式拳銃と呼ばれるように、ハンマーをコックすることでシリンダーを回転させる“シングルアクション”と、長いトラベルのトリガーを引く力でハンマーを後退させつつ、シリンダーを回転させる“ダブルアクション”の2方式に大別することができる。ただ、シングルアクションは1発毎にハンマーをコックする必要があるし、ダブルアクションは長くて重いトリガープル引き切った後に撃発するので、どちらもその射撃にはそれなりの練度が必要となってくる。
この回転式シリンダーを備えた連発銃の起源は古く、16世紀後半にはマッチロックやフリントロックのリボルバーがごくわずか存在していた。これを確実に普及させたのは、1836年にかのサミュエル・コルトが特許を取得したシングルアクションメカニズムであった。
1800年代半ばには一世を風靡した感のあったコルトの6連発パーカッションリボルバーだったが、同時期に発展改良が進んだ金属薬莢弾薬が実用化されると、手間のかかるパーカッション方式は徐々に時代遅れになっていく。コルトは特許の関係上、後装式金属薬莢リボルバー製造は1871年まで待つ必要があったが、1873年には満を持してModel 1873(Single Action Army:SAA)をリリースする。このSAAは基本的にUSアーミー向けの軍用リボルバー(1973-1892)として開発製造されたが、"コルト45”、“ピースメーカー”、“イコライザー”などのニックネームを与えられ、一般市民だけでなく、ランチャー(カウボーイ等牧場で作業する人々)、ローマン(保安官やシェリフ)、そしてクリミナル(犯罪者全般)の間に広く浸透していった。
19世紀も後半になると、ヨーロッパを中心にダブルアクションリボルバーが台頭してくる。シングルアクションと比べると、重くて長いトリガープルになってしまうが、毎回ハンマーを指などでコックしなくても連射でき、さらに後年にはスイングアクト方式のような、ソリッドフレームでありながら、素早い装填排莢を可能にしたダブルアクションリボルバーが主流となっていくのだ。
口径: .455 Webley(11.55×19mmR)
全長: 265mm(10.4インチ)
銃身長:6インチ
重量: 1.2㎏(2.5lbs)
装弾数:6発
作動方式:リコイルオペレーション回転シリンダー方式
撃発方式:シングルアクション
ここで触れておきたいのが、イギリスの“Webley & Scott”だ。同社は1790年、William Davies(ウィリアム・デーヴィース)により英国バーミンガムでブレット鋳造器のメーカーとして創業した。1834年に創業者の義理の息子であるPhilip Webley(フィリップ・ウェブリー)により銃器製造を開始、1845年にP. Webley & Sonの社名を掲げ、 1853年にハンドメイドのパーカッションリボルバー、Longspur(ロングスパー)を発売した。
イギリス初のダブルアクション、パーカッションリボルバーといえば、1851年にロバート・アダムス(Robert Adams)によってデザインされた“Deane-Adams Revolver”が有名だが、1856年になるとより洗練された.442口径の“Beaumont-Adams Revolver”がイギリス軍に採用される。
このアダムスリボルバーは1868年まではそのままのパーカッションリボルバーとして、その後1880年まではブリーチローダー(コルトSAAのような後装式金属薬莢デザイン)に改装されて継続使用された。
ウェブリーのリボルバー製造事業は当初、アダムスリボルバーに太刀打ちできる状態ではなかったが、1878年、Webley Bulldogリボルバーを発売するあたりから、人気を博すようになった。そして1885年にリリースした“Webley Government”に始まるトップブレイクモデルは、その高品質/高精度により、イギリスのミリタリーオフィサーやターゲットシューターの注目を集めた。
そして1887年になると、当時の軍用拳銃であった.422口径と.475口径のEnfield Mk I&MkIIリボルバーの機能に満足していなかったイギリス軍は、ウェブリーのトップブレイクリボルバーをWebley Mk Iとして採用することを決める。
1897年にP. Webley & SonsはW&C Scottと合併、Webley & Scott Revolver and Arms Company Ltd.となる。いわゆる“ウェブリー&スコット”の誕生だ。
.455口径のウェブリーリボルバーはイギリスのサービスピストルとして改良されながら使い続けられた。しかし、ウェブリー&スコットと軍との蜜月関係も、第一次大戦終結後に終焉を迎える。
1923年にイギリス軍は.38口径の新型リボルバーへの変更を計画、ウェブリー&スコットに開発を依頼しながらも、その製造はエンフィールド造兵廠でおこなうこととした。これにより、軍との関係は急速に冷え込み、1920年のイギリスのガンコントロールの厳格化もあって、ウェブリー&スコットの業績は悪化、これにより同社はエアガン(空気銃)の製造にシフトしていく。
1915年~1923年の間、ウェブリー&スコットによって製造された最終モデル。1921~1926年の間はエンフィールド兵器廠でも生産された。その後、イギリスはエンフィールド造兵廠にウェブリーリボルバーを小型化させたような.38口径リボルバーを作らせ、これを軍用エンフィールドNo.2 Mk.1として採用した。しかし、軍に納入済だったウェブリーMk VIも軍用リボルバーとして1947年まで併用され続けた。
さて時代は少々前後するが、19世紀も終わり頃になると、ヨーロッパでは“セミオートピストル旋風”が吹き荒れる。ボーチャード C93を筆頭として、マウザー C96ブルームハンドル、ジョン・ブラウニングが開発したFNモデル1900、さらにはドイツでゲオルグ・ルガーがボーチャードC93を発展させて作り上げたDWMモデル1900等、銃器史上重要な位置を占めるセミオートピストルの開発ラッシュが展開されていた。
ここに登場するのが若かりし頃からイギリス軍に在籍し、晩年は兵器デザイナーとして活躍したGeorge Fosbery(ジョージ・フォズベリ―:1832-1907)だ。彼は1860年代に銃器の破裂弾頭を開発している。1863年にはイギリス領インドとアフガニスタンの国境地帯での紛争で優れた戦績を挙げ、“ビクトリアクロス(勲章)を授けられた。
銃器デザイナーとしても頭角を現し、その後も1880年代までにイギリス陸軍のためにブリーチローディング、トラップドアシステムの単発ライフルの開発に尽力したり、スライドアクションライフルをデザインするなど、数々の業績を残している。


