2025/10/12
MGC 45 AUTO COMBAT CUSTOM【ビンテージモデルガンコレクション22】

Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals 2014年1月号に掲載
MGCから当時の最先端だったガバメントベースのコンバットカスタムが発売されたのは1978年のことだ。これまでの銃とは全く違うそのカッコよさは多くの人を魅了し、カスタムガバメントの時代がここから始まっている。


右:コンバットカスタムも初期のものは紙火薬仕様だった。コンバットカスタムが発売される頃にはガスプールのあるCV型になっていた。
諸元
メーカー:MGC
名称:45オート コンバットカスタム
主材質:ABS樹脂
撃発機構:シングルアクション ハンマー/センターのちにサイドファイアー
作動方式:デトネーター方式ブローバック
使用火薬:平玉紙火薬(後にキャップ火薬)
カートリッジ:プラスチック製インナーロッドタイプ(後に真ちゅう製)
全長:215mm
重量:約532g(実測値)
口径:.45
装弾数:7発
発売年:1978(昭和53)年
発売当時価格:角トリッガー¥19,500、丸トリッガー¥15,000(各ガンケース付き)
オプション:カートリッジ20発セット(インナーは7発分)¥450
※ smG規格(1977年)以前の模擬銃器(金属製モデルガン)は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2025年現在)
※ 1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアー, イエロー等を吹きつけるなどの処置が必要です。
※ 全長や重量のデータはメーカー発表によるもので、実測値ではではありません。また価格は発売当時のものです。
モデルガン業界は1971年の第一次モデルガン法規制のあと、それ以上の法規制を受けないように「日本モデルガン製造協同組合」を1974年に設立し、安全対策や法規制反対運動で協力していくことにした。その結果、各社は製品開発でお互いライバルとして切磋琢磨しながらも、それまでの対立関係を改めていくことになった。
しかしその甲斐もなく、1977年12月1日に第二次モデルガン法規制が施行された。金属モデルガンは銃身をフレームと一体で作らなければならなくなり、材質にも制限が加わったため、実質的にスチールや真ちゅうのモデルガンは作れなくなってしまった。以後のモデルガンの主流はプラスチック製というのがほぼ確定的となったのだ。
そこでWAは1978年にMGCと技術提携すると、MGCからベースとなるプラスチックガバメントを供給してもらい、それを加工して最先端のコンバットカスタムを作りたいと申し出た。これに対してMGCはそれを了承する代わり、MGCが6ヵ月だけ先行してコンバットカスタムを発売するという条件を出した。
この時、WAは国本圭一社長のホーグカスタムをベースとした本格的なフルハウスカスタムの高級路線、MGCは同じカスタムでも価格を抑えたオリジナルの普及路線で行くことが決まったらしい。
設計を手掛けた小林太三さんは、アメリカの銃器雑誌からコンバットカスタムの資料を集め、低価格に抑えるため、モデルガンのカスタムとして作りやすい仕様を決めていったという。
どうやらベースとなったモデルは、コンバットカスタムの元祖とも言われるパックマイヤーのコンバットスペシャルだったようだ。
最大の目玉はパックマイヤーのラップアラウンドタイプのラバーグリップ。MGCのプラスチックガバメント(プラガバ)は、当時の輸出の関係で実銃マガジンが使えないようにするためフレームのグリップ部分が4mmほど短かった。実銃用のパックマイヤーグリップは装着できない。仮に装着できたとしても実銃用では価格が一気に跳ね上がってしまうのでNGだった。
そこで、グリップの金型を起こし新規で製作することにした。これはオプションとして単品で発売することも考慮しての話だ。何挺売れるかわからないカスタムのためだけに大きな冒険はできない。
実物のパックマイヤーグリップは2タイプあった。マガジンベースの出っ張り部分をカバーする小さなフィンガーレストのようなものが付いたものと、その部分がカットされマガジンベースが露出するものとだ。小林さんはフィンガーレストのようなものが付いた方を選んだ。
最初の10〜20挺くらいのリアサイトはプラスチック製44マグナムのものを切り取って載せていたらしい。フロントは不明だが、リボルバーからの流用ではなくプラ板を切削加工したもののようだ。しかしあっという間に売りきれ、増産することになったため、リア、フロントとも新規に金型を起こしたと言う。
コマンダータイプのリングハンマーとアンビデクストラスセイフティは新たに作らなければならず、切削加工で作ると大変高価になってしまうことから、ロストワックスによるスチール製とされた。ただしこれも初期のみで、大変良く売れたため途中から金型を起こし亜鉛合金で量産されたという。
これらを見分けるには磁石を近づけてみるといい。ピタッとくっつく物がスチール製の初期もので、くっつかなければ亜鉛合金の量産品だ。
グリップセイフティは本来ビーバーテイルにすべきだったが、予算オーバーとなってしまうので、ノーマルのリングハンマーが当たる部分をフライスで削るだけとした。しかし、これだけでもずいぶんとカスタムらしい印象を与えたのだから不思議なもの。真似してヤスリで削っても、シロートにはなかなかエッジがきれいに出せなかった。
フレーム、マガジン、バレル、エジェクターなどにはニッケルめっきが施された。当時プラガバ ブローバックのブラックが7,500円で、ニッケルめっきのオールシルバーモデルが10,000円だったから、それだけで高級感があった。
刻印は、最初の少数だけがミリタリータイプのままだった。後にこれは、実銃でときどきカスタムに使われていた第二次世界大戦前に作られたナショナルマッチのスライドにあったパターンの機械彫刻に変更された。
しかし、それも増産が決定するとコストダウンのため、シリーズ'70になる前の市販型ガバメントのパターンのホットスタンプになってしまう。
トリガーガードにはノーマルのままの「丸トリッガー」と「角トリッガー」(MGCでの名称)があり、角トリガーはWAと同様、ヒートガンで設定温度まで熱してから専用のプレス型に入れて成型していたそうだ。ただ手間がかかって高くなることから、低価格とするためノーマルの丸トリガー・タイプも作られた。
メインスプリングハウジングもノーマルのまま。WAはこれを切削加工でストレートに削り、セレイションを刻んだ。MGCでは翌1979年になって金型を起こし、ストレートのハウジングを作った。これが同年に発売されたナショナルマッチカスタムにも使われたという。ただし、この辺の記憶は小林さんも曖昧で、ひょっとするとナショナルマッチが発売されたからそのハウジングを使ったのかもしれないそうだ。ボクの想像では、ナショナルマッチも最初はカスタムとして作られたので、ナショナルマッチの発売を見越してハウジングの方が先に作られたのではないかと思う。
細かな仕様は製造ロットごとに変わっていったらしい。だから微妙な違いのたくさんのバリエーションがある。カスタムなのだから当然といえば当然だが。
こうしてMGCのコンバットカスタムが発売されると、ノーマルガバの2〜2.6倍ほどという、学生にも頑張ればどうにか買える価格だったので、大ヒットとなった。
そして手作りカスタムで始まったコンバットカスタムは、ほとんど大量生産となってしまう。小林さんの記憶では1万挺ほども作ったのではないかという。
WAにはプラガバ本体のほか、当初はカスタムのリングハンマーとアンビセイフティも供給されたらしい。しかしでき上がったカスタムは全く印象の違うものになった。WAのものは金銭的な余裕のある大人に受けた。まさに両社の狙い通りだった。
多くの人がMGCのコンバットカスタムを見て、安直に自分も作れるのではないかと思い、真似をして自作カスタムを作った。たいていはハイパトか44マグナム4インチのフレームだけを買ってフロントサイトとリア・サイトを切り出して接着し、ロウソクの炎でトリガーガードをあぶって角材で伸ばし角トリガーにしようとして失敗した。
なかにはちゃんと作れる人もいて、にわかカスタムガンスミスとなって、さまざまなスタイルのコンバットカスタムを作った。実用上、逆効果なのではないかと思うようなものもたくさんあったが、それがまた楽しかった。どうせ弾が出ないのだから、デザインも思いっきり自由に遊ぶことができた。
第一次カスタムブームはこうしてMGCのコンバットカスタムによって始まったのだった。その意味でも忘れられない名銃である。
Text & Photos by くろがね ゆう
協力:タニオ・コバ 小林太三
撮影協力:樹神誠一
Gun Professionals 2014年1月号に掲載
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