2023/10/25
CZ75の国、チェコ共和国のゲーム文化に触れる【チェコゲームの世界Ⅱ】
チェコの独特なゲーム文化を知る
中欧の国、チェコといえば皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
アームズマガジンの読者の皆さんなら、まず思い浮かぶのは恐らくCZ75をはじめとしたCZの銃器あたりだろうか。ほかにも自動車メーカーのシュコダなど優れた工業技術を持ち、ビールやワインが美味しいことでも有名。そして首都プラハは芸術の街としても知られており、豊かな文化が育まれてきた国なのである。
今回はチェコセンター東京で開催された「チェコゲームの世界Ⅱ Innovative Indies」をレポート。その中で紹介されていたチェコのゲーム文化についてご紹介しよう。
チェコのゲームの歴史
いわゆるコンピューターゲームが日本で開発されたのは今から50年前の1973年と言われている。セガのビデオゲーム『ポントロン』とタイトーのビデオゲーム『エレポン』が、モニターを使用する初のコンピューターゲームとして登場。ここから1978年に登場したインベーダーゲームがブームを巻き起こし、1983年には任天堂からコンシューマーゲームのハード「ファミリーコンピュータ」が登場し一大ヒット商品へと成長。メガヒットとなる作品やハードも続々と生まれ、着々とコンピューターゲーム文化が培われてきた。
では、チェコのコンピューターゲーム文化はどうなのかというと、本格的な開発が始まったのは、実は1990年代からなのだ。
それは第二次世界大戦後、チェコ(正確には分離独立前のチェコスロバキア)が旧ソ連を中心とする東側陣営に組み込まれ、1989年までは共産党独裁の社会主義国だったからである。共産政権下において国民生活は様々な制限を強いられ、コンピューターについては政府が選出した企業や国有企業などに支給されるのみで、個人所有などは望むべくもなかった。それゆえコンピューターは一般的なものではなく、当然国際的なゲーム市場からも孤立。しかし、そんな中でもアンダーグラウンドで8ビットパソコンによるテキストアドベンチャーゲームが生まれており、コンピューターゲーム文化の萌芽とも呼べるものはあった。
そんなチェコスロバキアが民主化したのは、1989年11月のこと。いわゆる「鉄のカーテン」が消滅し、民主化の波とともに西側の文化が流入。チェコスロバキアにおいてもコンピューターやゲームといったITに対する関心が高まっていった。とはいえ、当時から世界各国に進出していたセガや任天堂といったゲームメーカーの海外部門は、チェコスロバキア国内では充分な知名度がなく、同国のコンピューターゲーム文化はPCによって開花したのである。
戦争をテーマにしたゲーム
2000年代に突入すると、初期の大手ゲーム制作会社であるIllusion SoftworksとBohemia Interactiveが発展。第二次世界大戦をテーマにした3Dアクションゲーム『Hidden & Dangerous』(1999年)、『Operation Flashpoint』(2001年)、『Vietcong』(2003年)などが開発され、そのうちの一部は国際的にヒットした。
特にアドベンチャーゲーム『Posel smrti(The Black Mirror)』と戦略ゲーム『Original War』は国際市場で評価され、支持を獲得している。
こうしたヒット作品を手掛けた製作者たちはやがて独自のスタジオを設立し、様々なゲームをリリースし続けている。ゲームにはチェコならではの文化も取り入れられており、それが日本のゲームともまた違った魅力を放っている。今回の展示ではそういったゲームの楽しさを味わうことができた。
チェコゲームの世界
チェコのゲームは日本とは違った文化、歴史、価値観の下で生まれ、育まれてきた。この「チェコゲームの世界Ⅱ Innovative Indies」ではチェコのコンピューターゲーム文化に触れながら、実際にプレイすることもできた。ゲーム好きなら、きっと時間を忘れて楽しむことができるはずだ。
チェコゲームの世界ⅡのHPはこちら
TEXT&PHOTO:珈琲
取材協力:チェコセンター東京
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