2025/04/30
MGC HIGHWAY PATROLMAN .41 HEAVY DUTY MAGNUM【ビンテージモデルガンコレクション 4】
Vintage Model-gun Collection -No.4-
MGC
HIGHWAY PATROLMAN
.41 HEAVY DUTY MAGNUM
(1972年)
Text & Photos by くろがね ゆう
Gun Professionals Vol.4 (2012年7月号)に掲載
モデルガン第1次法規制の直後、プラスチック・モデルガンのリボルバー第1号として発売されたMGCのハイウエイ・パトロールマンはスタ管が使える迫力のファイアリングを「売り」に、一般市場と同時に映画・TV業界にも強力に売り込みが掛けられた戦略的商品だった。そしてそれは見事にハマり、驚異の大ヒットを飛ばした伝説のモデルガンとなった。



諸元
メーカー:MGC
名称:ハイウエイ・パトロールマン.41 ヘビーデューティ・マグナム
主材質:耐衝撃性ABS樹脂
撃発機構:シングル/ダブル・アクション
発火機構:シリンダー内前撃針
カートリッジ:ソリッド(のちにインナー・ロッド方式)
使用火薬:平玉紙火薬1~3粒(のちに7mmキャップ火薬)
全長:22cm
重量:700g
装弾数:6発
発売年:1972年(昭和47年)
発売当時価格:¥3,600-(カートリッジ12発¥400-)
※smG規格合格品以外は売買禁止。違反すると1年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。(2012年現在)
※ 1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)以降に販売されためっきモデルガンであっても、経年変化等によって金色が大幅に取れたものは銀色と判断されて規制の対象となることがあります。その場合はクリアー・イエローを吹きつけるなどの処置が必要です。
※全長や重量のデータはメーカー発表によるもので、実測値ではではありません。また価格は発売当時のものです。
1971年の第一次モデルガン法規制(改正銃刀法)により、金属製模造拳銃(ハンドガン)が銃口を閉塞し色を白または黄色(金色も可)にしなければ所持できなくなってすぐ、起死回生の新機軸として発売されたのがMGCのプラスチック製モデルガンだった。
しかし、プラスチックはプラモデルのイメージが強く、金属製モデルガンに慣れた当時のファンには簡単には受け入れてもらえなかった。
それを充分に承知していたMGCは、プラスチックになった代わりに、ファンを強く惹きつける魅力を盛り込むことにした。
1つがオートマチックのブローバック。いままで7,000〜10,000円もしていた金属ハンドガンのブローバックを、一気に半額近い価格まで引き下げるものだった。これにより、一部の人しか買えなかったブローバックが、中学生くらいでもせっせとお小遣いを貯めれば買えないことはないところまで身近になった。しかも、銃口が開き発火ガスが抜けるため燃えカスが溜まりにくく、プラスチックの本体は錆びることはなかった。手入れが簡単で、まさにブローバック入門者にも最適のモデルガンだった。
もう1つが、リボルバーの派手なファイアリング。銃口が閉鎖されていると、発火ガスが抜けないのはもちろん、そのガスが逆流し今まで汚れなかった部分までが汚れる。使用できる火薬量にも自ずと制限が出て、従来のような遊びができなくなった。昔は、ストレス解消とか映画の主人公になったつもりで、気軽に発火させて遊ぶことができた。それで通報されて警察沙汰になるなんてこともなかった。発火はモデルガンの重要な魅力の1つだった。



まずMGCはSIG SP47/8でブローバックの面白さをアピールした。そして、半年ほどでリボルバーも投入した。それがハイウエイ・パトロールマン41だ。地方などでは発売順の逆転が起こり、SP47/8より先にハイパトが店頭に並ぶということもあったようだ。お店によっては、ノウハウが必要で手入れも面倒なブローバック・モデルの仕入れをためらったということもあったのかもしれない。
当時、MGCには「地方売価」というものがあった。ボクは田舎に住んでいたから、この点に関してはとても不満だった。東京では限定カスタムをはじめ、何だってすぐに買えるのに、地方は量産品さえまともに入ってこず、しかも地方売価で東京より300円ほど高かった。ガン・ショーなどのイベントも地方ではほとんど行われない。情報も遅れて入ってくる。そんな時代。
今回「いちコレクター」さんから本体と一緒にチラシもお借りした。裏面には「ファイアリング・ピース」と呼ばれていたインナー・ロッドを使ったカートリッジが掲載され6発700円で、本体は値下げで定価が3,500円とある。その右下にちょっと小さく地方売価3,800円と表記されている。これで思い出した。地方はいつも損をしていたなあと。
そこで、設計された小林太三さんにその辺のことを伺ってみると「当時は輸送運賃が高くて、一度にまとまった数を送らなければならず、しかも輸送専用に厳重に梱包しないと荷崩れを起こすこともあり、その分、余計な経費がかかったため地方売価を設定していた」ということだった。そうか、今は小さなパッケージでも1個から取りに来てくれて、全国どこでも1〜2日ほどで届いてしまうが、当時はそんなに便利じゃなかった。


さて、以前にも書いたように、MGCのハイパトは.41マグナムのM57と.357マグナムのハイウエイ・パトロールマンM28の特徴を合わせて作られた架空のモデルだ。しかしどちらもNフレームを使う銃であり、多くの人があまり違和感を感じなかった。模型的な正確さや考証などはそれほど重視されていなかった。いかに遊べるか、それが大事だった。
小林さんによれば、先行した最初のプラスチック・モデルガンSP47/8から得た製造上のノウハウを生かし、プラスチックの特徴である「ヒケ」をどれだけ少なくするかと、迫力のファィアリングという観点からハイパトの仕様は決まったという。
つまり、派手なファイアリングのためには、当時まだ一部で入手可能だった運動会のスタート・ピストルに使うスタート用雷管(スタ管)が使える.44-40のカートリッジを使うこと。そして、ヒケができないようにプラスチックが均一な厚さにできるような形状の銃であること。これが条件だった。
そのころ映画「ダーティハリー」が公開されたばかり(日本公開1972年2月)で、.44マグナムはまだポピュラーではなかった。専門誌では、むしろ.41マグナムの方が撃ちやすいなどという記事も書かれていた。
そして、M28ならNフレームに.357マグナムのシリンダーを取り付けているためシリンダーが短かった。短ければ作りやすい。ヒケも出にくい。
同様の理由で、銃身長は実銃では4インチからとなっているが、作りやすさとファイアリングの点からあえて3.5インチという架空の長さにされた。



こうしてM28とM57の特徴を合わせ持った短銃身モデルが生まれることになった。
グリップの底には図面が完成し金型に着手できるようになった日、「開発完了日」(小林さん談)が刻まれている。「072910」すなわち1972年9月10日だ。(SP47/8は07238だが、実際にはハイパトの設計が先行していたという)
しかしこのハイパト、実在するベースのモデルがあるとは言え、ほとんど知られていない。しかも海のものとも山のものともわからないプラスチック製だ。そこで、小林さんは一計を案じ、映画・TVで使ってもらうキャンペーンを展開することにした。映画やTVで銃器の特殊効果を担当する人たちに、ハイパトを無料で配りまくったのだそうだ。そしてスタ管が使えるから派手なファィアリングで画面映りも良く、規制対象外品だから黒くてもかまわないと説明したという。
当時、映画・TV業界でも第一次モデルガン法規制の影響で、金属製ハンドガンのモデルガンはもちろん、金属製の電着銃(プロップ・ガン)さえもがなくなり困っていた。やがてプラスチックの電着銃も作られるのだが、とにかく規制対象外の長物だけではドラマを成立させるのは難しい。先行したSP47/8はブローバックだったため、ある程度モデルガンの知識がないと使えなかったし、派手なマズルフラッシュが出るわけではないので、画面での見栄えが良くなかった。
その結果、小林さんの狙いどおり、ハイパトは一気に映画・TV業界に広まって行った。一時期など、敵も味方もハイパトで、クライマックスにはハイパトで撃ち合いをするという状態にまでなった。




当時モデルガン・ファンの間で評判になっていたTVドラマ「ワイルド7」
(1972年10月〜1973年3月)も、途中からハンドガンはハイパトが主流となっていった。そしてMGCハイパトの広告に八百を演じた手塚しげおさんが登場したりした。
このプロモーションの成功により、一気にハイパト人気は高まった。発火ガスが銃口から抜ける、掃除が楽、黒くてリアルな外観……それが当時のファンを魅了した。
初期の箱はふた身かぶせ式の紙箱で、身の方に発泡スチロールの中箱を入れたもの。それだけでも豪華だったが、さらに厚紙を使い合紙した貼り箱という高級な仕様だった。おそらく、プラスチックゆえにチープと見られがちだったイメージを覆したかったのだろう。そして、実際、非常に良く売れたのでそこまでやることができたのだという。これは後に安価な仕様のものへと変わって行く。
パッケージのデザインは小林さん。青と赤の2色刷りながら普通のカラー印刷のように見える。ポリス・バッチのような図形、その真ん中にあるS&WのようなMGCのロゴもすべて小林さんが考案して描き起こした。いかにMGCが、そして小林さんがこのハイパトに懸けていたかが良くわかる。






後にカートリッジがインナー・ロッド式になってから、ハイパト専用のカートリッジ・ボックスも作られた。これは小林さんによると、記憶があやふやだが、ラフ・スケッチを描いて渡しMGCの外国部で作ってもらったように記憶しているとのこと。当時、外国部は国内通販のほか、取説やパッケージなども手掛けていた。
このプラスチック・モデルガンが失敗し売れなかったら、モデルガンは本当に死んでしまっていたかもしれない。今の、黒くて重くて金属のような質感さえも持つヘヴィー・ウェイト樹脂なんて出てこなかったかもしれない。
ハイパトはやがて.44マグナムの4インチと世代交代し姿を消してしまうが、大きな役目を果たした偉大なモデルガンだった。
●Vintage Model-gunとは
本コーナーにおけるヴィンテージ・モデルガンは、原則的に発売されてから20年以上経過した物を対象としています。つまり現時点で1992年以前に発売されたモデルガンということになります。
Gun Professionals Vol.4 (2012年7月号)に掲載
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