2019/11/11
猿島/ゲルショッカーの想ひ出/平居寝
お天気も宜しい初夏のある日。
東京湾横須賀沖の無人島・猿島に現実逃避^^;;;。
猿島は,横須賀新港からおよそ1.7km,連絡船に乗って15分ほどで着く、周囲約1.6kmの南北に長い。東京湾に浮かぶ唯一の自然島。
現在は年間8万人もの人が訪れるレジャー島ですが、かつては城ヶ島や三つの海堡、千葉県の沿岸と共に「東京湾要塞」を構成。
安水七年(1778)、国後島にロシア船が来航して以来、続々と姿をあらわす外国船に対し、江戸幕府は海防砲台の築造を計画、いわゆる「お台場」の建設が開始。
時代が明治へ変わっても東京湾防備の重要性と海防要塞の必要性に変化はなく、明治13年(1880)には陸軍工兵第一方面により、東京湾への敵艦艇の侵入を阻止するための海防要塞「東京湾要塞」の建設が決定。
猿島砲台はこの要塞の一角として、明治14年(1881)から建築が開始。
ところが、日清・日露戦争を通じて幸いにも東京湾が敵の政撃を受ける機会はなく、戦法の主流が海から空へと急激に変化した事もあって、しばらくは軍事拠点としての猿島は放置状態。
そして関東大震災で砲台が大きな被害を被った後、陸軍は砲台の放棄を決定。大正14年(1925)に海車へ移管。
海軍所轄となった猿島は昭和に入り横須賀軍港を守る防空砲台へと役割を変更。
その後太平洋戦争の激化とともに戦雲が本土に迫り再び防衛施設となるも、戦後、
進駐軍によって解体破壊。
明治時代から太平洋戦争が終わるまで一般人の立ち入りが禁止されて、戦後も長い間国有地であったため開発からから取り残され、豊かな自然とともに明治期の巨大な構築物がしっかりと残る事に。
連絡線(フェリー)を降りてレストハウスを通り過ぎ、坂道を登りはじめるとすぐ左手に煙突のある建物が。
これは明治時代に造られた発電所小屋。 蒸気タービンによる発電所として明治28(1985)年に完成。ここでつくられた電気は建物の裏から切り通しを伝って島の中央部高台にある照明所へ送られていたとの事。現在は海の家・売店・管理事務所用の自家発電機が据えつけられ現役の建物として使用中。
その先の斜面を登っていくと程なく、島の中央の地山を削った塹壕のような切通し通路が。
切り通しの脇の地山をくり抜いて壁をレンガで捲き立て,弾薬庫と兵舎が交互に並ぶ地下構造物。
明治初期の本格的フランス積みレンガ構造物できちんとした形で残っているのは富岡製糸工場・長崎造船所小菅ドック・米海軍横須賀基地倉庫などしかなく,歴史上価値の高い遺構。
レンガ積みの壁面には青々とした苔がデコレーションを施し、頭上を覆う木々が作る木陰と相まって異世界感を醸し出す。最近は某アニメ映画に登場する風景に似ていると訪れる人も多いとか。
切通しをまっすぐ進んだ先には、レンガ造りのトンネル。現存するフランス式レンガ積みのトンネルとしては日本最大級のものとの事。
トンネルの中にも横穴が穿たれ,その奥に大きな地下空間が設けられている。弾薬保管庫や司令部・兵舎として使われた模様。
トンネル内部に並ぶ横穴には地上へ抜けて監視所へ通じる階段も。
トンネルを抜けてさらに進むと、忽然と現れる高角砲座(飛行機を狙う大砲)の跡。
太平洋戦争の激化とともに戦雲が本土に迫り再び防衛施設として使われることになった猿島には、昭和16(1941)年ごろより鉄筋コンクリート製の円形砲座が5座造られ高射砲を配備。高射砲は終戦まで米軍機に向かって火を吹き続けたという。
島内各所の砲座跡も、半ば草木に埋もれ、
あるいは老朽化からか立ち入りが禁止状態な物も。
トンネルや砲座跡を過ぎ、島で一番高所にある広場に出ると、現れるのはある世代の者には印象的な建物。
戦争中は監視所として利用されていた此の建物こそ、変身ヒーロー番組『仮面ライダー』第80話「ゲルショッカー出現!仮面ライダー最後の日!!」にて、仮面ライダーの前に忽然と登場した新組織・ゲルショッカーの結成式が執り行われた場所。筆者が以前に訪れたのは朝日ソノラマ刊行時代の『宇宙船』ライター時で、15年以上も前。建物の周囲には木々が建物を取り囲むように生い茂り、建物自体も立ち入り禁止状態。突然に込み上げてきた根拠のない達成感と隔世感に、正に滄桑之変也。(尚、この場所自体は平成作品『仮面ライダー剣』にも登場)
島内には他にも、大きな男のコの冒険心をくすぐる風景があちこちに垣間見える。
都心から、ちょっと遠出するぐらいの気分と時間でどっぷりと異世界感に浸れる
猿島。世界侵略の野望が芽生えるかどうかはともかく、様々な想いが積み重なって
結実した歴史の「形」が此処には在る。
無人島ではやっぱりビールとカレーでしょ? 御馳走様でした。
【プロフィール】
平居寝
混沌の新時代を冥府魔道・天魔伏滅で乗り越えようと自己暗示をかける毎日。日々是好日。