2026/01/03
ちょっとヘンな銃器たち 24 シュワルツローゼ モデル1901 パーフェクト

トグルアクションを採用したピストルは、ボーチャードピストルとその改良型であるルガーピストルが有名だ。しかし、ほぼ同時期、異なるメカニズムではあるもののトグルアクションを採用したピストルをシュワルツローゼが開発していた。
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レシーバー先端のバレル装着基部にシリアルナンバー20とドイツのプルーフ刻印が打刻されている。
一期一会
このシリーズに登場するような歴史的な銃砲との出会いはまさに一期一会、偶然によるものか、神の采配によるものとしか思えないものが多い。特に今回取り上げたシュワルツローゼ1901パーフェクトとリポーターとの出会いは、その典型だった。
今から40年余りも以前、リポーターは写真家の神保君と一緒にスペインの銃砲産業の中心地だったエイバー(Eibar:スペイン語、バスク語での発音は“エイバル”が近い)を訪問した。
Web Editor補足:1982年のことだったと思われます。
訪問の目的は当時スペインのピストルメーカー、Bonifacio Echeverria, S.A.(ボニファシオ・エチェベリア:別名スター)が開発した大型ダブルアクション セミオートマチックピストル スター モデル28の取材だった。
このピストルは当時まだ輸出がおこなわれておらず、直接スペインのボニファシオ・エチェベリアを訪問することにした。
この取材の際、ドイツのニュールンベルグで開催されるIWAアウトドアクラシックスで何回も言葉を交わし、リポーターが世界中の銃砲を調べていることを理解してくれていた輸出担当者が、ボニファシオ・エチェベリアが本来外来者には見せることのないファクトリーコレクションを保有していることを明かしてくれた。そしてリポーター達にそのファクトリーコレクションが収納されている社内の武器庫への立ち入りを許してくれた。
そこはまさに銃砲研究者には宝物殿だった。ボニファシオ・エチェベリアが最初に製作したブラウニング ベストポケットピストルのコピーから始まる同社の製品サンプルが揃っていたのはもちろん、多くのライバルメーカーの製品も含まれていたのだ。その数は、限られたそのときの取材日程ではとても見学しきれる量ではなかった。
そのことを担当者に伝えると、彼は、それでは改めてファクトリーコレクションの調査のために後日、改めて来れば良いだろうと言うのだ。そして、その際にはコレクションの写真撮影を許可してくれるという、願ってもない提案であった。
神保君と共にボニファシオ・エチェベリアを再び訪れたりポーターの目的は、ボニファシオ・エチェベリアが過去に製造した歴代のピストルをすべて撮影することだった。
リポーターの目標のひとつは、まだ誰も解明していなかったスペイン製ピストルの歴史を確定し、その歴史とメーカーを解明することだった。かつてスペインのエイバー(エイバル)は、その近辺のいくつかの都市と共に、ベルギーのリエージュやドイツのズール、イタリアのガルドーネと並ぶ銃器生産の中心地であり、一時期100社を優に越す銃器メーカーが独自に生産していたため、その種類は莫大だ。リポーターはその頃に立てた目標のゴールに、いまだ達していない。
当時若かったリポーター達は、大きな目標を立てていたものの、経済的な事情で、雑誌記事以外の研究記録用写真の撮影はカラーポジフィルムによる撮影ではなく、モノクロフィルムの撮影がやっとだった(旧Gun誌のカラー化は1977年のことだ)。当時カラーポジフィルムは、フィルム自体の価格が高く、加えて撮影後の現像費用が最大の悩みだった。それに比べるとモノクロフィルムは自分で現像ができ、コスト的には大幅なセーブができる。これは現代のデジタルフォト時代では考えられない悩みだ。
ほとんどのスペインの銃砲メーカーが消滅したため、今でこそスペイン製のピストルがガンコレクターに見直されている。だが、当時スペイン製ピストルは価格の安いB級品と考えられ、多くの人々にとってコレクションの対象とはなり得なかった。そんなB級品の撮影にとても多額の費用を掛けて個人の写真アーカイブを整備することは無理だった。
話が横道に逸れてしまったので本筋に戻そう。
この2度目のボニファシオ・エチェベリア(スター)のファクトリーコレクション取材の目的は言うまでもなく、ボニファシオ・エチェベリアで製作されたピストルとサブマシンガンの撮影が最優先だった。しかし、撮影を始めると、研究用に集められた他社製品の中にも気になるピストルがいくつもあった。ボニファシオ・エチェベリア製のピストルやサブマシンガンを優先的に撮影していったが、その数量は多く、しかもこのこの保管庫は撮影し難い構造であったため、撮影にまるまる1週間が掛かってしまった。
その間、他社製品の中でも特に気になるごく一部の銃器も無理に時間を割いて撮影した。今回取り上げたシュワルツローゼ1901パーフェクトはその中の1挺だった。
正直に話すと、このピストルを最初に見た時点で、リポーターはこのピストルの正体を知らなかった。また、このピストルがどれほど珍しいピストルであるかに対しても無知だった。
大昔の話ではあっても、それまでにリポーターは、相当多数のピストルを見てきており、資料や写真から近代ピストルの多くを把握しているつもりだった。しかし、このピストルに関しては、過去に見聞きした記憶がなく、それゆえ相当にレアなものでもあることは理解できた。このことがこの銃を撮影した最大の理由であった。
その後、このピストルに関するいくつかの資料に巡り合うなかで、このピストルが本当に珍しい製品であることを理解していった。
そうなると人間は欲が出る。再度スペインのエイバー(エイバル)を訪問し、ボニファシオ・エチェベリアのファクトリーコレクションを改めて撮影する計画を立てた。もちろん今度はカラー撮影だ。だが、旧Gun誌の取材、その他で様々なメーカーやコレクターを取材して記事を執筆していくことに時間をとられ、来年、来年と先送りしている内に、ボニファシオ・エチェベリアは経営的に行き詰り、倒産解体してしまった。
会社解体後、少なくとも一部のボニファシオ・エチェベリアのファクトリーコレクションがエイバーのアルメリア(銃砲博物館)に引き取られたことは把握していたものの、コレクションの引き取り先の全貌は知るすべもなく、あの膨大なコレクションの行方はわからなくなってしまった。
もっと早くに再取材していれば、このピストルのディテール撮影や分解もおこなって、完全なリポートにできたはずだ。思い立ったら即実行する事の大切さを痛感させられる出来事だった。
ボニファシオ・エチェベリアのファクトリーコレクションでリポーターが出会ったピストルの正体は、シュワルツローゼ パーフェクトと名づけられたピストルだった。銃砲研究者のほとんどは、このピストルをシュワルツローゼ モデル1901と呼ぶ。しかし、リポーターはこのピストルが開発された当時、各国の軍でおこなわれたピストルトライアル対し、シュワルツローゼ自身がこのピストルサンプルを送付した時の資料の中で、この銃を“Perfekt”と呼んでいたことを確認している。
シュワルツローゼ モデル1901と呼ばれる理由は、このピストルが1901年にパテントを取得しているためだ。一方、パーフェクトと名づけられた理由については後にくわしく解説する。いずれにせよ、今回このリポートのタイトルにはこの二つの名前を併記した。
ピストル自体の説明に入る前に、このピストルを開発したシュワルツローゼという人物について解説したい。
開発者アンドレアス・シュワルツローゼ
アンドレアス・ビィルヘルム・シュワルツローゼ(Andreas Wilhelm Schwarzlose)は、1867年にドイツのザクセン州ブスト(Wust)の農夫の息子として誕生した。銃砲開発製造者の多くが家業として受け継ぐことが普通だった当時のドイツでは珍しい出生だ。
成長し、軍に徴兵されたシュワルツローゼは、砲兵隊で軍務に就くことになった。彼が機械に興味を持ち、理解力も優れていることに注目した上官は、彼を砲兵部隊の兵器係に任命する。この軍隊での経験と教育が、後の銃砲開発者へのスタートとなった。
軍隊で兵器技術の教育と実地訓練を受けたシュワルツローゼは、軍隊を除隊後ドイツの銃砲産業の中心地だったズール(Suhl)に移り住む。ここでいくつかの銃砲生産工房で働き、さらなる小火器に対する経験を積んだ。
この間にシュワルツローゼはBüchsenmachermeister(ブッヒゼンマッカーマイスター:銃器職人)の資格を取得し、1897年にベルリンで自身の銃砲製作工房A.W. Schwarzlose GmbH(A.W.シュワルツローゼ有限責任会社)を開き、他の工房のための銃砲部品の製作や民間向けの銃砲の生産をおこなった。
この工房の設立前後に、シュワルツローゼは銃砲の生産だけでなく、新型銃砲の発明の没頭している。
19世紀末から20世紀初頭は中央ヨーロッパで多くの銃器設計者がオートマチック銃器の開発にしのぎを削った時期でもあった。パウル・マウザー、フェルディナンド・マンリッヒャー、ゲオルグ・ルガーなど名だたる設計者が、より安全で、故障し難く、使用し易い自動装填式銃器の開発をおこなった。
シュワルツロ-ゼも例外ではなく、このオートマチック小火器の開発レースに参加した。彼は、オートマチックライフル、マシンガン、そしてオートマチックピストルのすべての小火器分野に挑戦し、多くの国々でパテントを取得している。
シュワルツロ-ゼは多くの種類のオートマチック小火器の設計をおこなったことだけでなく、各分野の小火器の発明で、異なる作動原理の自動装填メカニズムを組み込んで完成させている点は注目すべきポイントだろう。
たとえばセミオートマチックピストルの場合、製品化されたスタンダード(M1898)ピストルの場合、ショートリコイル、ターンボルトロックが組み込まれており、今回取り上げたパーフェクト(M1901)ピストルではバレル固定式で、トグルリンクを組み込んだディレイドブローバック作動形式が組み込まれている。その後民間向けに設計生産されたモデル1907ピストルはブローフォワード(銃身前進式)の作動メカニズムで設計された。このように作動原理の大きく異なるオートマチック銃砲を次々と開発しているのだ。
開発したひとつのメカニズムに集中し、それを改良していくのではなく、次々と異なる作動メカニズムを発案し提示することは、まさに天才的な才能だといえるだろう。
だが、シュワルツローゼピストルは、どれも他の有名な銃器設計者の開発したピストルに比べて生産量が少なく、現在では忘れ去られた存在だ。それは、彼の工場の規模がそれほど大きくなく、ほかの有名な銃器設計者の製品を製造したマウザーやDWM、オストライヒッシャー・バッフェンファブリク(シュタイヤー)などの生産工場に比べ、生産数が限定されていたこともその一因とされている。
しかし、シュワルツローゼの開発したマシンガンSchwarzlose Maschinengewehr Model 1907(シュワルツロ-ゼ マシンガンM.7)は1907年にオーストリア・ハンガリー帝国軍に選定・採用された。これがシュワルツローゼにとって最大の成功作だ。
シュワルツローゼはその製造権を売却し、量産はオーストリアのÖsterreichische Waffenfabriks-Gesellschaft(ŒWG:オストライヒッシャー・バッフェンファブリク・ゲゼルシャフト:通称シュタイヤー)とハンガリーのFÉG (Fegyver- és Gépgyár:フェジェベール エスゲプジャール)でおこなわれた。この銃とそのバリエーションは大量産されて多くの中央ヨーロッパ諸国で長期に亘って使用されている。
しかし、第一次世界大戦でドイツが敗北した以降、A.W. シュワルツローゼGmbHは閉鎖された。これ以降、シュワルツローゼによる目立った銃器開発はほとんどおこなわれなくなり、1938年に他界した。それでもシュワルツローゼがかつて開発したマシンガンは、ドイツに併合されたオーストリア軍やチェコスロバキア軍、そしてハンガリー軍やルーマニア軍などの多くの軍隊で使用され、その名を後世に遺している。
シュワルツローゼ パーフェクト
口径:7.63mm×25
全長:223mm
銃身長:140mm
重量:1,000g
(実測値)


