2025/08/03
【NEW】真夜中のガンロッカー469 ペイント
銃に塗料で色を付けることは、結構盛んに行なわれている。セラコートだって、セラミックベースの塗料コーティングだ。耐久性も非常に高い。そんな最先端技術でなくても、銃へのペイントはこれまでいろいろ行なわれてきた。トイガンに対しても同様だ。
ギャップ
つい先日、何気なく原稿に古いモデルガンのカタログの価格を「〒共100円」と書いたところ、若いスタッフから「これはどういう意味ですか?」と尋ねられた。「送料とも100円という意味ですか?」
いやあ、恥ずかしかった。1960年代の雑誌広告にあったのをそのまま書いたのだが、〒共はいまや若者には通じない死語だった。
当時、通信販売(通販)と言えば、メインとなるのは雑誌広告やカタログ。ネットどころかパソコンもなく、TVショッピングさえなかった。TVショッピングは1971年にフジテレビが行ったのが最初だそうで、広まったのは1980年代に入ってからだという。
通販で商品を送る手段は、大きなものは運送会社に頼むものの、小さなものは郵便で、ちょっと大きなものでも郵便小包として送るのが一般的だった。ヤマト運輸が宅配便を始めたのは1976年のことだ。
それで、モデルガンなど購入したものは、ほとんどが郵便局から送られたので、郵送料という意味で郵便マーク「〒」(作られたのは何と1887年!)を使い、送料=郵送料=〒となった。〒200なら送料200円だ。それが込みという意味で〒共という言葉が記号化し、通販で頻繁に使われるようになった。
だから、おそらくオヤジ世代以上で通販を使ったことがある人は、当たり前のように〒共という言葉というか記号を知っている。半ば常識。それが、いまは郵送だけでなく、宅配便もあるし、通販業者自身が持つ自前の配送システムもあるから、一概に言えなくなってしまっている。このギャップ! 当たり前のように〒共を使ってしまうボクは、もはや滅び行く世代、ダイナソーだ。
そんなダイナソー仲間には、死語を使うだけでなく、頑固者が多いという傾向もある。その1人のオヤジが言うことには、鉄砲とは黒いものだ、と。最近のフラットダークアースなどのカラーモデルは銃に見えないという。黒い銃もガンブルーで染め直して、深い色艶を出してなんぼだろうと。
軍用のパーカライジングはどうにかOKで、めっきのシルバーはボーダーライン、ゴールドは金持ちのオモチャと断言して憚らない(ステンレスのシルバーは?とは聞けなかった)。1971年の第一次モデルガン法規制は、彼にとってとてつもなく大きな痛手だったらしい。趣味をやめることも考えたそうだが、黒いプラスチックモデルガンの登場で、どうにか思いとどまった。
そんな彼の話から思い出したのが、いつから銃、というよりはモデルガンに、色を塗るようになったのかということ。あやふやな記憶を掘り返してみることにした。

赤
ボクは1971年の第一次モデルガン法規制の頃からモデルガンにハマったので、金属ハンドガンが黒かった時代はちょっとしか知らない。気が付いたら、いつの間にかハンドガンの黒い肌が金粉塗装に変わっていたという感じだ。
その頃、モデルガン全体の色を変えるどころか、一部にであっても色を差すようなことは、ほとんど行われていなかったと思う。何より、身近な塗料であったプラ模型に使うプラカラーが、金属には付きにくかった。金属モデルはオイルを使うことが多く、それが原因で塗料がはじかれていたのかもしれないが、とにかくなじまないと思われた。
当時すでにシルバーめっきモデルはあったが、それこそ銃と言えば黒がそのイメージ。ではどこに色を使っていたかといえば、ごく一部、セイフティ、サイト、もしくは刻印だ。
実銃の写真を見ると、手動セイフティがオフで撃てる状態であることを示すFの文字や、丸い凹みに赤い色が入れられていることが多かった。現代のオートマチックハンドガンなどは手動セイフティ自体がないことが多く、この赤色表示を見ることは少なくなったが、それでもベレッタのモデル92シリーズや、H&KのUSPにはある。
そこで、オリジナル状態の銃を撮影したと思われる床井雅美さんの書籍でこの赤色を追ってみると、ヨーロッパのオートマチックは、だいたい1920年代末から1930年代初め頃に入れられるようになったらしい。ワルサーは1921年に登場したモデル9にはなく、次の1929年に登場したPPにはある。ベレッタではモデル1923になく、モデル1931にはある。
リボルバー王国だったアメリカは遅く、1911オートにはなく、第二次世界大戦後になってから一部のメーカーが入れ始めた。S&Wの場合はどうやら第3世代オート、モデルナンバーが4桁化してからのようだ。ルガーはPシリーズのP85が登場した1985年頃かららしい。
モデルガンの場合、金属時代は、この赤色表示が省略されることが多く、こだわり派はどうにか工夫してプラカラーなどで色を差しはじめた。凹んでいる部分なら、プラカラーでも色が取れにくかった。
黒に赤は良いアクセントで、リアルでもあり、カッコも良かった。
そこへ法規制で金色一色になると、赤などの色入れが目立たなくなり、めっき時代に突入するとさらに塗料の付きも悪くなって、ほとんどの人がやらなくなってしまった。
そんな1972年、MGCからプラスチックモデルガンが発売された。再び黒い肌が戻ってきたうえに、当然ながらプラカラーとのなじみも良かった。
プラスチック第1号リボルバーのハイウエイパトロールマン.41(ハイパト)は黒一色。ただフロントサイトは自分で赤を差せるように、レッドインサートの部分が一段低くなっていたので、多くの人がここにプラカラーを塗った。そしてそれが1つのブームになった。中にはリアサイトに上向きのコの字型の白いラインを描き入れる猛者もいた。
裏をとる時間が取れなかったが、実銃ではS&Wがランプサイトにレッドインサートを入れ始めたのは、1952年のことらしい。この年のカタログから載っているという。レッドランプフロントサイトを考案したのは元従業員のノーマン・E・ブランチャード(Norman E. Blanchard)という人だというが、これも裏は取れていない。
それ以前にも1938年頃、.357レジスタードマグナムのターゲットタイプで、フロントのパトリッジサイトに真ちゅうのビーズのほかに赤いチップが付いたものもあったようなのだが。

白
そしてこのフロントサイトの赤差しと共に流行ったのが、刻印に白を入れること。S&Wやコルトなどのメーカー名やモデル名がくっきりと浮かび上がる。シルバーめっきのモデルでは、白ではなく黒を入れる人が多かった思う。
実はこれ、黒い金属モデルの時代から、一部でやっている人はいた。しかしプラスチック時代になって、誰もがやりやすくなったので広がっていったようだ。見た目にメリハリが付き、なかなかカッコいい。もちろんボクも何挺かやった。
最初はプラカラーを使っていたが、誰かがデルマが良いと教えてくれた。デルマとはデルマトグラフまたはダーマトグラフと呼ばれる特殊な色鉛筆のことで、普通では書くことのできないつるつるのガラスやフィルムの上に直接書くことができるのだ。これの白色を刻印に擦り付けるようにすると、溝の中に白色が入っていく。シンナーを使わないから臭くないし手軽。しかもはみ出したところはディッシュで拭えば簡単に取り去ることができた。さらに、やめたくなったら水拭きもしくは液体洗剤で消すこともできた。
しかし刻印=文字に色を入れるのは一時の流行りで、徐々に誰もやらなくなっていった。というのも、文字の色入れは確かに実銃の写真で良く見ることがあった。しかし、それはカタログや広告の写真、もしくは洋書の記事中の写真が多く、しかも古いものが多い。旧Gun誌などの日本の専門誌がオリジナルで撮影した写真を載せるようになり、さらにカラー化(1977年)すると、アメリカの警察官が実際に持っているものや、一般の銃器愛好家やシューターが持っている銃の刻印には特に色が入っていないことがわかってきたのだ。
どうも、モノクロ写真が多かった時代、そして印刷技術もあまり高くなかった時代、黒いところに刻んだ文字は写真に写りにくく、写っていても読み取りにくかった。そこで刻印に白色を入れて文字を際立たせ読みやすくした。そのために、あえてそういう写真を撮っていたらしいのだ。手元にある1974年のコルト社の2色刷りカタログでも、全写真がモノクロで、長物とニューフロンティアシングルアクションアーミー以外はすべて文字に白が入れられている。
そんな記事やカタログ写真の影響を受けて、多くのファンが実銃の刻印には白色が入っていると思い込んでも不思議はなかった。手間がかるからモデルガンでは省略しているのだろうと。
実態を知って徐々にやらなくなったということだろう。ボクも相当カッコイイと思い込んでいたのに‥‥。

緑
この次にペイントに挑んだのは、ハドソンのスチールプレス製初代M3A1グリースガン。1973年に発売されたが、ボクが購入したのはたぶん1976年ころだったと思う。そろそろ次の法規制があるのではないかと囁かれ始めていた。禁止される前に手に入れておいたほうが良いということで、無理して買ったような記憶がある。
M3A1は、最初の3,000挺はガンブルー仕上げだったそうだが、その後、防錆効果の高いパーカライジングに変更された。おそらく量産モデルで全体をパーカライジングした最初のモデルガンだったと言われている。ガンガン撃って遊んでもらうための仕様変更だったのだろうが、本体のブローバックがあまり快調とは言えなかった。しかも、意外と錆が浮きやすかった。試射を繰り返すうちに錆が出た。一度錆が出ると、ちゃんとクリーニングして塗油していても、すぐに錆が浮くようになった。作動はとにかく、M3好きのボクとしては、何としてもこれ以上の劣化は避けたかった。
そこで思いついたのが、全体をプラカラーのスプレーでペイントしてしまうこと。普通にプラカラーをスプレーしてもすぐに剥げてしまうことはわかっていたので、先輩から聞いていた焼付塗装にチャレンジすることにした。当時は、金属でも塗料の食いつきをよくするというプライマーや、耐久性を向上させるトップコート(クリア塗装)というものの存在をまったく知らなかった。
車などでは、焼付専用塗料を使い、赤外線ランプなどを使って加熱乾燥するらしいが、そんなものがないボクは、ヘアドライヤーでやってみることにした。何ひとつ本格的なものがないのだから、ダメ元でいいではないかと。
分解して洗剤に浸け油分を取り、軽くサンドペーパーで錆も取り、塗装後、手で持てなくなるくらいまでヘアドライヤーで加熱したところ、明らかに普通の塗装よりは丈夫な塗膜になった。ちょっと擦れたくらいなら剥がれない。ボクはできるだけ触らないようにして、押し入れの奥に仕舞った。
使った色は、最初OD(オリーブドラブ)にしようと思っていたのだが、あまりに茶色っぽく、当時の専門誌に載っていた不鮮明なM3のカラー写真ではパーカライジングが少し緑がかって見えたことから、日本海軍機色の暗緑色にしたような気がする。緑が強かったが、意外とイイ感じに仕上がり、満足したのを覚えている。でも、今ならセラコートに出すかなあ。

柄
アメリカ軍が、砂漠戦用にフラットダークアース(ツヤ消しの暗い黄色系の色、FDE)を採用したのは1977年で、これが銃にも使われるようになるのが1990年の湾岸戦争かららしい。
もちろん実銃は単純な塗装ではないが、トイガンファン的にはプラカラーでも再現できるので、真似する人も出始める。そして徐々に銃は黒という概念が変わっていったようだ。
銃全体を塗装してしまう全塗装で興味深かったのは、コンバットマガジン創刊時に見本として作られた表紙案のメインビジュアルに使われていた女性モデルが後ろ手で持っていたスナビー(たぶんローマン2インチ)。確か全体がアメリカの国旗(星条旗)柄にペイントされていたのだ。
衝撃だった。こういうのもありか。数年前にも実銃のグロックで星条旗柄にペイントされたものを見たが、1980年頃に、日本人によって発想され、作られていたのがスゴイと思う。
考えてみれば、星条旗柄というのは映画『イージー・ライダー』(1969)の中でチョッパーバイクにまたがった主人公(ピーター・フォンダ)が星条旗柄のジェットヘルを被っていて、大人気になったことがある。バイク好きの先輩が白いジェットヘルを買ってきて、自分でマスキングしてスプレー塗装で自作していたっけ。ひょっとすると、コンバットマガジンの表紙を担当した人(アートディレクター?)も「イージー・ライダー」のファンだったのかも。
結局コンバットマガジンの表紙は別のものになり、柄塗装の銃が流行ることもなかったと思うが、その次に柄塗装が話題になったのは、たぶん映画『ザ・シューター/極大射程』(2007)が公開されてから。主人公のスワガー(マーク・ウォールバーグ)が敵と戦うため、レミントン700にスプレーで迷彩塗装を施すシーンがある。これがいかにもプロっぽく、カッコいい! 木の枝などを置いて色を重ね、瞬く間に(映画だから)みごとな迷彩に仕上げるのだが、その後専門誌などでちょっとした特集が組まれるなどして、スプレーで手軽に迷彩塗装する技が紹介されたりもした。
こういった迷彩というか全塗装の技術で、最近知ったのが、水圧転写というもの。ざっくりいうと、立体物に高精細な写真や図案を印刷する技術だ。これを使えば、銃の表面全体に複雑なデジタル迷彩とか、ヒョウ柄とか、ニシキヘビ柄とか、やろうと思えば誰かの顔写真だって印刷できる。しかもトップコートで保護することで、耐久性もあるらしい。トイガンにもやってくれるところがあるそうなので、興味のある人はぜひネット検索してみることをお薦めする。

Photo by Hisayoshi Tamai
印
銃に関わるペイントはこれくらいだろうと思っていたら、まだあった。しかもそれはとても小さなペイントで、最新機器に行なうとてもオールドスクールというかアナクロなもので、思わず笑ってしまったと同時に、こういうこともあるかと膝を打ってしまうものだった。
それは、本誌リポーターのYasunari Akitaさんがハンドガン用のオープンタイプのダットサイトの解説の中で触れられていたもの。ウィットネスマークだ。
ダットサイトを銃に固定する際に使うねじは、実弾の発射によって生じる強い反動というか衝撃によって緩むことがあるらしい。最悪はねじが外れて落下、紛失することになってしまう。トイガンファンにはピンときにくい話ではあるが、実銃ではよくある話らしい。
そこで、緩んだことがひと目でわかるよう、ねじの頭とその周辺に白などの塗料で印を付けておく。それをウィットネスマークと呼ぶというのだ。ハイテク機器にアナクロな方法だが、確かに有効だ。
トイガンで真似するなら、白のプラカラーを使って、面相筆などの細い筆で描いても良いし、面倒だったら爪楊枝でもOKだし、極細の白のペイントマーカーを使っても良いだろう。充分、雰囲気は味わえるし、本当にねじが緩んだらわかるから役にも立つ。ただ頻繁に取り外す人(1つのダットサイトを使い回すとか)には煩わしいだけで、やらない方がいいということもある。
ちなみに黒ボディのダットサイトなら白がいいが、FDEのボディだったら赤とかの方が見やすいかもしれない。

Photo by Hisayoshi Tamai
これで思い出したのが、昔の戦車の車輪のペイント。1970年代、タミヤのプラモデル、1/35のM41ウォーカーブルドッグ戦車を買ったら、組立説明図に「ホイールのボルトは黄色で塗ります(これはゆるみ止めの為でしょう)」という説明があったのだ。この部分に関して、ボクはアメリカ軍の写真でこのようにしたM41を見た記憶はないものの、自衛隊に供与されたM41で実際に黄色が塗られているのを基地祭やパレードの時、自分の目で見たような記憶がある。たぶん夢じゃない、はず。
模型の専門誌でも「緩み止めと、万が一ナットが外れて脱落しても見つけやすい」などと解説されていたような気がする。当時は、ダンプカーやトラックなどの働く車のホイールのナットも、締め付けてから黄色く塗装されていたのではなかっただろうか。
今そんなことをしている戦車は見かけない。車体と同じ色だ。トラックはどうだろう。最近は意識して見ていないのでわからないが、樹脂製のホイールナットインジケーターというものを1つ1つのナットに取り付けるという話を聞いたことがあるような……。
ペイントのことを振り返ってみたら、意外と面白く、楽しんでいたことに気が付いた。あらためてトイガンにいろんな色付けをやってみてはいかがだろうか。
Text &Photos by くろがね ゆう
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