2025/03/28
SIG MCX J.P. Sauer & Sohn/SIG SAUER 波瀾に満ちたその軌跡
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ドイツ軍用ライフル選定に際し、SIG SAUERはMCXを提出したが、自国製であるという条件に合致せず、トライアルから撤退している。このMCXについてその細部を解説すると共に、ザウアーの名を冠したメーカーが辿ってきた軌跡を振り返る。
今回リポートするSIG MCXは、軍用向けバージョンで、Gun Pro誌2025年2月号でリポートしたHK433と共に、ドイツ軍の次期制式ライフルトライアルに提出されたものと同型だ。
HK433のリポートでも説明したが、ドイツ軍の次期制式ライフルトライアルでは、提出されるライフルを構成する部品の大半が”ドイツ国内で製作したものに限る”、という付帯条件が付けられた。そのため構成部品の大部分をアメリカで製作したこのSIG MCXは、トライアルに参加したものの、付帯条件に適合していないことを理由に、トライアルの初期段階で離脱を表明し、実際の評価を受けることは無かった。
今回SIG SAUER MCXについて解説する前に、このアサルトライフルを製造しているSIG SAUERと、同社のドイツにあった拠点を構成していたJ.P. Sauer & Sohnという会社の歴史を詳しく解説しておきたい。
というのも、現存するドイツ最古の銃砲メーカーとされているJ.P.ザウアー&ゾーンが、いかにしてSIG SAUERとなっていったのか、またその現状についてが語られることは、これまでほとんど無かったからだ、なので、一度しっかりとにこの会社の歴史を説明しておく必要を感じた。
またSIG SAUERの製品は本誌でもよく採り上げられているが、本誌では触れたことがない事実もある。そのようなわけで、この歴史解説はかなり長く、今回の記事の半分以上を占めることになるが、どうかお付き合い願いたい。
J.P. Sauer & Sohnの歴史
J.P.ザウアーウントゾーンは、ドイツで公式記録が残っている銃砲製造会社の中で、創始者の名前がつけられて現在も活動を継続している最古のメーカーとされている。いわゆる老舗中の老舗というわけだ。
半分イメージ製品ともされる銃砲は、メーカーのブランド名が売り上げに大きく影響する。そのことは読者の皆さんもよく理解しておられることだろう。長い歴史を持つザウアーという名前は、ブランドとして銃砲産業界で大きな価値を持つことになった。そのことが、この会社の複雑な歴史を生むことに繋がっている。
ザウアーというブランドネームを求める資本提供者は後を絶たず、この会社は何度も提携や統合離散を繰り返し、その社名を変えてきた。唯一変わらなかったのは、その社名の中にザウアーという名前が入っていることだ。
1751年創業
元々ザウアー一族は南ドイツの銃砲製造拠点だった南ドイツのバイエル州ニュールンベルグ(Bayern Neurnberg)で銃砲鍛冶を家業として営んでいた。18世紀初頭にザウアー一族は、北部中央ドイツの銃砲製造の中心地チューリンゲン(Thuringen)地域のズール(Suhl)に移住し、ここで銃砲制作工房を開き銃砲生産を始めた。
そして1751年、Lorenz Sauer(ロレンツ・ザウアー)は、この工房を会社組織にした。これにより、現在のJ.P.ザウアー&ゾーンの創業は1751年ということになっている。
1774年、ロレンツ・ザウアーは新たなパートナーと協力し、会社名をLorenz Sauer und J. S. Spangenberg. Coop.に変更した。
1811年、同社はドイツ最初の軍用ライフル生産会社となっている。
1815年、Johann Gottlob Sauer(ヨハン・ゴットロブ・ザウアー)が会社を引き継ぎ、その20年後の1835年には息子Johann Paul Sauer(ヨハン・ポール・ザウアー)が会社経営を引き継いだ。
1839年、ヨハンはFerdinand Spangenberg(フェルディナント・シュパンゲンベルク)と協力し、王立ライフル工場の運営をおこなった。その工場はその後にSpangenberg & Sauer(シュパンゲンベルク・ウント・ザウアー)と呼ばれている。
1873年、ヨハンは息子であるRudolf Sauer(ルドルフ・ザウアー)とFranz Sauer(フランス・ザウアー)共にJ.P. Sauer & Sohnを設立した。その社名は“J.P.ザウアーとその息子”を意味する。
創業時には多くの困難に直面したものの、ニュールンベルグ在住当時から王侯貴族向けの高級ハンティング用銃砲の製造を得意としていたこともあり、チューリンゲンを統治していたザクセン候の知遇を得て、高級銃砲メーカーとしての地位を確立した。以来J.P.ザウアー&ゾーン社は高級ハンティング、スポーツ銃砲の生産をおこなう一方、ザクセン向けの軍用ライフルの生産をおこなった。
戦争が起これば軍用ライフルの生産を拡大、平時には民間向けライフルの生産を強化する形でずっと会社経営を続けた。そしてライフルだけでなく、当時軍用制式リボルバーだったモデル1879 ライヒスリボルバー(帝国リボルバー)も生産している。

第一次世界大戦中は当然、軍用のマウザーボルトアクションライフル、ゲベアー98の大量生産にシフトし、スポーツおよび狩猟向け銃砲の生産は縮小された。

第二次世界大戦前と戦中にも数多くの軍用銃砲の製造を手掛けている。1933年ナチ党が政権をとると、J.P.ザウアー&ゾーンは奢侈好みの空軍大臣ヘルマン・ゲーリングのお気に入り銃砲メーカーとなった。彼の率いるドイツ空軍は、1941年にJ.P.ザウアー&ゾーンの製造する水平二連ショットガンにライフルバレルを組み合わせたドリリング(三連銃)を爆撃機のサバイバルガンに選定し、制式兵器として金属製のケースに収納して機内に装備させた。
このドイツ空軍向けのショットガンにはDrilling M30の制式名が与えられたが、一般にLuftwaffe Drilling(ルフトバッフェ ドリリング:ドイツ空軍三連銃)と呼ばれ、現在コレクターの探し求める銃砲の一つとなっている。
また、1930年代末に開発された中型の38Hダブルアクションピストルは、ワルサー社の開発したPPやPPKと共にドイツ空軍やドイツ警察などの指定標準ピストルとなり、多数が調達されて供給された。

忘れてならないのは、第二次世界大戦中にドイツ全軍の制式ライフルであったKar98kの生産において、J.P.ザウアー&ゾーンはマウザーに次ぐ需要な製造拠点であったことだ。第二次世界大戦中にJ.P.ザウアー&ゾーンではじつに14,000,000挺にのぼるKar98kが製造されてドイツ軍に供給された。

戦争末期になると、Kar98kにかわり、アサルトライフルのMP44の生産にシフトさせて軍用銃砲の生産を終戦まで継続した。この期間のJ.P.ザウアー&ゾーンの生産は軍用銃とその部品の製造がほとんどを占め、民間向け銃砲の製造は極めて限定的だったことは言うまでもないだろう。

接収と再興
第二次世界大戦が終了すると、J.P.ザウアー&ゾーンのあったチューリンゲン地方はソビエトの占領地域に組み込まれ、1945年10月に会社とその工場は占領ソビエト政府に一方的に接収されてしまった。もちろん無償だ。また、敗戦当時J.P.ザウアー&ゾーンの社長だったHans Sauer(ハンス・ザウアー)は、ソビエト政府に逮捕され、その後に追放処分を受けたとされている。しかし、ハンス・ザウアーはその後は行方不明となってしまった。
ザウアー一族のRolf Dietrich Sauer(ロルフ・デートリッヒ・ザウアー)は会社を取り戻そうと努めたが、1948年にソビエト占領地区で社会主義政権が成立すると、この無償接収は合法とされてしまった。その後東ドイツ政府はソビエトに対する戦時賠償の一部としてこの工場を再開し、タイプライターが製造されてソビエトに送られた。
会社を失ったロルフ・デートリッヒ・ザウアーは、1948年にアメリカ、イギリス、フランスの占領地域に移住する。彼は最初、ノードラインベストファーレン州のデュッセルドルフに事務所をかまえて同地のラインメタル社のための武器部品の製造などをおこなった。
1951年3月26日ロルフ・ディートリッヒ・ザウアーとハンブルクの実業家Fritz Bohmmüller(フリッツ・ボーミュラー)は戦後復興のために産業誘致をおこなっていた北ドイツのシュレージッヒ・ホルシュタイン(Schleswig-Holstein)州政府の融資を仰ぎ、同州のエッケルンフォルデ(Eckernförde)に新たにJ. P. Sauer & Sohn Aktiengesellschaft (J.P.ザウアー&ゾーン・アクティエンゲゼルシャフト)を創設し、新社屋と新工場を建設した。工場には旧ズールのJ.P.ザウアー&ゾーンの経験豊かな銃砲技術者70名余りが呼び寄せられ、地元の技術者200名余りと共に、主に輸出向けスポーツ向けの銃砲の生産が開始された。
一方、東ドイツのズールに残された旧J.P.ザウアー&ゾーン社では工場の製造機械設備が戦時賠償の一部としてソビエトに搬出されるなど解体が進められた。縮小されたものの、残った銃砲製造施設を使い、Fortuna (フォーチュナ)の社名で輸出向けスポーツ銃砲の生産がおこなわれた。
無償で工場を接収して資産を処分し、社名を変更したにもかかわらず、東ドイツの輸出公社はこのフォーチュナで生産されたスポーツ向け銃砲にザウアーの商標を使用して輸出した。そのため戦後の一時期、西ドイツと東ドイツからザウアーブランドのスポーツ用銃砲が供給されることになったのだが、悪いことにいずれにもMADE IN GERMANY の生産国表示が刻印されていた。
この事態に対し、ロルフ・ディートリッヒ・ザウアーは、東ドイツ・フォーチュナに対してザウアーブランドの使用差し止め裁判を起こす。しかし、この裁判は長期間に及んだ。
東ドイツのスポーツ銃砲製造会社のブランドネーム問題は、J.P.ザウアー&ゾーンだけの問題ではなかった。同様に戦前チューリンゲンのズールに本拠を置いていた有名銃砲製造メーカーのハーネル、ワルサー、ジムソン、メルケルも程度の差はあるものの同様な問題をかかえていた。さらにこのブランド問題を突き詰めると、最終的に西ドイツと東ドイツ両政府の正当性にまで行きついてしまい、単に商法上のブランド侵害の問題に留まらず、政治的問題にまで発展しかねない。
ブランド問題の裁判は長引き、最終的に東ドイツがブランドネームの最後に()でくくり、その中にSULE(ズール)の会社所在地を入れたブランドネームを使用するという妥協案が用いられることになった。すなわち、西ドイツのJ.P.ザウアー&ゾーンがJ.P.ザウアー&ゾーンのブランドネームを使い、東ドイツのフォーチュナはJ.P.ザウアー&ゾーン(ズール)のブランドネームを使用するということだ。同様な問題は、戦後復興の外貨獲得のために両ドイツにとって有力な輸出品だったスコープなどの光学機材やカメラなど、ドイツのあらゆる産業分野で起こっていた。まさに分断国家の悲劇といえよう。
最終的に東ドイツのフォーチュナを含めたスポーツ向け銃砲の製造メーカーは、1968年にVEB Fahrzeug- und Jagdwaffenwerk „Ernst Thälmann“(VEBファーツォイク・ウント・ヤクートバッフェンベルケ„エルンスト・タールマン”:エルンスト・タールマン車両&スポーツ銃砲製造企業連合体)に統合された。
1960年代に入ると西ドイツのエッケルンフォルデで再建されたJ.P.ザウアー&ゾーン社にも目まぐるしい動きが出てくる。
1966年、キール(Kiel)のヴィルヘルム・ポッペ・コンプレッサー(Wilhelm Poppe COMPRESSOR)がJ.P.ザウアー&ゾーンを買収して傘下に収め、さらにその2年後の1968年にヴィルヘルム・ポッペ、ハイドロメカニック・マシーネンバウ、ヴェルトループ・ヴェルケを合併して、J.P. Sauer & Sohn Maschinenbau GmbH (J.P. ザウアー&ゾーン・マシーネンバウ GmbH)となった。但し、この会社の参加企業のほとんどは銃砲製造とは関係のない民生機械製造会社だった。
SIGによる買収
1972年に第二次世界大戦後J.P.ザウアー&ゾーン社の再建に奔走したロルフ・ディートリッヒ・ザウアーが死去する。
1976年、J.P.ザウアー&ゾーン・マシーネンバウ GmbHは、エッケルンフォルデの銃砲製造部門を切り離し、スイスの名門重工業連合体だったSIGに売却した。
銃砲部門を切り離したJ.P.ザウアー&ゾーン・マシーネンバウ GmbHは現在もザウアーコンプレッサーの名前で民生向けの機械の製造をおこなっている。もちろん現在の同社は銃砲産業とはまったく関係がない。
スイスの名門SIGがJ.P.ザウアー&ゾーンを買収したのにはそれなりの理由があった。
ご存じの通りSIG(ドイツ語ではジグと発音する。もともとの正式名はSchweizerische Industrie Gesellschaft:シュバイツィッヒャー・インデュストリー・ゲゼルシャフト:スイス工業会社)は長年にわたってスイス軍の銃砲を生産する会社として知られていた。工場はライン川で唯一の滝があるノイハウゼンにあり、古くは滝の落差を利用する水力、あるいはそれを用いた水力発電を動力とし、同社は銃砲のほか鉄道車両、各種の工場用加工機械、パッケージ機械など多分野で活動をおこなう重工業連合体だ。
1970年代後半、SIGは第二次世界大戦後から長年にわたって生産を続けてスイス軍用P49(SIG P210)の近代化試作を続けていた。SIG P210は、精度良く製造されていて、命中精度が高いことで知られるものの、その製造に手間が掛かり、生産コストが高価なことが欠点だった。そこで、高い命中精度を損なわず、より安価に製造できるピストルの開発が近代化の目標だった。
試作研究の結果、完成されたのがSIG P220だ。このピストルはスイス軍やスイス警察に供給することを目的としていたが、SIGとしては国外輸出にも期待を寄せていた。
スイスはどの軍事同盟にも加盟しない非同盟を国に基本方針としている。そのため海外にスイス製の武器を輸出することに対し、かなり厳しい国内規制が生まれつつあった。これまではそのような規制はなく、自由に輸出できていたのだが、それが困難になろうとしていたわけだ。
この規制を避けて海外にスムースに武器を輸出するために、スイス国外のより武器輸出の規制が少ない国の銃砲メーカーと提携する必要がある。しかし、そこで製造される製品は、スイス製に匹敵する高い工作精度が必要だ。この条件の下で白羽の矢が立てられたのが、ドイツのJ.P.ザウアー&ゾーンだった。
J.P.ザウアー&ゾーンはスポーツ向け高級ライフルの製造実績を持っており、その品質に問題はない。そこでSIGはJ.P.ザウアー&ゾーンの買収を決め、P220ピストルの試作最終段階から情報の共有を図り、ドイツのシュレージッヒ・ホルシュタイン州エッケルンフォルデのJ.P.ザウアー&ゾーンの工場を、主に海外向けの銃器生産拠点とすることにした。スイス軍やスイス警察向けの銃は、従来通りノイハウゼンのSIGで生産する形だ。
この買収交渉が進められていた時期、ドイツ警察ピストルの近代化が検討されており、J.P.ザウアー&ゾーンとしてもSIGに買収されることは今後有利な展開が期待できると考えられ、買収統合はスムースに進んだ。
SIG社に買収されたJ.P.ザウアー&ゾーンは買収後、その社名をSIG Sauer GmbH& Co. KGとしている。


SIG Arms設立
1980年代前半、アメリカ軍用ピストルM1911A1の後継機選定のためのXM9トライアルが実施された。これに対し、SIG SAUERは既存のP220とその発展型P224をベースにアメリカ軍の要求仕様に合致したP226を開発、1984年に提出した。これがトライアルの最終段階に間に合い、高い評価を得ることができた。最終的に採用こそ逃したものの、これがアメリカ市場への本格進出のきっかけを作った。
SIG社は、1985年にアメリカのバージニア州タイソンズ(Virginia,Tysons)にアメリカ法人の子会社SIG Arms Inc. (SIGアームズ)を設立した。その後SIGアームズはバージニア州ハードン(Virginia,Herndon)のより大きな施設に移転、アメリカ市場での需要拡大に応えた。さらに1990年になると、ニューハンプシャー州のエクスター(New Hampshire, Exeter)に移転し、ここに製造工場を備えた。
L&Oホールディング傘下へ
1989年には、東ヨーロッパの社会主義政権が相次いで崩壊し、自由化が始まった。戦後から40年以上続いた冷戦がここで終結、東西対立は当分ないだろうという希望的観測が広がっていく。これにより、軍用銃器の需要が減少した。これは永世中立国であるスイスでも同様で、スイス軍向け軍用銃の生産に大きく依存していたスイスSIGの銃砲生産部門は不採算部門と見做されるようになってしまった。そしてSIGの企業全体のリストラが進められる中で、銃砲生産部門の切り放しと売却が決定される。
スイスSIGの銃砲生産部門買収に手を挙げたのは、マイケル・リューク(Michael Lüke)とトーマス・オルトマイヤー(Thomas Ortmeier)が率いるドイツの投資グループL&Oホールディング(Lüke & Ortmeier Holding Gruppe)だった。L&Oホールディングはドイツで活動する投資会社で、一時期ドイツのマウザー(Mauser)社小火器製造部門、ブレーザー・ヤークート・バッフェン(Blaser Jagdwaffen)、ヘンメリー(Hämmerli)、ドイツの銃砲販売商社ケットナー(Kettner International GmbH)を傘下に収めていた。
2000年10月、SIGは自社の小火器製造部門、ドイツのSIG SAUER、アメリカのSIG ARMSのすべてをL&Oホールディングに売却する。売却条件は明らかにされていないが、SIG本体から切り離されたこれらの銃砲製造会社は、引き続きスイスを代表するナショナルブランドである“SIG”の名を使用する権利が含まれていた。
L&Oホールディングによる買収後、スイスのSIG小火器製造部門はSWISS ARMS AG NEUHAUSENN(スイスアームズAGノイハウゼン:略称SAN)と社名を改めた。これは2019年にSIG SAUER AGに社名を再度変更している。

SIG SAUER Inc.の拡大
またアメリカのSIG ARMSはL&Oホールディングによる買収から7年後の2007年に、その社名をSIG SAUER Inc.に改めた。
L&Oホールディングに買収された以降、ドイツのエッケルンフォルデにあったSIG SAUERは当初予測していたほどの実績が得られない状態が続いた。フランス警察に対するSIG Pro 2022ピストルの大量受注を最後に、ドイツ警察からの受注も低迷、その他の国を含めて、公的機関から大口受注が得られない状態が続いたのだ。一方、アメリカのSIG ARMS(SIG SAUER Inc.)は順調に実績を伸ばしていた。
ドイツのSIG SAUERの経営を立て直すため、当時のCEOのロン・コーエン(Ron Cohen)は、アメリカのSIG ARMSの製造設備を利用して製作した製品を、ヨーロッパ市場にも投入する決断をした。その製品は、アメリカ市場で人気のあったAR系およびM4カービンをガスピストン方式にしたSIG 516だった。このSIG 516が、今回リポートするSIG SAUER MCXの原型でもある。
同じグループ内のスイスのSANが製造するオートマチックライフルSG550シリーズとマーケティング上ではバッティングする製品だったが、これを製品化する決断がグループ全体の経営状況を上向きにする転機となったという。

SIG SAUER GmbH閉鎖
新機種の投入にもよってグループ全体の経営状況は向上したものの、新機種の生産がアメリカでおこなわれていたため、ドイツ・エッケルンフォルデのSIG SAUERの業績向上には直接つながらなかった。そのため、2009年に従業員の約半数となる175名をリストラせざるを得なかった。
買収当初、民需向けのピストルやライフルの生産をエッケルンフォルデのSIG SAUERでおこなう計画だったが、その後も受注は増加せず、経営難が続く。そこで民生用ライフル部門をJ. P. ザウアーとして分離独立させた上で、この部門を南ドイツのバーデン・ブルッテンベルク州南東部にあるアルゴイのイスヌイ(Isny im Allgäu)に移転させ、ここで生産を継続することにした。ここは現在のドイツ銃砲産業が集まっており、狩猟もより盛んな地域だ。この時、伝統のJ. P. ザウアーの名が復活したことになる。
銃砲の最大市場はアメリカで、SIG SAUERもこの市場に大きく依存していた。輸出に煩雑な手続きを必要とする銃砲の場合、現地生産のほうがコスト削減にもつながる。そのためSIG SAUERはMade in Germanyにこだわらず、アメリカでの現地生産拡大に大きく傾いていく。これにはアメリカ軍のM9、およびM4カービンの後継機選定トライアルへの布石でもあった。
アメリカ軍のXM17 MHSコンペティションが本格化する2016年頃になると、アメリカでのSIG SAUER製品の販売実績右肩上がりで上昇し、アメリカ法人の従業員も1,000名を超える規模になっていた。これより前の2014年、L&Oホールディングは重大な決定を下す。アメリカ市場に供給されるピストルのすべてをアメリカ国内で生産するというものだ。
この決定が、これまでアメリカの民間市場に供給するピストルの生産に大きく依存していたエッケルンフォルデにあったドイツSIG SAUER GmbHに対する最後の一撃となった。140名ほどいたエッケフォルデの従業員の多くが退職を余儀なくされ80名ほどになり、1日当たりの生産数は50挺から半分の25挺に減少した。その後もエッケルンフォルデでの製造は継続されていたものの、2020年末に銃砲製造工場が閉鎖された。
その結果、L&Oホールディング社が率いるSIG SAUERグループで、銃砲製造に従事しているのはドイツのバーデン・ブルッテンベルク州アルゴイのイスヌイにあるJ. P.ザウアー、スイス・ノイハウゼンにある旧SANであるSIG SAUER AG、アメリカ・ニューハンプシャー州のエクスターにあるSIG SAUER Inc.に集約された。
バーデン・ブルッテンベルク州のJ. P.ザウアーは、その姉妹会社として旧マウザーの小火器製造部門のMauser Jagdwaffen GmbH(マゥザーヤークートバッフェン:マゥザー狩猟銃)とストレートプル狩猟用ライフルのメーカーのBlaser Jagdwaffen GmbH(ブレーザー・ヤークートバッフェン:ブレーザー狩猟銃)を統合してともにアルゴイのイスヌイで活動している。
不正輸出疑惑
これらの統合や社名変更が行われていく中で、SIG SAUERグループに大きなスキャンダルが発覚した。それは、ドイツ政府やアメリカ政府の正規の最終使用者証明による許可を得ずに、南アメリカのコロンビアに向けてピストルを迂回輸出したという容疑だった。この事件は複雑で、ドイツからアメリカ向けとして輸出されたピストルを、アメリカを迂回させて2012年にコロンビアに輸出したという嫌疑だった。迂回輸出はこの一回だけでなく、コロンビアに向けて数回、他にカザフスタン、イラク、メキシコなどに向けた不正輸出疑惑も浮上した。これらの容疑で、SIG SAUER GmbHの武器輸出に関する手続きが停止され、L&Oホールディングのオーナーのマイケル・リュークとトーマス・オルトマイヤーの自宅が家宅捜査を受けた。また2018年にキールの検察は、SIG SAUERグループと前に名前が出たCEOのロン・コーエンを含み、この事件に関与した5名の会社幹部を刑事告発した。
裁判の結果、ロン・コーエンと他の幹部1名はドイツの輸出法違反の判決が下り、コーエンは18ヵ月の執行猶予付き675,000ドルの罰金刑が科せられ、SIG SAUERには11,000,000ユーロという莫大な罰金が科せられた。
そのようなスキャンダルにもかかわらず、アメリカのSIG SAUER Inc.は順調だ。アメリカ ニューハンプシャー州で開発されたP320は、2017年1月19日にアメリカ軍制式ピストルM17, M18として採用されている。また2022年4月にはアメリカ陸軍とSIG SAUERとの間で、NGSW次世代歩兵ライフルXM7と分隊支援火器XM250、及びこれらの銃で使用する6.8mm×51ハイブリット弾薬の納入契約が結ばれた。
またSIG SAUERは、2022年7月に一般市場、ならびに法執行機関向け製品の市場調査や、法執行機関の隊員の訓練施設としてSIG Experience Center (SIGエクスペリエンスセンター)をニューハンプシャー州エッピングに開設している。
2018年1月に販売を開始したSIG SAUERのサブコンパクトピストルP365は、爆発的な人気を得て、バリエーションを拡大していき、2020年には早くもトータル生産数1,000,000挺を突破した。
以上が駆け足で見たJ.P.ザウアー&ゾーンとSIG SAUERの歴史だ。かなり複雑な歴史を辿って現在に至っていることがお判りいただけたと思う。
銃自体に興味があり、製造メーカーが辿ってきた歴史など興味がないという読者にとっては、迷惑なことかもしれないが、SIG SAUERというメーカーの歩んできた道を知ることは、その銃を理解する上で決して無駄ではないと思っている。そのようなわけで、どうかご容赦いただきたい。
ここからやっと、SIG SAUER MCXについての解説に入りたい。