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▲これは1942年シュタイヤー製MP40/Iです。モデルガンの完成型サンプルはまだないので、実銃の写真をここに配置しました(GP Web Editor)
博物館クオリティ
第二次世界大戦時のドイツ軍銃器のモデルガンやエアソフトガンで知られるショウエイ=松栄製作所さんが、モデルガンのMP40を作っているという噂は、ちょっと前から漏れ聞いていた。

一瞬、いまさらMP40?という疑問も頭をかすめた。ほぼ完全版と言えるマルシンのブローバックモデルがあるではないかと。
ところが、考えてみればマルシンのMP40はプラスチック製で、1984年の発売だ。今でもバリバリの現役で、何の不満もないが、設計が古いことは確か。それ以降に判明したことがあるかもしれないし、製造技術も進化しているだろう。また、今ならここまで再現できるということもあるだろう。そして金属製であれば見た目の質感から違うし、手にしたときのヒンヤリとした触感や重量感は比べものにならない。また、もしブローバックが可能になれば、その反動は桁違いの快感を与えてくれるだろう。
そう、松栄さんが作るのであれば、亜鉛合金製になるのは間違いない。これまでプラスチック製を手がけたことはない。MP43/44などのスチールプレス製の名銃を、亜鉛合金でリアルに再現してきた実績がある。
これはスゴイMP40になるのではないか、そんな予感がフツフツと湧き上がってきた。ブローバックでないとすれば、そのための工夫、たとえばパーツの強化やスムーズ作動のための施策が必要ない。最低限のアレンジで済むだろうから、模型的にかなりリアルなMP40となりそうだ。しかも松栄さんなら、これまでの製品を見れば明らかなように、完成度は折り紙付き。実際、FG42、MP44、MKb42(H)、G43はそのクオリティが認められ、ベルギー王立軍事博物館の収蔵品となっている。そこから想像すれば、これまでで最高の金属製MP40になるのは間違いないだろう。いや全MP40モデルガンの中でトップに君臨するかもしれない。
そんなところへ、松栄さんから工場取材の許可が出たという知らせが届いた。さっそく直撃して、どんなMP40になるのかお話をお伺いし、どれくらいのクオリティで、どこまでできているのか、この目で実際に確認したい。ボクはすぐにアポイントメントを取った。
▲左:工場内には大型の工作機械が所狭しに並ぶ。これは機械式プレス機
右:その向かいにあったのが、ラジアルボール版と呼ばれるものらしい。こちらもかなり大型のものだ。
▲左:奥のNCフライスでは、社長自ら何か作業されていた。
右:近くに置かれていたMP40の金型。これはバッファーハウシング後部のキャップ部分のようだ。
▲床に置かれていたのは、銃身基部に鋳込む改造防止用の超硬インサート。
右:テーブルの上の箱には、モデル名やプルーフマークを打つポンチが入っていた。
老舗中の老舗
松栄さんに関しては、2023年6月号の”ヴィンテージモデルガン”No.135 SHOEI FG42の記事で触れたが、Web版に移行して新しい読者の方もいらっしゃるだろうということで、あらためてご紹介しておこう。
会社名は松栄製作所。そのブランドがSHOEI(ショウエイ)ということになる。最初はゴム手袋の金型などを作っていたそうだが、先代の社長が中田商店の中田社長と知り合い、そこからCMCの江原社長とも知り合うことになったらしい。
そしてCMCから、輸入玩具のマテルなどを大人向けにカスタマイズするためのねじ穴加工などを請け負うようになり、モデルガンビジネスが始まったという。やがてまとまった仕事が来るようになり、1967年(前掲の記事では1968年としていた)、会社組織として松栄製作所を立ち上げた。
以来、CMC製品の加工、組み立て、箱詰めまでを請け負うようになった。そこにはピースメーカー、ガバメント、ベレッタ、エルマルガー、ダイヤモンドバックなど、古くからのファンにはお馴染みのモデルがずらりと名を連ねる。
やがてダイキャストの手配もするようになり、デリンジャーなどは完全に松栄さんのOEMだったそうだ。
そんなところから、CMC製品のほとんどの原型製作を手がけていた六人部 登さんが頻繁に出入りするようになった。六研の第3期の真鍮製ガバメントカスタムなどは松栄さんの工場で作っていたのだという。
ところが、1976年プラスチック製のピースメーカーを手掛けた時、思わぬトラブルが起きた。そのピースメーカーはできるだけ重く作るため、金属製のコアに薄いプラスックの外皮を被せるような天ぷら構造だったことから、プラスチックにクラック(ヒビ割れ)が入るという現象が起こった。これが松栄さんのせいにされてしまったことで嫌気がさし、モデルガンの仕事から一切、手を引いてしまうことになる。
その後、松栄さんは金型屋として再スタートを切り、1990年代初めのバブル崩壊をどうにか乗り越えると、六人部さんと共に六研の名前で再びモデルガンの世界にカムバックしようと、金属製長物の企画を立ち上げた。
六人部さんがAKを提案し、先代の社長がFG42を提案した。FG42は誰も知らないと反対されたそうだが、今まで作られたことがなく、おそらくこれからも他社が作ることはなく、それでもタミヤ(田宮模型)の1/35シリーズなどでは作られている有名銃だと説得したという。
ところが、製作が始まってしばらくしても、一向に六人部さんから原型が上がってこなかった。業を煮やした松栄さんは、自ら設計を行なうことにし、ツテをたどってレアな実銃があるというベルギーの王立軍事博物館にたどり着き、直接取材に行くことになるわけだ。
1993年、完成した最初のモデルガンは、自社のブランド、ショウエイを冠して売られることになった。ここがブランドのスタートだが、実際には、松栄さんはモデルガン黎明期から深く業界と関わってきた老舗中の老舗だった。
▲左:松本一郎社長。好きな銃はMG34。
中央:松本富男専務。好きな銃はFG42 Type 2。
右:最古参ベテラン技術者の滝ケ平さん。好きな銃はピースメーカー。
ニュープロジェクト
第二次世界大戦時のドイツ軍の銃器にこだわってモデルガン化している松栄さんには、いろんなドイツ銃のリクエストが寄せられるという。中でも多いのが、メジャーな銃も作って欲しいというもの。たとえばKar98kとかMP40だ。
これまで松栄さんは、悪用されにくい長物で、あえてレアな銃、誰も作らない銃、競作にならない銃をチョイスしてきた。そしてこれまでに、レアとはいえ比較的多くの人に知られていて、しかもカッコ良い銃はほとんど作ってしまった感もある。
もはや残っているのは、本当にレアでほぼ知られていない銃か、試作や実験的銃か、急拵えもしくは粗造されたような銃くらい。
メジャーな銃はすでに何度もモデルガン化されていることが多い。しかし早くからモデルガン化されたので設計が古く、改善の余地はあって、現在の技術でよりレベルの高いものにリニューアルすることは可能だ。そんなところに期待して、松栄さんにあえてメジャーな銃のリクエストが寄せられているのだろう。特にアメリカからMP40のリクエストが多いそう。
それに加えて、いち早くショウエイのFG42を高く評価して、MP44やG43などのモデルガン化を薦めてくれたというサムズミリタリ屋の本島社長からも、MP40を強く薦められたいう。
そんなところから松栄さんの新規プロジェクトはMP40に決まったのだそう。