2025/03/26
ドイツ軍制式ピストル ライヒスリボルバーからパラベラムピストルまで
近代ドイツ軍制式ピストル
ライヒスリボルバーから
パラベラムピストルまで
Report by Masami Tokoi 床井雅美
Photos bu Terushi Jimbo 神保照史
Gun Professionals 2013年2月号に掲載
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1. ライヒスリボルバー
ドイツは、ヨーロッパ諸国のなかで最も近代統一国家として成立するのが遅かった。
永遠のライバルだった隣国フランスとプロイセンとの間で戦われたフランコ・ロイシッシェ戦争(普仏戦争1870-1871)にプロイセンが勝利したことから、それまで多くの王国に分かれていたドイツは、プロイセンの宰相ビスマルクの強い働きかけもあって、近代国家として統一された。
プロイセン王国、ザクセン王国、ハノーバー王国などの多くの王国や公国に分かれ、それぞれが独自の軍を持ち、独自の制式兵器を制定していたドイツは、プロイセンのカイザー・ウィルヘルム1世を頂点とするドイッチェ・カイザー・ライヒ(ドイツ帝国)として統一された。しかし、この統一から南ドイツの強国ババリア王国は、1880年代に入るまでやや距離をおいた独自の立場をとった。
統一ドイツ最初の制式兵器として、普仏戦争に勝利した1871年に当時ババリア王国の領内のオーベルン・ドルフにあったゲブルダー・マゥザー社(マゥザー兄弟社)が開発したマゥザー1871ボルト・アクションライフルが、プロイセンによって歩兵ライフルとして選定された。
マゥザー1871は、プロイセンの制式ライフルで、ただちにドイツ全域の制式ライフルとなったわけではない。ババリア王国は独自の制式ライフルを使い続け、統合ドイツとなった旧王国がプロイセンにならって、マゥザー1871を歩兵制式ライフルとして支給し始めたのは、それからしばらく経ってからだった。
統一ドイツとして陸軍の制式兵器が多機種にわたるのは、効率的でない。
従来ドイツ軍内では、多くの種類のピストルが使用されていた。歩兵ライフルに比べると、軍用のピストルは、その支給数も少なく、戦場でそれほど重要な兵器とはいえなかったためだった。
だが、1870年代になるとそれまでほとんどパーカッション方式だったリボルバーが、金属薬莢で弾丸と発射薬、そして雷管をまとめた金属製一体弾薬に変化していく。
パーカッションリボルバーなら同じ口径の弾丸ならどれでも発射できた。しかし、金属製一体弾薬を使用するリボルバーは、その再装填を素早くおこなえる反面、固有の弾薬しか使用できない。いかに軍用兵器としての重要性が低くても、多機種にわたる弾薬を供給するのは、軍にとって大きな負担になる。

そこで1877年に統一されたドイツの旧プロイセン政府造兵廠だったスパンドウ造兵廠に砲兵委員会が組織され、統一ドイツ軍の制式兵器選定が開始された。
その砲兵委員会によって、統一ドイツ軍の歩兵ライフルと制式ピストルのトライアルが開始された。このピストルのトライアルには、ドイツの有力な小火器製造メーカーのルドウィック・ローべ社、シャールス・シーリング(チャールス・シーリング)社などが参加し、ババリア王国からゲブルダー・マゥザー社も試作リボルバーを提出した。また、スパンドウ造兵廠も独自のリボルバーを試作してトライアルが進められた。
砲兵委員会によるトライアルは、1877年から1878年にかけておこなわれた。
最終的にスパンドウ造兵廠案のソリッド・フレームを装備させたシングルアクションのリボルバーが選定され、1879年3月21日にReichsrevolver(ライヒスリボルバー:帝国リボルバー)の制式名を与えられて統一ドイツ軍制式リボルバーとなった。

ライヒスリボルバーは、ソリッドフレームのシンプルな6連発で、シリンダー後方のリコイルプレート右側面のカット部分から1発ずつ弾薬の装填排出をおこなう。
その部分はアメリカのコルトシングルアクションアーミーとよく似た構成だ。ただし、ライヒスリボルバーには、エジェクターロッドが装備されていない。
一方ライヒスリボルバーは、フレームの左側面に回転式の手動セイフティレバーが装備されている。手動セイフティは、ハンマーをコックできなくするロッキング方式で、ハンマーをコックした状態でハンマーをロックすることはできない。
ライヒスリボルバーで使用される弾薬は、11.6mm口径のセンターファイアー弾だ。
弾薬の全長は35.5mmで25mmの長さのリムド薬莢に装填されている。この弾薬には圧縮黒色火薬が発射薬として装填させており、16.8gの鉛製の弾丸を初速205m/秒で発射する。

ドイツ砲兵委員会は、1879年3月21日にライヒスリボルバーを制定する一方、将校向けに軽量の小型化されたリボルバーの試作を開始した。将校用の標準リボルバーとして、ライヒスリボルバーと同じ弾薬を使用するやや小型の製品が完成し、1883年にモデル1883リボルバーとして制定された。
下士官や兵士に支給される制式ピストルのライヒスリボルバーは、制定された定型通りに製作することが要求された。一方、官給品でなく私物として購入される将校用リボルバーは、標準リボルバーとして提示されたモデル1883に準じて製作されることとされた。
そのため。将校向けのリボルバーには、シングルアクションのものだけでなく、モデル1883のサイズと外見で、ダブルアクショントリガーを組み込んだものなどの多くのバリエーションがある。
小型化されたモデル1883は当初将校向けとされたが、後には下士官や兵士にも供給されて使用された。

ライヒスリボルバーは、エルフルト造兵廠で製作されるとともに、民間小火器メーカーのシャールス・シーリング社、ザゥアー&ゾーン社、ゲブルダー・マゥザー社、フォン・ドライゼ社でも生産されて、ドイツ軍に供給された。
一方、もともと将校用として生産が開始された小型のモデル1883は、シャールス・シーリング社、ザゥアー&ゾーン社、ゲブルダー・マゥザー社、フォン・ドライゼ社などで生産され、シングルアクション、ダブルアクションの両方の形式で多くのバリエーションが生産された。その中にはエジェクターロッドを装備させた製品もある。

左:ザゥアー&ゾーン
中央:バッフェンファブリク・マゥザー
右:フォン・ドライゼ
さらにモデル1883は、その類似製品がベルギーのリエージュでも製造されてドイツに輸入されて販売された。
また、ゲブルダー・マゥザー社は、11.6mmドイツリボルバー弾薬を使用するジグザグリボルバーを将校向けに生産して販売した。
ライヒスリボルバーは、1880年代からドイツ軍によって使用が開始され、その一部は第一次世界大戦でも、ドイツ軍後方部隊によって使用され続けた。


